【道行き3-4】
【第三章 『写真』-4】
「今のトンネル、気味が悪くて苦手だよ」
トンネルを抜け、北沢川の橋を渡りながら八雲は言った。
「私もちょっと怖かったわ」南沢川の橋を渡りながら茉由が答えた。
この南沢川に掛かる橋が奥新川橋だ。この橋を渡り、坂を登って行くと奥新川駅はもうすぐだ。一目で廃屋とわかる建物の横を通り、車は奥新川駅に着いた。
「着いたよ」
「凄いところね…… ここって」
「江戸時代から、ここには銅鉱山があったらしい。大正時代にその鉱山が再開発され、人口六百人の新川集落になった。そして仙台から延伸してきた仙山東線と、山形から延伸してきた仙山西線が接続され仙山線として全通した時に、宮城県の最も西に位置する駅として、この駅は開業したんだ」
「そんな歴史があったのね、この駅には」
「この集落には林業・鉱山・鉄道の各関係者が住んでいたけど、林業が衰退して、鉱山も閉山すると、鉄道関係者だけが残った。そして、その後も人口の減少は止まらず、利用者の激減した駅は無人駅になったわけさ。やがて、山の中にひっそりと残る、文字通りの秘境駅になった」
「物知りなのね、驚いたわ。歴史が好きなの?」
「その話は、またいつかね。さてと、撮影の準備だ」
そう言うと八雲は外に出て準備を始める。後を追うように茉由も車を降りた。
「写真、撮るのね」
「ああ、仕事だからね。あ、これ付けて、鈴」
そう言いながら八雲は熊鈴を茉由に渡す。受け取った鈴を腰に着けると、茉由はピョンピョンと跳ねてみた。熊鈴はカラカラと乾いた音を出した。
「初体験! 面白い!」
子どものように笑いながら、茉由は何度も跳ねて遊んでいる。八雲は時計を見て準備を急いだ。
「そろそろだな」そう言いながらビデオカメラをホームにセットして茉由を呼ぶ。
「ここでこれを支えててくれ、まもなく快速列車が来る。停まらないから、通過する時の風圧で倒れないように頼む」
「そんなに凄いの、風圧って」
「ゆっくり走っているはずだから大丈夫だと思うけど、念のためね。それに暇でしょ」
「暇って…… まぁ、暇ね」
「私は向こうから撮るから」そう言うと、八雲は反対側のホームに走って行った。
五分と待たずに快速列車が姿を見せた。列車の駅を通過するスピードはとても遅く、茉由の支えなどまったく必要なかった。
「スカートじゃなかったのが、ちょっと残念だったな」そんなことを考えながら、八雲は列車が通り過ぎたホームに立ったままの茉由を見た。茉由のところに戻ると、ビデオカメラの設定を見直しながら八雲が言う。
「またこっちから列車が来る」
「また支えればいいのね」
「その必要はないよ。普通列車だから停まる。ただ、見守っていてくれればいい」
「わかったわ」
茉由の返事を聞いてから、また八雲は反対側のホームに行く。まもなく仙台行の普通列車が駅に停車したが、列車を降りた乗客は一人もいなかった。
「ありがとう。今度は十八分後だから、ちょっと休もう」そう言って茉由を車に戻し、八雲は駅舎やその周辺を撮影している。その姿を見ながら茉由は車内でお菓子を食べていた。
「チョコちょうだい」ひと通り撮影を済ませると八雲は車に戻り、少し甘えたように茉由に言う。
「はい、チョコ」茉由は板チョコを欠いて、八雲の口に入れて笑う。
八雲はチョコを口のなかで溶かしながら時計を見て言った。
「あと五分で電車が来る」
「また撮るのね」
「あぁ、また撮る」そう言いながら、八雲は茉由を見つめた。
「どうしてそんなに見つめるの? なんだかちょっと恥ずかしい」
そう言うと、茉由は八雲の視線から逃げるように顔を横に動かす。それに構わず、八雲は茉由の横顔をじっと見つめて呟いた。
「さてと、仕事の時間だ」
「そうね」
二人は同時に車のドアを開けた。同じビデオカメラの前で八雲は茉由に言う。
「今度の電車も停まるから、支えなくていいよ」
「そうなの?」
「あぁ」そう言うと、八雲はカメラを持って、今度はホームの先端に行った。
すぐに山形行の普通電車がゆっくりとホームに入ってきた。茉由はビデオカメラの後ろでじっとその電車を見つめる。電車を降りた乗客はまた一人もいなかった。
警笛が鳴り、ガタンという大きな金属音の後でゆっくり電車が動き出す。するすると流れるように茉由の横を電車が通り過ぎた。
「下月さん」後ろから自分を呼ぶ声が聞こえ、茉由は振り向いた。
「カシャ、カシャ」というカメラの連写音が聞こえる。八雲が三脚を立て、ファインダー越しに茉由を見つめていた。
「恥ずかしいから止めて」茉由は顔を手で隠すようにしながら八雲に言った。頬が上気して赤くなってくるのが自分でもわかる。
「キレイだよ、少しじっとして。手は下げて欲しいな〜」ファインダーから目を離さずに、八雲が茉由に言う。茉由の手はゆっくり下げられ、瞳は八雲を見つめるようにレンズに焦点が合った。
「そう、その目はいいよ。とてもいい! ゆっくり右を向こうか、目線はそのままで、顔を右に。そう、ゆっくりね」
茉由はそれからも、八雲の言うとおりに動く。なぜそうしているのか、自分でもわからない。ただ、八雲が撮るカメラの連写音を聞いているのが、とても心地よかった。
二人はカメラや機材を持って車に戻った。八雲が手際よくカメラと機材一式をバッグに片付けている。茉由は傍らでそれを見ていた。
「これで撮影は終わった」その事実を突きつけられた茉由は、切なくて涙がこぼれそうになった。
「終わりなのね」やっと言葉を見つけたように茉由が呟く。
「あぁ、今日はね」
「今日は?」
「日が暮れる。撮影するところはまだあるんだけど、あとは明日」
「明日も来るの? 今夜、旅に出るって……」
機材の入ったバッグを積み込み、リアハッチを八雲が閉める。
「だって、ほら」そう言って、手のひらを茉由に見せた。
「出発が遅れたから?」
「ま、そういうこと」そう言うと、八雲はペットボトルの水をごくごくと飲んだ。
「とにかく、まずはトイレに行こう」
茉由を促すように車に乗り込み、二人は奥新川駅を後にした。
山には夕暮れが押し寄せ、帰り道はすぐに薄暗く気味の悪いものに変わる。
「逢魔が時……」八雲が呟くように言う。
「ちょっとなに、怖いわ」
「あそこは心霊スポットなんだ、だから早めに退散する。これでも少し遅いくらいだ」
ライトを付け、先を凝視しながら慎重に八雲は車を進める。外灯など一切存在しない林道は、その先がどこにつながるのかさえ教えてはくれない。
「このまま帰れなかったら……」そんなことを考えながら、茉由は八雲の横顔を見つめた。
「いいわ、それでも」呟くようにそう言うと、そっと茉由は右手を八雲の左手の上に添えた。
国道まで戻った車は、来た時に寄ったコンビニを目指して走っていた。
「戻れなかったらどうしよう…… って、考えてたの」茉由は呟くように言った。
「もしそうなったら、どうする?」
「それでもいいかなぁ…… って、思った」
「そうか……」と言ったきり、八雲は何も話さなくなった。
ほどなくして、車はコンビニの駐車場に停まる。トイレを済ませ、二人は黙って車の中で熱いコーヒーを飲んでいた。
ーー続くーー

