【3分間小説】青空を見上げるための句読点|栞 ― クリープハイプ
この作品はフィクションです。特定の曲や歌詞にインスピレーションを得て執筆していますが、実在の人物・出来事とは関係ありません。音楽をきっかけに生まれた短い小説としてお楽しみください。
「健くん、この本は置いていくね。続きは、貸してたことにしておくから」
同棲解消の朝。積み上がった段ボールは、読み終わるのを諦めた物語のなれの果てみたいだ。彼女は自分の荷物をまとめ終えると、僕の書棚に一冊の文庫本を戻した。
「……ねえ、凛。その本、続きは僕が音読してあげようか? 来週あたり、気が向いたら電話してよ。今ならまだ、延長戦の予約受け付けてるからさ」
おどけた調子で、僕は彼女の顔を覗き込んだ。自分でも情けないほど、軽口の中に必死な未練を混ぜ込んで。お調子者のふりをして笑い飛ばせば、この気まずい「終わり」を数ミリくらいは先延ばしにできるんじゃないか、なんて甘えていた。
凛は荷物を詰めたリュックを背負い、ふっと小さく笑った。その目は、迷子をあやすような、半分呆れて、半分愛おしむような色をしていた。
「健くん、もう終わりだよ?」
静かな、でも一切の迷いがない声だった。
「嘘だよ、ごめんね」
僕はヘラヘラ笑った。
彼女の言う「ごめんね」は、僕の軽口を風に舞わせて消し去るための、冷たくて優しい拒絶だった。 「途中で終わらせたら、続きがあるような気がしちゃうじゃん」 彼女は独り言のようにそう言い残して、部屋を出た。
重い扉が閉まる音が、静まり返った部屋に響く。 僕はソファに深く腰掛け、彼女が戻した本を手に取った。彼女が読んでいたページには、僕が誕生日に贈った銀色の栞が挟まったままだ。
窓の外では、5月の爽やかな風が騒がしく吹き荒れている。
あの高いメロディが、頭の中で何度もリフレインする。
確かにそうだ。35歳にもなって、11歳も年下の彼女に、ここまで見透かされ、完璧にいなされていた自分が情けない。今は青空なんて仰げそうにない。
僕は、挟まったままの栞を指でなぞる。これを引き抜いてしまえば、本当に「おしまい」になる。でも、彼女の拒絶を認めないままにしていれば、いつか彼女がこの続きを読みに戻ってくるんじゃないか。そんな、子供じみた期待を捨てきれない自分がいた。
「……だせえな、俺」
自嘲気味に呟き、勢いよく立ち上がった。 銀色の栞を、一気に引き抜く。金属が紙とこすれる、小さな、でも決定的な音がした。 本を閉じ、書棚の一番端に押し込む。物語はここで完結だ。
カーテンを開けると、目に刺さるような春の光が部屋に流れ込んできた。 彼女のいない部屋は、驚くほど広くて、静かだ。
僕は少しだけ浮ついた足取りで、新しいノートを開く。 これからは、僕自身の言葉で、僕だけの続きを書いていかなくちゃいけない。
新芽が弾ける音が聞こえそうな、そんな眩しい朝。 僕は、ようやく次のページをめくった。
桜散る桜散る お別れの時間がきて
「ちょっといたい もっといたい ずっといたいのにな」
うつむいているくらいがちょうどいい
地面に咲いてる
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チップありがとうございます!
大変はげみになります。