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【道行き4-2】

【第四章『昇の店』-2】

 のぼる育江いくえの二人が始めた「姫の館」。この軽食とコーヒー・紅茶がメインメニューの小さな店は、静かな住宅地の中で目立たぬようにひっそりと営業していた。
 その隠れ家的な雰囲気と、飾り気のないシンプルで上品なインテリア、それに育江が選び抜いた小物販売が魅力となり、SNSや口コミで主婦やOL・大学生など女性客を中心に利用客は順調に伸びていた。

 一周年・二周年と順調に記念日を重ね、三周年目のパーティーに、茉由まゆが稔を連れてきた。
立花 稔たちばな みのると申します。茉由さんと親しくさせていただいています」稔は昇夫婦に、そう挨拶した。
「茉由の父の昇です、はじめまして」昇も挨拶を返し、二人は握手した。
「母の育江です、よろしくね」育江は気さくに挨拶し、稔と握手した。
 茉由が稔と結婚したのは、その半年後のことだった。

 客足は順調に伸び、四周年記念のパーティーが終わった翌月のある日、育江は体調がすぐれなかった。
「どうした? 具合が悪そうだが……」
 朝食後、テーブルで塞ぎ込んでいる育江に、昇が声をかけた。
「ちょっとね、頭が痛いの。でも大丈夫よ、すぐ治ると思うわ。薬も飲んだし」
「無理するなよ。店は私がするから、奥で休んでていいよ」
「ありがとう、今日はちょっと休むね」
「あぁ、わかった」
 
 そんな日が増えてきた。心配した昇は精密検査を受けるよう育江に話した。
「そうね、私も心配だから、今度の休みに行ってくるわ」
 検査を受けると約束した数日後、育江は店先で崩れるように倒れた。緊急入院したが意識が戻ることはなかった。三週間後、窓の外に広がる青空を知らずに、彼女は静かに息を引き取った。

 昇の落胆ぶりは相当なもので、茉由は、一気に年老いてみえる昇を見かね、自分たち夫婦との同居を考えるほど心配していた。しかし、安易に同居は切り出せない。当時の茉由は、夫の稔との間に多くのトラブルを抱えており、夫婦仲は崩壊寸前だったのだ。
「だからといって、こんな父親を一人にしてはおけない」という茉由の思いは日増しに大きくなり、稔に「離婚を考えている」ことを告げ、一時的に実家に戻ることにした。

 ところが、それからひと月もしないうちに、稔の母親から「離婚届」が送られてきた。
「姑からって、こんなものも自分で送れないのか」茉由は腹立たしい気持ちを抑え、夕食の後で昇に離婚届を見せた。
「いろいろとごめんなさい。保証人の欄に署名捺印してほしいの」
 離婚届を受け取ると、「本当にこれでいいのか?」と、昇は茉由に聞いた。
「残念だけど、お父さんとお母さんのようにはなれなかったわ」とだけ、茉由は答えた。

 そんな茉由の離婚が、妻との思い出の中で一人孤独に生きているような昇に、転機を運んできたのは確かだった。
 ひとり娘の茉由が実家に戻り、どうのこうのと小言を言うことも増えた昇だったが、腹の中では手放しで喜んでいたのだ。それから茉由は家事一切をこなし、昇と親子ふたりで自由奔放に暮らしていた。

 話し相手と食事という健康的な生活が日々目の前に用意され、昇の体調も日増しに回復していった。そんな日々を送っていた昇だったが、やはり妻の育江を思い出すことも多かった。特に二人で作り上げた店を見ると、喪失感に襲われ気持ちは落ち込んでしまう。そんな昇にもう一つの転機がやってきたのはその頃だった。

 それは、親しい友人からの一本の電話から始まった。
「どうしている? 元気なのか?」
 大学時代の悪友「尾形おがた」からだ。この尾形とは大学卒業後も付き合いは続いていて、飲み友達でもあり育江の葬儀にも参列してくれた、昇の数少ない親友の一人だ。
「あぁ、元気にしてるよ。茉由に尻を叩かれながらだけどね」
「そういえば、茉由ちゃん帰ってたんだったな」
「出戻りだが、オレは助けられたよ」
「ま、人の縁なんてものはそんなもんじゃないのか。あの小僧に茉由ちゃんはもったいないと、オレは思っていたけどね」
 相変わらず、尾形の口は悪いままだ。

「ところで今日はどうした、何か急用か?」
「そうそう、用事があって電話したんだ。今夜一杯どうだ、悪い話ではないぞ」
 尾形は自信満々という口調だ。
「どうもお前の話はな…… まさか、また変な儲け話じゃないだろうな」
「違う違う、もっといい話だ。今のお前にはもってこいの情報だよ」
「わかった。で、どこにする?」
 ということでその夜、二人は行きつけのスナックで落ち合うことになった。

「もういいかな? 尾形と待ち合わせなんだが」
 早い時間のためだろう、店に客はなくバーテンダーが退屈そうにグラスを磨いていた。
「いいですよ、どうぞこちらに」
「ありがとう」
 昇はカウンターの奥に腰を下ろす。バーテンダーは何も言わず、スコッチの水割りを昇の前に出した。
「ママは?」
「今ちょっと、野暮用ってやつで」
「そうか、いつも忙しそうだもんな、ママは」
 そんな当たり障りのない会話をして時間をつぶしていると、店のドアが開き、がっちりした体格の男性が入ってきた。昇の悪友でその夜の主役、尾形だ。

「お待たせ、という程の遅刻でもないか、アハハ!」
「おい、一時間だぞ。大した遅刻じゃないわけがあるか」
 嫌味たっぷりに返した昇に、尾形は悪びれもせず空いた椅子を引き寄せた。

 ウェイターがグラスを尾形の前に差し出しビールを注いだ。
「早速で悪いが時間があまりないんだ、まだ仕事が残っている。社に戻ってもうひと頑張りってとこだ」
 尾形は、小さな出版社を経営していた。
「そんなに忙しかったんだったら、日を改めても良かったろう。大丈夫なのか」「ま、こっちは何とでもなる。それよりもお前さんへの情報の方が急ぎだ」

 急ぎだと言う尾形の話は、ざっとこんな内容だった。

 尾形には、オーディオ好きの伯父がいた。その伯父が先日亡くなり、趣味で集めたオーディオ機器と数百枚のレコードが遺品として残された。
 尾形の伯父は独身だったため、弟である尾形の父親が遺品整理を任されることになった。しかし、まったくオーディオの知識がない父親は、これらを二束三文でリサイクルショップに売ろうとしていた。それに気づいた尾形が慌てて父親にストップをかけたのだ。

「オレの友人にこういうものが得意な奴がいる。二束三文で売り飛ばす前に、そいつに見せてやってくれないか」
「そんな奴がいるのなら連れてこい。なるべく早くだぞ、こっちもグズグズしている時間はない」
 ということで「親父の承諾は得ているから、一緒にそれを見に行かないか?」というのだ。

「どうだ、いい話だろう」
「わかった。で、いつ見に行く?」
「親父は早くと言っているから、明日はどうだ。昼からなら時間を作れる」
「仕事は大丈夫なのか?」
「今夜が山だ。明日は昼前に出社して様子を見てからお前の家に行く。オレの分の昼飯も頼むと茉由ちゃんに言っておいてくれ」
「家で食うのか?」
「もちろんだ。久しぶりに茉由ちゃんの手料理をご馳走になるつもりだ」
「現金な奴だ。わかった、茉由に言っておく。で、その伯父さんの家はどこなんだ?」
東根市ひがしねしだ」
山形やまがたのか?」
「そうだ」
「ちょっと遠いな」
「そんなことはない、四八号線で一時間だ」
「確かに、それぐらいで着くだろうが……」
「じゃ、決まりでいいな」
「わかった」
「それじゃ、明日」
 と言って、グラスに残ったビールを飲み干すと、慌ただしく尾形は帰った。

「明日は山形ですか?」ウェイターが聞いてくる。
「あぁ、なんだかそういうことになった」と答え、昇も店を出た。

「こんにちは、尾形のおじさま」
「おう、茉由ちゃん、元気そうだな」
「はい、お陰さまで」

 尾形が来ると、茉由は喜んで玄関から飛び出した。この尾形は茉由の運転の師匠だ。茉由が運転免許を取得できる年齢になる前から、運転のイロハを徹底的に教え込んだ。

  ーー続くーー


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