「軍靴の足音が聞こえる?」:【選挙とカーキーと中国】
一部のマスコミが「軍靴の足音が聞こえる」と喧伝しますが…
それたぶん幻聴です。陸自の半長靴は静音性が高いから

カーキー色と選挙:色は土壌を映し、政体は軍服に現れる
「カーキー」という色に、あなたはどんな印象を持つだろう。
日本人にとってのカーキーとは、おそらく陸上自衛隊の戦闘服に代表される「緑みを帯びた土の色」だ。
森林に覆われた日本列島の地勢に最適化されたその色は、
旧日本陸軍から自衛隊まで一貫して
「緑の多い地形で目立たない色」として採用されてきた。
ところが、同じ「カーキー」という言葉でも、中国の友人たちが思い浮かべる色はまったく異なる。
彼らにとってカーキーとは、
黄土と灰色が混ざったような、乾いた土壌の色であり、
それは人民解放軍の制服の原風景でもある。

この差は単なる色彩感覚の違いではない。
それは、その国の地質・気候・土地利用・
そして政治の成り立ちを反映した違いであり、
軍隊の装備にまで及ぶ国家哲学の違いなのだ。
緑の島国と、むき出しの大陸国家
日本列島は湿潤で、山がちで、樹木に覆われた国だ。
土は腐葉土に富み、降水量は多く、地面はしばしばぬかるんでいる。
それに対して中国大陸は広大だが、内陸部は乾燥し、
森林は歴史的に伐採され、
黄土高原や華北平原は風と水によって絶えず浸食され続けてきた。
酸化した表土は鉄分を帯び、黄褐色から赤褐色に変化し、
その土の色が軍服や都市景観、さらには国家の意識
にも浸透していく。
つまり、軍服の色は「敵に溶け込む」色であると同時に、
その国家が戦場とみなしている地理空間の色でもある。
そして軍事は政治と不可分である以上、
その色彩は政体の性格すらも暗示する。
軍事色が映す政治の意識構造
人民解放軍の制服の色が「乾いた灰褐色」であるのは偶然ではない。
中国の国家体制が、内陸の支配・人の移動の統制・緊張の持続によって安定を保つ構造である以上、
軍はあくまで国内統治の一部として存在している。
だからこそ、カーキーは都市にも似合う。
市民と兵士の境界が曖昧な体制では、
軍服が目立たないことが望ましいからだ。
一方、日本における自衛隊の装備は
「国外の脅威」を想定した抑止力である。
だからこそ迷彩は森林の中でのみ有効であり、
都市空間にはむしろ不釣り合いになる。
この違いは、政体が市民とどう関係するかという根本的な問いに直結する。
なぜ日本人は選挙に行かないのか?
カーキーという色が日本と中国では違うように
選挙という行動に対する考えたが日本と中国では極端に違う。

中国の友人たちが、日本について口をそろえて言う不平がある。
「どうして日本人は選挙に行かないんだ?」
「民主主義の権利があるのに、なぜ行使しない?」
彼らにとって選挙とは、憧れに近い行為だ。
彼らは、自分たちが一生経験できないかもしれない自由に、
目の前の日本人が無関心なことに、言い知れぬ怒りと虚しさを感じている。
それはまさに、乾いた大地に住む者が雨に憧れる構図と似ている。
台湾を憎む本土民の深層心理と日本の無気力
中国史研究者でもある高島俊男が著作の中で
「中国本土の人々が台湾人を忌み嫌う本当の理由は、
彼らが“自分たちで王を選べる”からだ」と書いておられた。
この指摘は鋭い。
同じ民族、同じ文化圏でありながら、
民主的な統治者を選ぶ自由を持つ台湾と、選べない本土。
だからこそ、本土の人々は台湾に対して複雑な感情を抱く。
だが、その台湾よりもさらに投票率が低い日本人は、
彼らにとってどう映るのか。
自らの手で国家を変える権利を持ちながら、
それを放棄し続ける国民。
自由と平和を当然のものと見なすその姿は、
彼らから見れば、地に足のつかない理想郷の住人か、
あるいは現実を直視しない無責任な存在に映る。
終わりに:軍服の色と投票率はつながっている
カーキー色の話は、ただの色彩の話ではない。
それは国家の土壌と歴史、そして政治体制のあり方を映す鏡である。
日本人が「森の中で目立たない色」に安心感を覚え、
中国人が「乾いた土壌に馴染む色」を当然とするのは、
単なる習慣ではなく、政体への反射神経である。
そしてその政体に参加する方法が「選挙」だ。
参加しなければ、政体の色は変わらない。
それどころか、いつのまにか土壌ごと腐っていく。
腐ってから文句を言っても始まらない。
誰に投票しようと自由は貴方の手の中にある。

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