『夜のトンネルに響く汽笛-3』
2026年、かつての線路がアスファルトに変わっても、あの場所にはまだ響く音がありました。『夜のトンネルに響く汽笛』、本日完結です。
▽ 第1話はこちら『夜のトンネルに響く汽笛』ー 第一章 ー
▽ 第2話はこちら『夜のトンネルに響く汽笛』ー 第二章 ー
ー 第三章 ー
「そこ、片づけようか?」ボックス席を見て、西田が言う。
「そうね、もう帰ったようだし、片づけようかな~」
「もう帰ったって、誰か来てたの?」博之が聞く。
「うん、ちょっとね。でも、もういいみたい」
「もういいみたいって?」博之は納得できないように呟く。
「はい、ママ」と言って、西田はテーブルにあったコップやらをカウンターに置いた。
「ありがとう、西さん」沙知絵に礼を言われ、カウンターに腰掛けた西田は、ちびりちびりと水割りを飲み始めていた。
「なんだかさ~ 悪いママ、今日は帰るわ」
「どうにも居心地が悪い」とでも言いたげな素振りで、西田は帰っていった。
しばらくして、またスナックの扉が開いた。ぐったりと肩を落とした薫が、扉の前にいた。
「薫じゃねぇか、どこ行ってたんだよ、車置きっぱで」
「みんなは? もう帰ったの?」
「みんなって、誰のことだ」
「さっきまで一緒に飲んでたんだ、ねえママ。雅文と辰也、それから燿子ちゃんもいたよね」
「おい、なにバカなこと言ってんだ。そんなわけねぇ」
「まぁまぁ、まず、ここに座って。水割りでいいでしょ」
ぽかんとしている薫に、沙知絵がそう言いながら博之の隣の椅子をすすめる。
「お前はこっちにいなかったからな、しらねぇだろうけど」
「なんの話、私は雅文と辰也と」
「だから、そんな……」博之が薫の話を止めるように言った。
「そんなわけねぇんだ。波に飲まれたんだ、そいつらは」
「だってそんな、さっきまで一緒に」
「飲めるわけねぇんだ、オレはこの目で見てるんだ。雅文は三日後に、そして辰也は五日後に見つかっている。妹の燿子も五日後だった」
「そんな、だってさっきまで、ね、ママ」
「そうよ、一緒に飲んでたわ、あなた達はね。でも、ヒロちゃんの言った通りよ。みんなはこっちの人じゃないのよ」
「こっちの人じゃないって、じゃ、どっちの人なの。なんで私だけ一緒に飲んでたのよ」
「あの子達だけじゃないでしょ、あなたが会ってきた人は。呼ばれたのよ、あなたは。心当たりがあるでしょ」
「呼ばれたって……」
「あなた、どうして今日ここに来たの? だれかから連絡があったからでしょ?」
「だれかって、燿子ちゃんからラインきて……」
「見せなさい、それ」
薫はスマホを出して、ラインを開いた。だが、燿子からのメッセージはどこにもない。
「あれ、おかしいな?」
慌ててスマホを操作するも、結果は同じだった。
「何度やっても同じよ。それよりあなた、燿子ちゃんといつライン交換したの?」
「え!」
絶句して沙知絵を見る薫の顔が、だんだん青ざめていく。
「そういうこと、わかった」
薫は振り返って、黙ってグラスを傾けている博之を見た。
「もしかして、由美は? 由美はどうしてるの、ヒロ」
「・・・・」博之はなにも答えない。
「なんで黙ってるの、由美はどうしたのって聞いてるのよ!」
博之の胸ぐらをつかんで、叫ぶように薫が聞く。
「薫さんだっけ、止めなさい。私が教えてあげるから、ね、いいでしょ、ヒロちゃん」沙知絵がそう言って、薫の手をほどいた。
「すいません、つい」薫が沙知絵に謝ると、
「オレが話します」と、グラスを見つめながら博之が言った。
「由美はあの日、オレと喧嘩になって家を飛び出していったんだ。あの海に行ってたと思う、海岸近くで見かけた人がいるんだ。その後であの地震だ。オレはすぐ探しに行ったんだ。でも、津波が来るからと見回っていた消防団に止められた。すぐその後に津波が来た。オレは車を捨てて走って逃げた。逃げ遅れた人は、片っ端から波に飲まれていった。それを見ながら、オレはなにもできなかった」
「それで由美は、由美はどうしたのよ!」
薫の声がまた大きくなった。
「まだ帰ってこない……」
そこで博之の話は止まった。
カウンターにポタポタと音がするくらい、涙を流す博之の姿があった。
「悪かったわ、ヒロ」薫は素直に謝った。
「帰るよ、ママ」そう言うと、博之は店の扉を開けた。
「気が向いたら、また来い。一緒に飲もう」振り向くことなくそう薫に言うと、博之は扉を閉めた。
「由美ちゃん、かわいい子だったもんね」
「知ってるんですか?」
「写真を見せてもらったことがあるのよ」
「そうだったんですか」
「好きだったんでしょ、彼女が」
「はい…… 大好きでした」
「高校の時、そう素直に言ってあげればよかったのよ」
「……そう言われました、由美にも」
「でしょ、でも驚いたわ。連れていかれたと思っていたら、帰ってくるんだもの」
「だって由美が、由美が…… 私を……」
「愛していたのね、あなたを……。 だから一人で……」
「由美は最後に…… 最後に…… 私を…… って、え! ママ、どうして知ってるんですか!」
「え! なにを?」
「なにをって、だから、その……」
「私はなにも知らないわ」
「・・・・」
「まいったな~ 私はどこに行って、誰と話をしてきたんでしょうね」
「海で由美さんと話してたんでしょ」
「知ってんじゃん」
「さぁ~」
「クス」と笑ってそういうと、沙知絵は自分の水割りを作り始めた。
「ごちそうさまでした、帰ります」
「どこに帰るの? 飲酒運転はダメよ」
「あ、そうでした。困ったな~」
「困ること無いわ、ここで朝まで飲みましょ」
「あはは、それじゃ、朝になっても帰れないでしょ」
「ふふふ、それもいいでしょ」
「ま、なるようになるわね。おかわり下さい、今度はハイボールで」
薫はグラスを沙知絵に差し出した。
ハイボールの泡の先に、由美の笑顔が見えたような気がした。
「あの潮風は、あちら側の世界へ誘う手招きだったのかもしれない」
一筋の涙が頬を流れた薫の耳に、由美が乗った汽車の汽笛がよみがえるように響いていた。
それから、さらに八年の歳月が流れた。 2026年の現在、松丘駅の跡地はBRT(バス・ラピッド・トランジット)の駅として整備が進み、かつての鉄路の面影はアスファルトの下に沈んでいた。
「ママの店に行くか、一杯付き合え」
思い出に浸っている薫に、博之が言った。
「いいよ、蜃気楼ね。ママは元気?」
「元気だ」
二人は「スナック 蜃気楼」に向かって歩き出した。
薫は一人、『スナック 蜃気楼』の重い扉を押し開けた。カラカラと鈴の音が出迎える。
「あら、薫ちゃん、久しぶり」
「ご無沙汰でした」
「どうしたの、今日は」
沙知絵が温かいおしぼりを、薫の前に出した。
「駅に会いにきました」
「そうか⋯⋯ 変わったでしょう」
「はい、びっくりです」
おしぼりで手を拭きながら、薫が答えた。
沙知絵が水割りを薫の隣に置きながら
「なににする? あなたも水割りでいい?」と聞く。
「うーん、ハイボールでもいいですか」
「いいわよ、なんかあの時みたいね」
「あの時以来、好きになっちゃって」
「あれから、もう8年ですね」
「早いわね、もう8年過ぎたなんて」
「結局、ヒロは事故か自殺かわかんないままだし」
「どっちだと思うの、薫ちゃんとしては」
「わかんないけど、あのヒロが海花を一人にするとは思えないです」
「でも、軽トラで高速140kmだったって聞いたわよ」
「なんですよね……」
二人は黙って、水割りのグラスを見つめた。
店の扉が開き、高校生らしい女の子がおずおずと入ってきた。
「こんばんは。あ、薫ちゃんいた。迎えにきたよ。って、あ~ お酒飲んでるし」
「え! 誰? お子さん? 結婚してたの?」
「違いますよ、『海花』です。ヒロと由美の忘れ形見」
「この子を薫ちゃんが?」
「だって、あの二人の子供よ。私以外、誰が引き取るんですか。ヒロの葬式の日、『この子は誰にも渡さない!』って、啖呵を切ったんです、私」
「そうか、薫ちゃん、ヒロちゃんの従兄弟だったもんね」
「そうですよ」
「かっこいいよ! 薫ちゃん」
「えへへ、ありがとうございます」
「しかし、そういわれてみると、由美ちゃんそっくりね」
「でしょ、ちょっと怖いくらい!」
「ねぇ〜 そんなことはいいから、早く帰ろう。おじいちゃん車で待ってるよ」
「はいはい、じゃ、ママ、ごちそうさまでした」
薫はハイボールを一気に飲み干して言った。
「ありがとうございました。また来てね、薫ちゃん」
「またね、ヒロ」小さく呟いて、薫は海花と手をつなぎ、店の外に出た。生きているものの温もりが、つないだ海花の手から薫に流れていた。
二人が松丘駅に行くと、薄暗い街灯の中をBRTバスが走って行く。そしてあの日、由美が乗った汽車が入ったトンネルに、バスも入って行った。
夜のトンネルから、もう二度と聞こえるはずのない、あの低く震える汽笛が響いた。
ー完ー

