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視座を上げろと言われるほど、人が見えなくなる

会社で、長期休暇に入る人や、一か月ほど休職する人が続いている。

その中に、まだ20代の若い人がいた。

人が立て続けに辞めて大変になっていた部署へ、中途採用で入ってきた人だった。

入社したばかりの頃は、私も少し気にかけていた。

他部署の人なので、仕事で深く関わるわけではない。

それでも、社内で見かければ声をかけたり、周囲との会話に入りやすいように話を振ったりしていた。

中途入社したばかりで、知っている人も少ない。

しかも、配属されたのは人が辞めて忙しくなっている部署だ。

少しでも会社の中に居場所ができればと思っていたのだと思う。

しかし、いつの間にか、私はあまり声をかけなくなっていた。

私自身も、会社の中のいろいろなことに気を削がれていた。

自分の仕事や責任、改善しなければならないこと、うまくいかない制度や組織への違和感。

そうしたものに意識を取られているうちに、周囲を見る余力が減っていた。

その人が休職したと聞いたとき、少し後悔した。

もう少し関心を持ち続けていればよかった。

もう少し声をかけていればよかった。

もちろん、私が話しかけていれば休職を防げたなどとは思っていない。

休職の理由も、本当のところは分からない。

それでも、自分が以前は気にかけていた人に、いつの間にか声をかけなくなっていたことが、どうしても引っかかった。

人が辞めた部署に、人を入れるだけでは立て直せない

人が辞めて大変になった部署に、新しい人を採用する。

会社から見れば、自然な対応に見える。

人が足りないのだから、人を補充する。

人数だけを見れば、問題は解決に向かっているように見える。

しかし、実際にはそれほど単純ではない。

人が立て続けに辞めた部署は、すでに余力を失っている。

残った人は、それまで複数人で行っていた仕事を抱えている。

目の前の業務を回すだけで精いっぱいになり、新しく入った人に仕事を教える時間も、話を聞く時間も少なくなる。

新人が分からないことを質問しても、忙しそうで声をかけにくい。

教える側も、丁寧に説明したくても時間がない。

仕事を任せなければ現場は回らないが、任せるための教育はできない。

結果として、新しく入った人は、最も支援を必要とする時期に、最も余力のない場所へ入れられることになる。

これは本人の能力や性格だけの問題ではない。

受け入れる側の組織に、新しい人を支える力が残っているかという問題だ。

人を一人採用すれば、一人分の戦力がすぐに増えるわけではない。

新しく入った人が仕事を覚え、人間関係を作り、相談できる相手を見つけ、自分の役割を理解するまでには時間がかかる。

本来、その期間を支える余力が必要になる。

ところが、人手不足の部署ほど、その余力がない。

人が足りないから採用する。

しかし、人が足りないから育てられない。

育てられないから、新しく入った人も疲弊する。

そして、その人まで休んだり辞めたりすれば、残った人の負担はさらに増える。

人手不足が、次の人手不足を生む構造である。

新しい人を支えているのは、制度ではなく誰かの善意かもしれない

新しく入った人を支えるものは、研修や教育担当者だけではない。

廊下ですれ違ったときに声をかける人。

昼休みに雑談へ誘う人。

会議で発言しやすいように話を振る人。

困っていそうなときに、「大丈夫ですか」と聞く人。

こうした行動は、業務実績には表れにくい。

評価項目にもなりにくい。

数字として報告されることもほとんどない。

しかし、入社したばかりの人にとっては、こうした小さな接点が会社とのつながりになる。

所属部署で十分な支援が得られなくても、他部署に少し話せる人がいるだけで、孤立感は変わるかもしれない。

会社に自分を知っている人がいる。

自分のことを少し気にしている人がいる。

それだけで、完全に一人ではないと思えることもある。

ただし、そのような支えが、誰かの善意だけに依存しているとしたら危うい。

善意を出せるのは、その人に余力がある間だけだからだ。

支える側の人も、自分の仕事が増え、責任が重くなり、気持ちを削られていけば、周囲にまで関心を向けられなくなる。

制度として用意されていない支えは、支えている本人が疲れた瞬間に消えてしまう。

そして会社は、その支えが失われたことにすら気づかない。

「視座を上げろ」と言われる会社で、視野が狭くなる

会社では、よく「視座を上げろ」と言われる。

自分の担当業務だけではなく、部署全体を見ろ。

会社全体を見ろ。

将来を考えろ。

より大きな視点で、問題を捉えろ。

言っていることは正しい。

会社を良くするためには、目の前の作業だけではなく、仕組みや全体最適を考える必要がある。

私自身も、構造を見て、問題の原因を考え、改善しようとしている。

しかし最近、少し違和感がある。

視座を上げることを求められる一方で、社内の一人ひとりの視野は狭くなっているのではないか。

目標を達成しなければならない。

業務を効率化しなければならない。

改善案を出さなければならない。

トラブルにも対応しなければならない。

人が減った分の仕事も引き受けなければならない。

その状態で、さらに会社全体を見ろと言われる。

そうすると、人は遠くを見るために、近くを見なくなる。

経営課題や将来構想について考えていても、隣の部署に入ってきた若い人が疲れていることには気づかない。

組織の問題を議論していても、目の前の人に声をかける余裕はない。

大きな問題を解決しようとするほど、小さな変化を見落とす。

視座は上がっているかもしれない。

しかし、視野は狭くなっている。

それは上司や管理職だけの話ではない。

私自身もそうだった。

会社の構造や制度の問題を考えることに気を取られ、以前は気にしていた人へ声をかけなくなっていた。

会社を良くしようと考えていたはずなのに、その会社の中にいる一人の人間を見なくなっていた。

人を見る余力まで失った改善に、何の意味があるのか

改善は必要だ。

効率化も必要だ。

将来を見据えることも、視座を上げることも大切だ。

しかし、それらは会社で働く人を守り、仕事を続けられる状態を作るために行うものではないだろうか。

改善活動そのものに追われ、人を見る余力を失う。

人を支える人まで疲弊し、周囲への関心を失う。

その結果、誰かが孤立し、休み、辞めていく。

そして人が減ったから、さらに改善と効率化を求める。

これでは、会社を良くしようとする活動が、会社を支える人間関係を壊してしまう。

人を気にかけることは、仕事ではないように見える。

雑談は無駄に見えるかもしれない。

他部署の新人に声をかけても、自分の成果にはならない。

しかし、会社は制度や業務だけで動いているわけではない。

人と人との小さな接点によって、かろうじて保たれている部分がある。

そこをすべて個人の善意に任せ、善意を出す余力まで奪ってしまえば、組織は静かに弱くなる。

数字には表れない。

問題が表面化するまでは、誰も気づかない。

そして誰かが休んだり辞めたりした後で、ようやく「あの人は大変だったのかもしれない」と振り返る。

もう少し話しかけていればよかった

もちろん、私が声をかけ続けていれば、何かが変わったとは言い切れない。

その人が何に苦しんでいたのかも分からない。

私に相談できるような関係だったわけでもない。

ただ、入社したばかりの頃には気にかけていた人に、いつの間にか声をかけなくなっていたことが、少し悔しい。

あのとき、もう少し話しかけていれば。

会話の中に入れられていれば。

少なくとも、会社の中に自分を気にしている人がいるとは伝えられたかもしれない。

それで何かを防げたとは思わない。

自分の責任だとも思わない。

それでも、人が辛くなってから「気づけなかった」と後悔するより、普段から少しだけ関心を向けておくことはできたはずだ。

大きなことをする必要はない。

挨拶をする。

名前を呼ぶ。

最近どうですかと聞く。

話に入りにくそうなら、少し話を振る。

困っている様子があれば、声をかける。

それだけで何かが解決するわけではない。

しかし、会社の中で完全に孤立しないための、小さな糸にはなるかもしれない。

視座を上げて、会社全体を見ることは大切だ。

けれど、そのために目の前の人が見えなくなってしまったら、私たちは何を良くしようとしているのだろう。

会社を支えているのは、制度や仕組みだけではない。

そこで働く人と、人を気にかける余力である。

だから私は、少しだけ周囲を見るところから戻したいと思う。

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