【道行き2-2】
【第二章『車』-2】
「残り四百だから盛岡往復で大丈夫だろう、直線で全開にしてみよう」そんなことを考えながら、茉由は西道路のトンネルに入った。今夜は金曜の夜。今夜中に慣らしを終わらせ、明日の朝隆夫に車を返すのだ。
片道二百キロを一時間半で走り、盛岡のコンビニで小休止。七時に仙台を出た茉由は、十時半前に戻ってきた。トリップメーターのカウントは、すでに千キロを超えている。十一時前なので、隆夫はまだ起きているだろうと思った茉由だったが、隆夫の家には行かず自宅に帰った。
「友だちだが男と女なのだ、この時間に訪問するのはまずいだろう」そう考えてのことだった。茉由が店の駐車場に車を入れると、父親の「昇」はまだ店にいた。看板に光はなく、薄暗いカウンターでウイスキーを飲みながらレコードを聞いている。
「早かったな、もう終わったのか?」
立ち上がり、ステレオのボリュームを落としながら昇が聞いた。
「うん、終わった。楽しい車だったわ、返すのがちょっと残念」
父親のウイスキーを見ながら茉由が言う。
「私にもちょうだい、ハイボールがいいな~」
甘えてみせる娘に勝てる父親はいない。言われるままグラスに氷を入れ、ウイスキーを注ぎソーダ水で割る。出来立てのハイボールを茉由の前に置きながら昇は言った。
「ま、隆夫君の車なんだ、返すしかないだろう」
「そうね、なんだか初めて自分の車にしたいって思ったわ」
「へぇ~ そんなにいい車だったのか?」
「ぜんぜんいい車じゃないわ、型も古いし…… でも、乗っていると楽しいの。なんて言うのかな~ ちょっとヤンチャな男の子みたいなの」
「お前は昔からそうだな、どこか普通の人と感性が違う」
「だって優等生って、ぜんぜんつまんないでしょ! 成績もよくて、スポーツもできて、親や先生の言うこともちゃんと守って……」
「いいことじゃないか、すべてがまとまって! ヤンチャばかりしている小僧なんか、どうにもならん」
「でもねお父さん、そういう子たちってみんな同じに見えるのよ。『あぁ、この子たちは社会に出ても、みんなと一緒のことしか出来ないかもしれないな……』って思っちゃう」
「いい子のどこが不満なんだ?」
「お父さんよく考えてみて! 大人が言う『いい子』って、誰かの都合の『いい子!』ってことでしょ!」
茉由の鋭い視線が、昇の目を見つめたままピクリとも動かない。昇は観念したように言った。
「やれやれ、今夜も私の負けのようだな。お前のその性格、誰に似たんだ?」
「誰に似たんでしょう?」
「たぶん母さんだな、オレじゃない」
「そんなお母さんを奥さんに選んだ人も、そうとう変わり者だと思いますけど」
「それもそうか、あはは」
「あはは、では今日はここまで!」
残ったハイボールを一気に飲み干し、茉由が話しを終わりにしようとするのを昇が止める。
「おい、車の話はどうなったんだ?」
「あれ? どこかで脱線しちゃった、覚えてな~い」
「あぁ、これも母親譲りか…… オレはもう寝るぞ」そう言いながら、昇はレコードをターンテーブルから外し、ジャケットに入れた。
「あなた譲りよ! 私もシャワー浴びて寝ようっと」
茉由は入浴の準備を始めた。
「あんなふうに自由に会話ができるのも、実の親子だからよね。稔は…… 稔とは、ケンカにしかならなかった」
大きめのドライヤーを机に固定して遠くから温風をかけ、長い髪を労るようにゆっくり乾かしながら、茉由は別れた夫のことを少しだけ考えてみた。
昨夜千キロ慣らしを終えた茉由は、朝食を済ませると隆夫の自宅へと車を走らせた。
「おはよう、お疲れさん」茉由から連絡を受けていた隆夫は、つなぎ服に着替えて待っていた。
「ギリギリだったね、遅くなってごめん」
「無理言ってすまなかった。ところでどうだったこの子は」ボンネットを開けながら、隆夫は茉由に聞く。
「楽しかったわ、『この車が欲しい』って初めて思ったくらいよ」
「そいつは光栄だな~ オレの自信作なんだ」
目視でひと通り全体を見てから、隆夫は車庫に車を入れた。ガレージジャッキで車体を上げ、ジャッキスタンドで固定する。タイヤが外され、オイルが抜かれ、ブレーキなどの点検が始まった。毎度のことだが、その手際の良さに茉由は感心していた。
「どうした?」
「早いな~ って思って見てた。でも、どうして会社のガレージ使わないの?」
「どうしてって、会社のものだからさ」
「お父さんの会社でしょ、それに設備だってそっちのほうがいいでしょ」
「ははは、親父の会社だけど、オレはただの社員だよ」
「社長さんの息子なのに?」
「関係ないよ、オレはただの社員。社長の息子だって知らないやつもいるんだ」
「まさか」
「本当さ、親父はオレを特別扱いしないよ。みんなと一緒さ」
「そうなんだ……」そう答えながら、「複雑な関係なんだな……」と、茉由は思った。
体育座りしたままの茉由が隆夫に聞く。
「ところで、誰に貸すの? こんな大事な自信作を」
「義理のある人にさ。昔、ヤンチャしてたころに世話になった人なんだ。年の離れた兄貴って感じの人だよ」
「へぇ~ 隆夫にそんな兄貴がいたんだ」
「一週間くらい旅をするらしくて、レンタカー借りたいって相談されたんだ。だから『オレの車に乗ってくれ』って、オレが頼んだ」
「なんて名前の人?」
「昌夫さん。知らないよ、茉由は」と話しながら、ほとんどの点検を隆夫は終えていた。
「オイルを入れたら、少し走ってくるよ。そのついでに送るから、もう少し待ってて」
「うん」そう返事をしたものの、茉由は帰りたくなかった。
「なぜだか理由はわからない。たぶん隆夫が兄貴と呼ぶ『昌夫』という人に、会ってみたいと私は思っている」そんなことを考えていたからだろう、自分の意思とは関係なく言葉が先に出た。
「私も会ってみたいな~ その兄貴に」
「いいけど今日は来ないよ、車は明日の朝取りに来る約束なんだ」
「え! 慣らし今日の朝までって……」
「だって、最終点検の時間が必要だったし、何かあった時に修理する時間も必要だったからさ」
「おかしい、こんなに気を使う隆夫を初めて見た。それほど大切な人だということか……」そんなことを考えながら、隆夫に聞く。
「明日来れば会える?」
「約束は朝の五時、寝坊助の茉由には起きれない時間だよ」
「起きる! 五時までに絶対来る! いいでしょ」
「ま、話として聞いとくよ。言っとくけど五時は予定、早くなるかもよ」意地悪く隆夫が言った。
「その時は連絡して、すぐ原チャ飛ばして来る」
「わかった。でも、なんでそんなに昌夫さんに会いたいんだ?」
「ただ、何となく……」
隆夫に送ってもらい、茉由が自宅に戻ると、昇は店でコーヒーを入れていた。
「おかえり、お前も飲むか?」
「うん……」
「どうした?」
「え? あぁ…… なんでもない」
「コーヒーは?」
「飲むわ」
コーヒーカップを二個カウンターに置き、淹れたてのドリップコーヒーをその中に注ぎ込む。ひと口味見するように喉に流し込んでから、昇はアンプのスイッチを入れた。
ーー続くーー

