「寝ずにやる根性」と「社会構造の責任にする優しさ」の間 〜自己責任論の魔法を解くために〜【#140】(おすすめ-15)
ポッドキャスト「ママが自分を取り戻すラジオ」の第598回を聴いて、深く共感を覚えました。
パーソナリティのすぎべさんが語っていたのは、自分の中にある「対局の哲学」と「矛盾」についてです。
「ママが自分を取り戻すラジオ」
内容に移る前に、まず番組のご紹介です。
「ママが自分を取り戻すラジオ」
は第4回 JAPAN PODCAST AWARDSにおいて、「ウェルビーイング賞」を受賞された番組です。
多くのリスナーに安心と共感を届けている番組だと感じています。
今回聞いたのは、第598回「働き方とか生き方とか、30代も後半戦」の回でした。
※本記事は、番組を聴いて私が個人的に感じ、考えたことをまとめたものです。
すぎべさんの真摯な内面に触れ、私自身の内面とも深く向き合うきっかけをいただきました。
誠にありがとうございます。
ケアの文脈と、キャリアの哲学が「対極」にある
すぎべさんは、自分の中に真逆の思想が同居していることに気づいたと言います。
「対極にね、ある思想が何かというと…… ケアの文脈、ケア労働みたいな文脈で持ってる価値観と 仕事とか、キャリアとか、自分の活動とか……のカテゴリーで持ってる哲学が それがもう本当に対極だったんです」
子育てなどのケアの場面では、彼女はこう考えています。
「ケア労働は……これって本当に個人の問題じゃないよねってことをすごく思ってるんですよ。 親自身の力がないとか、能力足りないとか、なんかこうダメな親だとからとか、そういうことではなくって…… 大きな社会の問題であり課題だよねって……個人のね、一家庭の小さな閉ざされた空間の悩みとしてとどめておかない方がいいってことをすごく思っているんですよ」
突然始まる「部活」と、自己責任論の罠
しかし、その一方で「自分の活動」という枠組みに入った途端、もう一人の自分が顔を出します。
「そのはずなのに、仕事キャリアってなると、めちゃくちゃ自己責任論みたいなところにいきついちゃうなってことに気づいたんですよ。 それって努力が足りないんじゃない、とかさ。 自己責任論にしたくないんだけど、してしまってるよなって」
番組で「お母さんたち本当にお疲れ」とケアのメッセージを届けているはずの自分が、いざ発信活動の相談を受けると、途端にストイックな「根性論」に切り替わってしまう。
「それに関しては、なんかものすごくなんか努力根性本気みたいな、土手走りみたいな感じになるんですよ。……私その番組の中ではいやもうお母さんたち本当頑張ってるからみたいな、……もうマジでお疲れって感じてやってるのに、その配信したいんですけどどうしたらいいですか、みたいな質問に関しては、いやもう私もう寝ずにやってきたんで、みたいな。 なか本当にいきなり部活始まっちゃうんです」
私たちを翻弄する「自己責任論」の呪縛
このすぎべさんの告白は、私自身の胸にも刺さります。
私自身も、目標を立ててクリアする達成感は好きです。しかし、そこで「自己責任論」と「能力主義(メリトクラシー)」という落とし穴が顔を出すことがあります。
自分が「寝ずにやってきた」という成功体験があると、どうしても「できないのは努力不足だ」という自己責任論に結びつけたくなる誘惑に駆られます。
特に、医師として一定の環境を得ている立場にいると、無意識にポジショントークをしてしまいがちです。
「たまたま今の社会の評価軸に、自分の特性や体力がヒットしただけ」という視点を持たないと、私たちの言葉は、環境に翻弄されている誰かを追い詰める刃になってしまいます。
矛盾した二面性を持って生きる
すぎべさんは、自分の中にあるこの激しいぶつかり合いを、こう表現しています。
「自分で自分がわかんないんですけどっていう、この急に出てくるなんか根性論みたいな。……2人いるなみたいな、で私は私の中にこの思想というか哲学、価値観みたいなところが、もう本当に真逆・対極のところにあるんだな。……この対極の思想がぶつかり合ってたでそしてそれがぶつかっていることにも気づいてなかったんですよ」
自分の出力を120パーセント出す「土手走り」の自分を抱えながら、他者の痛みを社会の課題として捉える優しさを失わない。
かつて厳しい環境で自分を追い込んできた人でも、それを負の連鎖にしないことは可能です。
「自分はこうしてやってきたけれど、それは運も良かったから。あなたはあなたのペースでいい」と言えること。それは、自分の努力を否定することではなく、その努力が実を結ぶための「土台」があったことに感謝するということです。
「たまたま」今の靴を履いているだけ、という視点
能力主義は、勝者を傲慢にし、敗者を卑屈にします。しかし、私たちはその波の中で「たまたま」今の場所に立っているに過ぎません。
押し付けるのではなく、まずは自分が「たまたま今の靴を履かせてもらっている」という自覚を持つこと。そして、他者が抱える背景に想像力を働かせること。
体育会系の精神を持ちつつも、それを暴力的な自己責任論に転換させない。
ここで、自分の立場をあえて冷徹に眺めてみる必要があります。
例えば、私が健康体で、医師として働いている。
それは100パーセント私の努力の結果でしょうか。
実際には、そこには環境や運、時代の流れなど、自分ではコントロールできない要素が山ほど含まれています。
たまたま今の社会の評価軸に、自分の特性や体質がヒットしただけ。そう考えたとき、初めて私たちは「他者の靴(自分とは違う困難)」を想像する余白を持てるのだと思います。
負の連鎖を断つ優しさの選択
かつて厳しい環境でパワハラを受けてきたり、根性論で自分を追い込んできた人でも、それを負の連鎖にしないことは可能です。
「自分は苦労して乗り越えたんだから、お前もやれ」と強要するのではなく、「自分はこうしてやってきたけれど、それは運も良かったから。あなたはあなたのペースでいい」と言える。それは、自分の努力を否定することではなく、自分の努力が実を結ぶための土台があったことに感謝する、ということです。
自分の出力を120パーセント出す「土手走り」の自分を抱えながらも、他者の痛みを社会の課題として捉える優しさを失わないこと。
この矛盾した二面性、揺らぎをご自身で言葉にされる誠実さに心を動かされました。
悩み、日々生きるすべての人に最大のエールを
すぎべさんが語った「自分の中の二面性」。それは、決して解消すべき「弱さ」ではなく、むしろ他者と共に生きていこうとする人が持つ「誠実さの証」なのだと感じました。
「土手走り」のように自分を追い込める強さを持っているからこそ、誰かの役に立ちたいと願い、発信し続けることができる。
その一方で、ケアの痛みを知り、構造的な課題に目を向けられる優しさを持っているからこそ、誰かの居場所を作ることができる。
この真逆の思想が自分の中でぶつかり合い、矛盾に悩み、それでもなお言葉にし続ける。
スマートに割り切れない、その「もやもや」を抱えたまま歩み続けること。 それこそが、自分を、そして誰かを取り戻していくための、最も人間らしい、力強い一歩なのだと信じています。
悩みを抱えながら今日を生きるすべてのお母さん、お父さん、働く人たちへ。 心からの敬意とエールを込めて。
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