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セブンよなぜヨーカドーを捨てたのか…サトウココノカドウの呪い?

お盆が近づくと、なぜか思い出されるのは「サトウココノカドウ」である。

もとい「佐藤、九日堂」──もとい、「イトーヨーカドー」。

あのスーパーの灯りがまた一つ、また一つと消えていくとき、日本人の心のどこかで「何かが裏切られた」というほの暗い感情がふつふつと沸き起こる。
もちろん、セブン&アイ・ホールディングスはビジネス的には正しい。
スーパー部門は赤字、コンビニは黒字。
合理化と選択と集中。
追浜工場閉鎖も、収益化の道を探った末の英断である。
理屈では誰もがわかっている。

だが、心情では誰も納得していない。

■ ヨーカドーは「うちの近所の憩いの場」だった

イトーヨーカドーとは、イオンが出現するまでの日本人にとって「総合スーパーの象徴」だった。

屋上には観覧車があり、おもちゃ売り場にはスーパーマリオの体験台があり、母親は食品売り場で惣菜を買い、父親はビール売場で発泡酒を試飲した。

「イトーヨーカドー」は、家族の象徴だったのだ。

それをあっさり切り捨てた企業に、情緒ある選択をする日本の消費者が、無意識にノーを突きつけている

■ 「セブン・ローソン・ファミマ…え?じゃあミニストップでいいか」

いまやコンビニに求められるのは、利便性・価格・商品力だけではない。

「なんとなく、そこの企業が好き」という、どうでもいいようで、どうしようもなく重要な共感である。

たとえば、ローソンはPonta、ファミマはTカード、ミニストップは謎の孤高。
そして…セブンは「ヨーカドー捨てた会社」という感情が根にある。

それがどう表れるか?

「どこでもいいならセブンはやめとこう」という、無意識の選択肢除外
コンビニ激戦国・日本において、これは極めて重大な兆候である。

■ イトーヨーカドーは死んだ。だが、セブンもいつまで生き残っていられるのか不明

企業の“祖業”を切り捨てるということは、単なる事業整理ではない。
それは「魂の棄却」でもある。

日産がゴーン時代に「サニー」を消したとき、確かに業績は回復した。
だが日本人の心からは、日産というブランドへの信頼はどこか遠のいていった。
結果?
売れるのはノートだけである。

そして今、セブンも「近くて便利」ではなく、「なんとなく冷たいセブン」という存在に変わりつつある。

■ 「サトウココノカドウの呪い」は、信頼を失った企業にかかる

サトウココノカドウ。
それは都市伝説ではなく、日本人の生活史に刻まれた呪文のような名前だ。

そしてこの呪いは、一度信頼を裏切った企業のみに効く
それがたとえ売上高10兆円企業であっても、消費者が心の中で「もういいや」と思えば、すぐに「代わり」は見つかるのが今の日本だ。

■ まとめ:消費者の“情”を侮るなかれ

  • 「合理」は企業を救う。

  • だが「情」が消費者を動かす。

セブンは、イトーヨーカドーを切ったその瞬間から、B2Cの「C」の“心”を、ひとつひとつ失っていっている。
これは数字では見えないが、確実に未来を左右する現象である。

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