1998年のサマー
大嫌い、大嫌い、大嫌い、大好き。
冒頭から何があったのか?と思われるかもしれないし、「ああ、あの歌ね」と思うかもしれない。
とはいえ、歌の歌詞だと分かったからといって、歌詞で書き出すのは乱暴なんじゃないか、とか、なぜ今その歌なのか、そんな風に思うのは当然だし、その権利があなたにはある。その権利は保障されている。
ともかく、そういう歌詞があるのです。
モーニング娘。が歌唱する“サマーナイトタウン”のサビである。
この曲は平成も真っ盛りの1998年、鮮烈なデビューを果たしたモーニング娘。のセカンドシングルとして発売された。なにせ30年近く前の曲だし、そこまでは大ヒットしてないはずだし、僕は熱心なファンではない、というかファンと名乗る資格はない。ときどきテレビジョンで歌われているのを見てた、そんな程度の関わりしかない。
それでもしかし、何故だか、この歌詞がときどき脳裏に浮かぶことがある。少なくともnoteの冒頭で書き出すくらいには、脳髄に刻み込まれている。1998年というのはなんだかそんな年だった。
歌詞の解釈としては、本当は好きなのに、嫌いと言ってしまう、そんなアンビバレントな気持ちを表しているのだと思う。たぶん。
そういう考え方の様式があるのだと。
大嫌いを3回、そして大好き、と言う。
1回の肯定は3回の否定に勝る。というか、大嫌いの連呼は大好きな気持ちを強調している、とも考えられるだろう。
「大嫌い」というフレーズは、必ずしも大嫌いなわけじゃなくて、むしろ好きなんだと、それを理解しなさいよ、そんな雰囲気の歌だと思うのだ。
言葉というのは必ずしも文字通りの意味を表さない。たとえば、「明日ヒマ?」という発言には「明日いっしょに遊ばないか」という意味が内包される。「お腹空いてない?」には「ご飯を食べよう」という意味が含まれる。
では、「終電無くなっちゃったね」には、あるいは「今日、両親とも帰って来ないんだ」にはどんな意味があるでしょうか。百文字以内で次の解答欄に記述しなさい。(配点 50点)
そういう感じで、言葉にそれ以上の意味を込めることは普通に行われている。みんな普通にやっていることなのだろう。
ところがどっこい、僕はここらへんの機微がよく分からない。どうしても言葉どおりに受け取りがちである。素直と言えばそうかもしれないし、行間が読めない、文脈が分からない、ということでもある。
そのせいで何かステキなロマンスを逃してしまった可能性だってある。あるかもしれない。
無いとはいえないかもしれない。
ゼロではないかもしれない。
限りなくゼロに近いかもしれない。
ゼロかもしれない。
少なくとも“大好き”の意味で「大嫌い」と言われた経験はビタイチないかもしれない。
