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【道行き1-3】


【第一章『みどり』‐3】


 八雲やぐもが二人の警察官と話しをしていると、今度は乗用車がパトカーの隣に駐車した。車から降りた男性は大柄で太った体を紺色の縞のスーツに収め、ネクタイは締めていない。ワイシャツは上から二つ目のボタンまで外れていた。
 その風貌は、誰が見ても頭に「や」がつく三文字の職業の人にしか見えなかったが、この男の本職は刑事である。

 男はどしどしとビール腹を邪魔くさそうに揺らしながら歩いてくると、「お疲れ様」と、二人の警察官に声をかけた。二人はすぐに姿勢を正し「ご苦労様です」と、敬礼して答えた。
 そして八雲に近づくと、その濡れた肩を大きな手で力任せに叩いた。
「おいおい、なんだこの惨めな姿は。捨てられた子犬か?」 
「相変わらず声がデカいですね、田澤たざわさん。少しは場所を考えてください」
 八雲が顔をしかめて雨を払うと、田澤と呼ばれた刑事は「ガハハ!」と遠慮なく笑った。
「お前はいつだってそうだ、厄介事ばっかり首を突っ込みやがって! で、電話の話は本当なんだろうな、しょうちゃんよぅ」
「ええ、そこはほぼ間違いないですね。確認は田澤さん、お願いします」

 親しげな二人の会話を聞きながら、茉由まゆは八雲の背中を指でつついた。
「ねぇ、お知り合い…… なんですか?」
「腐れ縁ですよ。こんな見た目でも、署内では『仏の田澤』と言われてる、東警察署の刑事の田澤さん」 
「誰が『仏の田澤』だ、勝手なこと言うな」田澤は冗談めかして八雲を小突いた。
「私では手に負えないと思ってね、助っ人に呼んだんだ」
 そう八雲が茉由に話していると、
「おいおい、オレたちはお前のパシリじゃないぞ」と、田澤が怒るふりをしてくる。
 「誰もそんなこと、思ってませんよ」右手を目の前で大きく振りながら、八雲が答えた。

 冗談を言い合っていても田澤の眼光は鋭く、すでに現場の状況を見極めようとしていた。
「で、こちらの方がそうなのか?」
「はい、こちらの…… えぇ…… と」
吉田よしださんです」茉由が八雲に助け船を出し、みどりを田澤に紹介した。
「ここからのお話は中で」そう言うと、茉由は全員をバックヤードに入れた。

 まず、警察官の二人と田澤が名乗って身分証を翠に見せた。そうしてから田澤が言う。
「では吉田さん、まずはお孫さんと連絡を取りましょう。携帯の番号を教えてください」
 しかし、そう言われた翠はポカンとしている。
「えぇ……と、孫は警察に……」翠がそう言うと、田澤は少し声を大きくして言った。
「とにかく、お孫さんの連絡先を教えてください。携帯の番号を」
「はい……」返事はしたもののまだ納得していない翠は、しかたないという様子でつとむの連絡先を田澤に教えた。
「この番号は普段から使っているものですね」自分のスマホで勉の番号を押しながら、田澤は翠に確認する。
「そうです」
 翠の答えを聞いて少し笑顔を作ると、田澤はスマホを耳に当てて相手方の応答を待った。

「どういうことなのでしょうか?」納得できない翠は、八雲に聞いた。
「騙されていると思いますよ、吉田さん」八雲が答えると、翠は少し険しい表情になる。
「え! 誰が騙されているのですか?」
「あなたがです」
「そんなバカな! 孫が、私を騙していると言うのですか?」翠の口調は、さらに険しいものになった。
「そうは言ってません。吉田さんが警察からだと思っている電話は、警察からじゃなかった。その電話のすべてが、あなたを騙すための嘘だったと言っているのです。もうすぐはっきりしますよ」八雲は変わらない口調で翠に答えた。

「吉田勉さんですか? 突然お電話して申し訳ありません、私は東警察署の田澤といいます」
 電話は勉につながり、田澤が電話した理由を話していたが、一旦話を止めてスマホを翠に渡しながら言った。
「お孫さん、バイトが終わったばかりのようですよ。ご自身で確かめてください」そう田澤に言われた翠は「訳がわからない」という顔をしながら、スマホを耳に当てる。
「勉ちゃんか? 大丈夫かい? うん…… うん…… え! 本当かい、そんなことが…… うん…… うん…… わかった……」
 何やら孫と話している翠に「もういいでしょう」といいながら田澤は電話を変わり、なるべく早く自宅に戻るようにと勉に話した。
「さて、我々も動こう。吉田さん、ご一緒に自宅に行きましょう」
「本当にご迷惑をおかけしました……」翠は、八雲と茉由に頭を下げながら言った。
「それじゃ後はおまかせってことで」バックヤードを出る田澤の広い背中に向かって八雲が言う。
「あぁ、わかった。後で連絡する」田澤は振り向きもせず、右拳を突き上げ言った。

 バックヤードには、茉由と八雲の二人が残った。
「なんだか大変なことになりましたね」茉由が八雲に話しかける。
「ま、彼らに任せれば大事には至らないでしょう。よかったです」
「そうですね、うふふ」と、小さく茉由が微笑んだ。
「そうだ! 私、お腹がすいたからお弁当買いに来たんだ」
「ぷっ! そうだったのですか」大切な用事を思い出したように八雲が言うので、茉由は吹き出してしまった。
「えぇっと下月しもつきさんでしたね、あなたの方は仕事大丈夫なのですか?」
「私はとっくに終わってます。あのごみ集めが最後でした」
「そうでしたか。でも、そのゴミ集めが途中だったのでは?」
「でした。でも、あの子たちがやってくれましたから大丈夫です」
「そうですか、彼らにも迷惑をかけましたね」
「後で、私が埋め合わせをします」
「後始末まですみません。では、私はこれで」

 バックヤードを出ようとする八雲に茉由が言った。
「あの…… ご迷惑でなければ、何か食べに行きません? 私もお腹がすいてきました」
「あなたと?」驚いたように八雲が聞き返すと、
「はい、暖かいラーメンでも」と、茉由が言葉を返した。
 少し照れたように濡れた頭をかきながら、「お誘いはとてもうれしいのですが、私はアパートに戻って着替えがしたい」と、八雲は答えた。その言葉通り八雲はかなり雨に濡れている。
「あ、ごめんなさい、そのままでは風邪ひいてしまうわね。すみません変なこと言って」
「いえ、うれしかったです。お食事は日を改めて私からお誘いしましょう」八雲はまっすぐ茉由を見つめて言った。
「はい、お待ちしています。今日はありがとうございました」少しだけ俯き、自分の頬が熱っぽくなるのを感じながら、茉由が答えた。

 バックヤードを出た八雲は弁当を物色し、カップラーメンもひとつ手に取ってレジに行く。レジは、先ほどタオルのことで八雲に注意したアルバイトの青年が打っていた。
「色いろと迷惑をかけて申し訳なかった。先ほどのタオルも一緒に精算してください」八雲が頭を下げながら言うと、
「はい、わかりました」といい、アルバイトの青年は普段と変わらない様子でレジを打った。
 何事もなかったように支払いを済ませた八雲は出口に向かう。
「ありがとうございました」
 レジを打っていた青年は、八雲が店を出るまで頭を下げたままだった。

 帰り道、八雲は特殊詐欺の被害者、翠のことを考えていた。
「あの女性も、きっと孤独なのだろう。家の中に相談相手がいれば…… いや、家族はいるだろう。孫が同居しているのだから、その親も同居しているはずだ。素直に何でも話せる相手はいなかったということか」
 八雲は雨の路地を、一人で歩いていく。
「家族と一緒に暮らしていても、人は孤独だと感じることがある。孤独とは、そばに人がいないことではない。多くの人の中にいるのに、まるで自分だけが透明人間のように、その存在を認められないと感じてしまう。そんな時、言い知れぬ孤独感を人は感じてしまうものだ。人の中だからこそ、自分はひとりなのだと感じてしまう。孤独というより孤立と表現した方が適切か……」
 ここまで考えて、だんだん怒りが込み上げてきた。
「いったい、なんのための家族だ! なんのための同居なのだ!」八雲はどこにもぶつけようのない怒りを飲み込んだ。

 八雲が歩くその道には、春の冷たい雨が降り続いていた。

  第一章『翠』 ー完ー



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