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【道行き8−2】

【第八章『八雲』-2】

 八雲やぐも小百合さゆりは、昭夫あきおのために小さな葬儀を行った。参列者は僅か数人というとてもさみしいものだった。
「あの子は、空に戻っていったの?」
 火葬の煙を見ながら、小百合が聞いた。
「そうだな……」
 としか、八雲は答えられなかった。
「お墓を買おうよ、あの子のために」
 小百合がそう言った。僅かしかなかった貯金をすべて使い、二人は昭夫の墓を用意した。そして昭夫の四十九日法要をすませたその日、その小さな遺骨を墓に埋葬した。

 小百合がマンションの屋上から飛び降りたのは、その翌日のことだった。わずか二か月の間に最愛の家族をすべて失い、一人になってしまった八雲の落胆は、見ていられないほどだった。その時の八雲は、神の存在を疑い、やがて否定した。

 それから一か月半が過ぎ、小百合の四十九日法要を済ませた八雲は、家族とともに暮らしたこの街から姿を消した。そして三年の月日が流れ、八雲は再びこの街に帰ってきた。

 八雲はいつも、小百合に何もしてあげられなかったことを悔やんでいた。言い訳ならいくらでもできた。だが、そんなものはなにも役に立たないことは、八雲自身が一番わかっていた。
 そんな後悔に押し潰されそうになりながら、八雲は報道カメラマンの道を選んだ。パレスチナの戦地に自身の死に場所を求め、銃弾が飛び交う戦場の中を走り回り、写真を撮りまくっていたのだ。そんな彼を、「命を顧みない写真家『デビル・アイ』」と、報道関係者たちが呼ぶようになった。
「悔やんでも悔やんでも、過去は変わらない」八雲の笑顔の陰で、時折見え隠れする暗い影の正体は、こんな過去が作ったものかもしれない。

「私がパレスチナで報道カメラマンをしていたとき、そこで戦場カメラマンのいろはを教えてくれたのが師匠だった。師匠は手取り足取り私に教えてくれた、死なないための方法をね。その師匠が呼んでいる『お前の力が必要だ、イスラエルに来てくれ』と。だから私は行く」
「でも、帰ってくるんでしょ? ねぇ、必ず帰ってきて! 約束して、お願い」
「・・・・」
 八雲はなにも答えない。ただ、時間だけが二人の中を流れている。
「好きなの、あなたが…… きっともう、愛し始めている」
「言ったはずだよ、『私に関わるな』と」
「だって、もう……」
「まるで駄々っ子じゃないか、困ったお嬢さんだ。どうしてこんな中年男のダメ男にそんなことを言う」
「だって、だってもう……」
 そういいながら、茉由まゆは八雲に身を預けるようにしがみついた。
「私は人を愛する資格も、愛される資格もない、そういう男だ。戦場でシャッターを切ることしかできない。目の前で死んでいく人間を写真にして金を得る。そんな生き方しかできない男だ」
 茉由の肩を静かに押して体を離す。八雲はタバコに火をつけて吸い込むと、静かに紫煙を吐いた。
隆夫たかおは本気だ、本当にキミのことが好きなんだ。女はね、自分を愛してくれる男と一緒になって、幸せになることだ。間違っても、自分が好きになった男と一緒になってはいけない。わかるかい?」
「・・・・・」
「さぁ、もう帰ろう」
「・・・・・」
 返事ができない茉由の肩を抱き寄せるようにして、八雲は車に戻る。助手席に茉由を乗せ、八雲は無言で車を走らせた。

 自宅まで茉由を送る。駐車場に車を停め八雲が外に出ると、店から女性が現れ、ゆっくり八雲の方に近づいてきた。
「送ってくれたのね、ありがとう」
 そう言って女性は助手席のドアを開けた。茉由が俯いて座っている。
「さぁ、降りるのよ茉由。家に帰ろう」
佳奈かなさん」
 顔を上げた茉由が女性に呼びかけた。
「あなたは?」
 八雲が女性に聞く。
「この子の保護者です。なにか?」
「いえ、遅くまですいませんでした」
「あなたが八雲さん?」
「はい」
「兄にでもなったつもり?」
「え!」

“ パーン! ”

「え!」と八雲が答えた瞬間、その頬を女性が平手打ちした。あっけに取られた八雲は呆然とその場に立ち尽くす。
「ごめんあそばせ」
 そう言い残して女性は茉由の肩を抱き、店に入って行った。

「・・・・・」

 なにが起きたのか? 理解が追いつかない八雲はそのまま立ち尽くしていたが、やがて頭を振って車に戻った。
「すっかり見透かされていたということか、あんな女性もいるんだな……」車を走らせながら、八雲はそんなことを考えていた。頬がやたらと痛んだ。

 それから一週間が過ぎた。隆夫は無事退院して、リハビリのために通院する毎日を過ごしている。そんな隆夫のところに八雲が訪ねてきた。
「こんにちは。どう、調子は?」
昌夫まさおさん、久しぶりですね。もう自分では大丈夫と思っているんですが、リハビリの担当がうるさくて……」
「あはは、そうなんだ。リハビリはしっかりやることだよ」
「そうでしょうけど、面倒くさくて」
 そう言うと、隆夫は苦笑いした。
「ところで、今日は?」
「車を返しにきたんだ」
「そうですか、じゃ本当にイスラエルに?」
「あぁ、明日、日本を立つ」
「そうなんですか、寂しくなります」
「お前はもう大丈夫だよ、一人でちゃんとやっていける。自信を持つんだ、いいね」
「でも…… やっぱり寂しいですよ」
「はじめのうちだけだ、やがて慣れて忘れる。人間というのは、そういう生き物だ」
「そういう言い方はしないでください。寂しいのは本当です」
「そうだね、ちょっと言い方が悪かった。すまない」
 二人はしばし沈黙していた。

「どうでした、この車」
 その沈黙を破るように、隆夫はつとめて明るい口調で聞いた。
「うん、いい車だったよ。隆夫はいい仕事ができるようになったね」
「ありがとうございます、そう昌夫さんに言ってもらえる日がくるなんて、本当にうれしいです」
「私の本当の気持ちだよ。ありがとう、今回はこの車に助けられたよ」
「明日は何時に出るんですか?」
「朝の早い新幹線になるね、成田を出るのは午後の便だ」
「そうですか、茉由は知っているのですか?」
「彼女と私は何も関係ない、教える必要もない」
「それでいいんですか? 本当にそれで……」
「勘違いしてるようだが、私と彼女はなんでもない。これから彼女を幸せにするのは隆夫、お前だよ」
「・・・・・」
「それじゃ、もう行くね。ありがとう隆夫、世話になった」そう言って、八雲は右手を隆夫の前に出した。
「ありがとうございました。昌夫さんがいたから、私は立ち直ることができました」
 隆夫はそう言うと、八雲の右手を両手で包むように掴んだ。俯いている隆夫の肩をパンパンと叩き、なにも言わずに八雲は歩き出す。その背中を見送りながら、隆夫は深々と頭を下げた。

      ーー続くーー




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