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カラカスー公園、ドイツ村、バリオの記憶

最近、ベネズエラの名前をニュースで目にすることが増えた。経済危機、治安、移民—断片的な情報ばかりが流れてくる。それらを眺めながら、ふと、20年以上前に訪れたカラカスの風景を思い出した。

当時の私は、この国のことをほとんど理解していなかった。歴史も、政治も、社会の背景も、きちんと学んだわけではない。それでも、公園と、ドイツ村と、バリオという三つの風景だけが、理由のわからない強さで、いまも身体の奥に残っている。

今思えば、私は「分からないまま考えようとしていた」のだと思う。そしてその思考は、最後までうまく応用しきれなかった。


三つの風景だけが、残っている

今振り返ると、私は本当に何も分かっていなかったのだと思う。ベネズエラの歴史も、政治も、社会状況も、きちんと学んでいたわけではない。南米の一部、という程度の雑な認識のまま、ペンシルベニア大学のスタジオで現地に行った。もう20年以上前のことだ。

それでも、いくつかの風景だけが、身体の奥に残っている。

スタジオを教えていたのは David Gouverneur だった。ベネズエラ出身で、とても陽気で、ダンスが上手な先生だった。都市の話をしているときも、どこか身体的で、祝祭的だったことだけは、妙にはっきり覚えている。理論を説明されていたはずなのに、当時の私は、その内容をほとんど理解していなかった。

ただ、彼の視線の向け方、都市の中での立ち止まり方、その身体感覚ごと、カラカスという場所に連れて行かれた、という感覚だけが残っている。


最初に強く印象に残ったのは、公園だった。Parque del Este
ブルレ・マルクスに興味があって、このスタジオを取った、というのが正直な動機だった。

カラカスの街にはビビッドな色彩の絵画が溢れていて、その延長のように、公園にも強い色と輪郭があった。ただ、印象的だったのは造形そのものよりも、歩き方だった。

動線が一本に定まらない。

速く通り抜ける人もいれば、ベンチに腰を下ろして長く滞在する人もいる。速度の違う滞在が、同時に許容されていた。ゲートも一つではなく、いくつもの入口から都市側へ滲み出るような構成だった。

当時は言葉にできなかったが、後年、レム・コールハースのダウンズビュー・パーク案を見たとき、ふと、この公園を思い出した。理論が似ている、というより、身体の使われ方が重なった、という感覚だった。

カラカスでは、どこへ行っても café con leche が美味しかった。特別な店でなくても、ミルクとコーヒーのバランスが妙に良くて、街のリズムの一部のように感じられた。

味覚の記憶は、風景と結びついて、いまも鮮明だ。


北の山の方へ行くと、ドイツ村があった。イチゴを栽培していて、とても甘く、ソーセージも驚くほど美味しかった。観光地として整えられたエリアは分かりやすく、どこか安心できる風景だった。

けれど、そこから少し外れて山中の住宅街に入ると、空気が変わった。まるでアジア人の私を初めて見た、というような表情で見られたのを覚えている。敵意というより、純粋な驚きだった。

移植された風景が、観光という制度の外側で、急に生々しくなる。その違和感が、説明抜きで身体に伝わってきた。


あそこは、都市のように振る舞っていた

一方で、最も強烈だったのは、山際に広がる バリオ だった。カラカスという都市を象徴するように、斜面に貼りつくように広がる集合体。

最初は外から眺めているだけでも十分に面白かったが、実際に中に入ると、小さな商店があり、生活が溢れていた。

ここまでは入っていい。
ここから先はだめ。
写真はだめ。

そう言われながら歩いた記憶がある。それでも私は、あそこを「集合住宅」ではなく、都市のように振る舞う場所だと思った。

住む、働く、売る、集まる。それらが内部で完結していたからだ。中心は一つではなく、小さな溜まりや交差点が無数にあった。

後から考えれば、スケールが自己相似的で、トポグラフィーに強く規定され、移民の時間が層のように重なっていた、と言えるのかもしれない。でも当時の私は、ただ圧倒されていた。


応用しきれなかった思考

その頃、私は Cecil Balmond の授業も取っていて、構造そのものより、増殖の過程に強く惹かれていた。

フラクタル建築の考え方を、都市計画やランドスケープに持っていけるのではないか、と本気で思っていた。

建築では、構造が強いコンストレインとして働き、形はどこかで収束する。だからフラクタル的な操作も、最終的には「成立する形」に落ち着く。でも、都市やランドスケープは違う。現況そのものが前提で、形を閉じる構造がない。

Rhino のスクリプトで、パターンをつくり、それを増殖させようとしたことがある。形がある程度想像できるフラクタルなら、なんとなくそれらしく動く。

stochastic fractal (Architecture Studio)

このフラクタルスタディは、建築の授業では高く評価された。増殖のルールが明確で、形としても破綻せず、最終的には建築として収束していたからだ。けれど、今振り返ると、それはランドスケープとして見れば、かなり閉じた成長だったとも思う。

成長や増殖を扱っているように見えて、実際には、あらかじめ決められた形に向かって増えていくだけの構造だった。成長の主語は、場所や状況ではなく、当時の私の内部—スクリプトやルールの側に置かれていた。バリオのように、どこへ向かうのか分からない成長を再現しようとすると、どうしても手が止まった。

パラメーターが分からなかったのだ。
角度でも、比率でもなく、それはたぶん、「生き延びるための条件」だった。


その後に取り組んだのが、「agriculture to industrial, what’s next」という、カラカスを扱ったランドスケープのスタジオだった。

agriculture to industrial, what’s next (Landscape Studio)

こちらもまた、「成長」や「増殖」を根底に置いていた点では、先のスタディと変わらない。ただし、扱おうとしていたのは、形そのものではなく、既存の地形、インフラ、農地、バリオといった状況の重なりだった。

フェーズを分け、足し、引き、組み替える。

そのプロセスは、最終形を強く主張するものではなく、むしろ、どこへ向かうのか分からないまま進む都市の状態に近かった。成長のルールは、デザインの内部ではなく、場所の側に預けられていた。

この二つのスタジオを並べてみると、自分がどこで引っかかり、どこへ向かおうとしていたのかが、はっきり見えてくる。

建築としては成立していても、都市やランドスケープとしては閉じてしまうものがある。逆に、完成度は高くなくても、状況に開かれたままの試みの方が、長く考え続けられるものもある。

おそらく私は、このときすでに、どちらが「うまくできたか」よりも、どちらが「生き続けられるか」に関心を移し始めていたのだと思う。


当時の私は、Gouverneur の言っていることを理解していなかったし、ベネズエラという国を理解していたわけでもなかった。理論も、背景も、きちんと把握しないまま、ただ現地を歩いていた。それでも、公園と、ドイツ村と、バリオという三つの風景だけが、いまも理由の分からない強さで残っている。

理解よりも先に、風景が身体に触れてしまうことがある。
分かったつもりになる前に、応用しきれないまま残ってしまう思考がある。私はカラカスで、それを確かに経験していたのだと思う。

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