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平凡であると言うこと

「あなたはもうお父さんとは縁を切ったほうがいいですね」


と言う台詞は、前の主治医に言われたことです。


「なんだかんだ言って、結局、あなた自身もお父さんに依存してるんですよ」

と言われた時には激しい怒りで身体がわななきました。


依存してる?

ふざけるな。

私は父親の暴力に耐えかねて16で家を飛び出し、学校を出るのも生活も何もかも自分の力でやって来た。

依存なんかしてるはずがない。


薬ばっかり出して誤診をするような医師ではあったけれど、父親と縁を切れと言うアドバイスは正しかったのだと思います。


家族と言うのはボートのようなもので、強固に見えても波の揺らぎで簡単に体制が崩れてしまうことがある。


私の父親はDVでおまけにクソだった。


私が家を出た後はたびたびお金の無心をしてくるようになった。

自分で学費を稼ぎ、生活をしていた私は常にかつかつだったが、父親のお金の無心を無碍にすることが出来なかった。


幼い頃から父親には逆らってはいけないと刷り込まれていたのだと思います。


結婚してからは「なんで私の旦那が稼いだ金をあんたなんかに渡さないといけないの」と言って反抗しました。

「お前が働いてる分があるやろ?20万ほど頼むわ」

父親はどこまでも明るく言いました。

そんなに用意出来ないと言うと、「じゃあ2万でいいから」と食い下がる。


本当にこいつ死んでくれりゃ良いのにと心の底から思ってました。


主治医から縁を切ることを勧められてからも直ぐには実行出来ず、何年か交流を続けていましたが、決定的だったのは息子の七五三の時のお金を持って行かれそうになった時でした。


「あ、このままこいつをボートに乗せてたらこっちまで沈む。息子を守れない」


私はとうとう父親と縁を切ることを決意しました。

「私にとってもう守るべきは息子で、その妨げになるあんたは捨てる」

こう言うのが精一杯でした。

父親にそう伝えた私を、弟は人非人だと罵りました。

「ばあちゃんはどうするんな?」と電話口で怒鳴る弟に、「ばあちゃんに父親を捨ててこっちに来てくれと言っても聞かないんだから仕方ない」と私は答えました。

祖母の問題は本当に悩ましい問題で、どんなにろくでなしの息子でも息子なのか、私が「あいつはもう救えない。ばあちゃんの面倒はみるけど、ばあちゃんがあいつと連絡を取っていたらこちらまで沈む。あいつのことは捨てて欲しい」と言っても泣くばかりで決して首を縦にふろうとはしませんでした。

祖母は戦争で最愛の夫と死に別れていたので、息子は忘れ形見でもあったのかもしれませんが、そもそも論、祖母が甘やかすからあんなクズが育ったのでは?としか思えませんでした。

祖母は蒸発した母親にそっくりな私に、憎悪のような愛情のような複雑怪奇な感情を抱いていたようで、それはそれは厳しく育てられました。

私にしたように朝5時に叩き起こして家中の廊下の拭き掃除をさせれば良かったのだ。
気に食わないことがあれば泣き叫んで殴れば良かったではないか。


「あのろくでもない母親に似てるお前は、きっとろくでもない人間になる」

そう言って、鬼婆のように私を育てたではないかと言う怒りは私の中にありました。

それでも育てて貰った恩がある。

私は旦那とも話して祖母を引き取るつもりでした。

だけどそれは叶いませんでした。

それ以来、弟とも会っていません。


私は父親に一言でいいから「暴力を振るって済まなかった」と謝って欲しかった。


それがあればきっと何もかも許せた。


しかし父親はまるでお前の心を踏みにじったことなどまるきり一度もなかったと言うように、「大袈裟なやっちゃな」と笑うだけで謝罪の一言もありませんでした。

どうしてちょっと気に食わないくらいのことで、小学生の私に殴る蹴るの暴力がふるえたの?

どうして一度もまともに話を聞いてくれなかったの?

どうして多額の借金を残して失踪出来たの?

どうして別れた母親が覚醒剤で捕まったことを祖母と笑い話に出来たの?

どうしてお金の無心をする父親なんていう情けない姿を晒して平気だったの?



どうしてだ?


聞きたいことは山程ありました。


しかし、“父親を変えること”は、不可能なことでした。


辛ければ縁を切るしかない。


縁を切れないのも、認めるのは腹立たしいけれど、また依存なのかも知れないと今は思う。


どうしようもない憎しみ。


憎むべき対象は父親以外にはあり得ない。


もはや自分の1部である憎悪を手放すことは、またつらい作業で出来なかったのだと思います。


それきり、私は“人非人の逃亡者”です。


お盆になるとこっそり隠れて祖父のお墓参りに行きますが、墓石に祖母の名前が刻まれた時には暫く墓石の前で呆然としてしまいました。


「いつか、あいつと縁を切ったことも後悔するかもしれない」とも思いました。


けれど私には、息子には絶対に“平凡”を与えると言う意地のような使命がありました。


平凡でいること。


その難しさ。


息子には取るに足りない平凡な家庭で健やかに育って欲しい。


「母さん?ふっつーのどこにでもいる母さんだよ。特に取柄があるわけでも悪人でもない」



そう言って貰えることが、私の目標でした。



鶏肉がちょっと変わった味付けでも調理出来るようになっておきたいな。
レモンとマスタードで味付けしてみようか。
案外こう言うののほうが暑い内は食べやすいかも知れない。


そう思って台所に立っていると、「今日、唐揚げ?」と息子に聞かれました。


「唐揚げではない。レモンマスタードで焼いてみる」と答えると「唐揚げにはならないの?」と息子。


「唐揚げにならないこともないけど…」


旦那にはレモンマスタード焼きをやってみると言ってあったのでブーイングが出ましたが、急遽メニューは唐揚げになりました。


息子のリクエストに応えてあげられるのもあと少し。


「なあ、母さんって平凡だった?」


と聞いたら「変わった親だった」と答えられたので、私の目標は達成出来てないということになるのかも知れません。














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