日常に感じた違和感を大切にすること
こんなポスターを見た。
さくらんぼ味の
レッドブル、
翼をさずける。
なんだろう。
なんか変じゃない?
何か違和感がある。違和感を感じると言ってしまうくらい違和感がある。
まず語呂が悪い。
もともとの「レッドブル、翼をさずける」もそれほどリズムがいいわけではないと思うけど、レッドブルの「ル」と、さずけるの「る」で韻を踏んでいるから、それっぽい、
ここまではまあいいけど、“さくらんぼ味の”がつくと一気になんか変な気がする。
そもそも「レッドブル、翼をさずける」と発言している主体は誰なのか?
という問いからこのnoteはスタートする。
神とか天使とかの偉大な存在が言ってる説
翼を授けるのだから神とかなんじゃないかな、というのは自然な発想だと思う。言われているのは我々ホモサピエンスだ。
(これが)レッドブル(だよ)、
(あなたに)翼をさずける(飲み物だよ)。
だと意味は通る。いきなり正解を出してしまった感がある。
文章の構成上、いきなり正解を書いていいのかどうかわからないけど、全て行き当たりばったりで書いているものですから仕方がない。
「これがさくらんぼ味のレッドブルだよ」でも矛盾がない。だとしたら違和感が生じるのが不可解だ。
飲む人の独り言である説
これもありそうだと思う。
(これが)レッドブル、
(わたしに)翼をさずける(飲み物)。
うーん。補足する文章は僕の気分次第でなんとでもなってしまう。
(わたしに)翼をさずける(飲み物なのかは飲んでみないとわからないだろう。本当に翼が生えるのだろうか、あるいは何かのメタファーなのかもしれない。強すぎる力には必ず代償が伴うのだからそんなに上手い話はないだろう)。
そもそも、自分で自分に「さずける」と言うのは変ではないか。「与える」くらいになるのではないか。ほな、これと違うか。
レッドブル本人が言っている説
これもあるかもしれない。
丁寧に考察していこう。
(僕が)レッドブル(だよ)、
(君に)翼をさずける(よ)。
昭和末期、音に反応して踊るサングラスをかけたビールの缶のおもちゃがあった。調べてみたらミュージカン、という名前だったらしい。そんなイメージをしてもらえばいけど、イメージしたところで別段なんということはない。
僕を飲んでよ!僕を飲むと翼が生えるんだよ、みたいなファンタジーは成立しそうじゃないだろうか。
結局よくわからない。
なぜ「さくらんぼ味の」がつくと違和感があるのか全くわからなかった。
というか、文章を補足したらダメなんじゃない?
整合性がとれるように補足しちゃってるから。
そのままで見ないとだめなのか。
さくらんぼ味の
レッドブル、
翼をさずける
味のバリエーションが無くて唯一の味であるレッドブルのキャッチコピーとして「レッドブル、翼をさずける」と散々言ってきた。ところが急に「さくらんぼ味の」がつけられたからびっくりしたのかもしれない。
主体は誰なのかという問いからこのnoteはスタートする。
とか言いながら、尻すぼみにこの文章は閉じられる。
いや待てよ、お前が手に持っている、その黒い板は飾りなのかい?と言われかねないので、インターネッツで調べてみた。
英語だと
Redbull gives you wings
なんだって。
直訳すれば、レッドブルはあなたに翼を与える。になる。
神的な上位存在が言っている感じがありますね。こちらからは以上です。
翼でバサバサ〜って退場。
