「片耳が聞こえてるから大丈夫」と言われて
私は28年前に聴覚障害になりました。
突発性難聴を発症して片耳難聴になりました。
外から見てもわかりません。
けれど私の耳の中では、一日中テレビの砂嵐のような音が鳴っています。
聞こえない側は静かなのではなく、雑音が途切れることなく続いている状態です。
そのため聞こえる側の耳は、聞こえない側を補おうとして常に周囲の音を拾っています。
私は音にとても敏感になりました。
今でも初めて会う方に片耳難聴であることをお話しすると、
「片耳が聞こえてるから大丈夫」
と言われることがあります。
もちろん、その言葉に悪気はありません。
私自身もそう思おうとしてきました。
けれど実際の生活は、それほど簡単ではありません。
会食。
会議。
複数人での会話。
誰が話しているのかわからなくなることがあります。
聞き取れなかった言葉を前後の流れから推測していることもあります。
聞き逃さないよう神経を張り続けるため、家に帰る頃にはぐったりしています。
身体の疲れというより、脳が疲れている感覚です。
以前はもっと自然に人と話せていました。
会話を楽しむこともできました。
それが難しくなった時、私は大きな喪失感を抱きました。
障害によって失ったのは聴力だけではありません。
人との関わり方も変わりました。
外出は一人が中心になりました。
静かな場所を選ぶようになりました。
周囲からは無口な人、付き合いの悪い人と思われることもあります。
けれど本当はそうではありません。
聞き間違えたくない。
会話についていけなくなりたくない。
迷惑をかけたくない。
そんな気持ちが先に立つのです。
私は外出する時、障害があることを示すサインを身につけています。
それを見て配慮してくださる方もおられます。
ありがたいことです。
ただ時々、大きな声で話しかけられることがあります。
本当は声の大きさではなく、聞こえる側から話しかけてもらう方が助かります。
けれど、そのお願いをすることに申し訳なさを感じる自分もいます。
配慮していただいたこと自体がありがたくて、
さらにお願いすることをためらってしまうのです。
私はこの経験を通して思うようになりました。
長い間、
「片耳が聞こえるのだから仕方がない」
と自分に言い聞かせてきました。
けれど本当は、
以前のように会話ができないことが悲しかったのです。
人が集まる場所を避けるようになったことも寂しかったのです。
そして何より、その苦しさを理解してもらえないことがつらかったのです。
グリーフとは、大切な人を亡くした時だけに起こるものではないのかもしれません。
病気や障害によって、それまで当たり前にできていたことができなくなる。
生活の仕方が変わる。
人との関わり方が変わる。
私は、この苦しみもまた喪失の悲しみなのではないか
と思うようになりました。
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