【 雨音色の夏 プロローグ 】
【テロメア】を、ご存知だろうか?
テロメアとは、細胞の染色体の末端にある特殊な構造物で、その長さを見ると『人の寿命』がわかるらしい。『命のロウソク』とか『命の回数券』ともいわれている。
さて、この『人の寿命』だが、誰がどこで決めているのだろうか?
落語の演目『死神』では、死神がロウソクの長さで決めていた。火のついたロウソクが溶け、だんだん小さくなって消える。それまでが、その人の一生ということだ。
伊坂幸太郎の小説『死神の精度』では、「寿命っていうか、運命っていうか、そういうのってあるんですかねえ」という女性の問いに、「寿命はあるさ」と、一旦言葉を切り「ただ、誰もが寿命で死ぬとは限らないんだろうが」と、興味深い言葉を死神に語らせている。
また、小説『天国の本屋』では「寿命を全できなかった人間が、寿命の残りを過ごしている場所」のことが書かれている。作者は、松久淳+田中渉。
そもそも、人間にとって【寿命】とは何なのか? 死んだ経験のない私にはわからない。だが、ひとつだけはっきりしていることがある。それは「誰もが、やがて死んでいく」ということだ。寿命の意味がわかっても、わからなくてもそれは変わらない。命の法則のようなものだ。
日本人は死について考える人の比率が、世界でも突出して多いと言われている。それでも「やがて自分も死ぬ」という当たり前のことを、自分のこととして理解している人間は、案外少ないように思える。
われわれは「自分が死ぬ」ということを、いつもどこかに置き忘れて生きていないだろうか? 「明日の朝、自分がこの世界で目を覚ますことができる」こういう保障を持っている人間など、この世に存在しない。いや、数時間後、数分後の【生】の保障すら持っていないのが、本来の【生きる】ということではないのか。
未来は誰にもわからない。「今、生きているから」ということが、「これから先も生きていける」という理由にはならない。人は「明日も生きていけるだろう」という期待値を追いかけているだけなのだ。
人は生まれるとすぐ母親に抱れる。まだ自分で何もできない赤ん坊は、母の優い眼差しに見守られて眠るのだ。ならば、終焉の時はどうなのだろう? 生と死はセットだ。どちらかが単独で存在することなどあり得ない。
だからこそ人は、誰かに抱かれてその時を迎えるべきなのだ。できるなら最愛の人に…… 少なくとも私は今、こう考えている。
Facebook公開日 8/19 2020

