動き出す「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」 本阿弥光悦・俵屋宗達 その一
本阿弥光悦・俵屋宗達譚 全五幕
その二以降の目次
第二幕 俵屋宗達 工房絵師宗達
第三幕 令和7年(2025年) 京都国立博物館
第四幕 本阿弥光悦 鷹峰の地拝領
第五幕 俵屋宗達 工房絵師から画家へ
■登場人物
本阿弥光悦 寛永の三筆、蒔絵・陶芸に優れ、華麗な桃山美術を生みだす。
俵屋宗達 近世の謎の大画家、琳派と呼ばれる作風の楚を築く。
左近太夫親愛(黒雪) 観世流宗家九世 能の名手として当代随一と称された。
角倉素庵 豪商、儒学者、書家
クニオ 付け焼刃の美術愛好家
ヨシコ 嵌ればあたる美術愛好家
序幕 桃山文化の担い手・町衆
室町時代後期からの急激な流通経済の発展は、都市に町衆と呼ばれる富裕な市民層・商人を台頭させた。
京でも宇合衆と呼ばれる自冶的集団の性格を持った町衆が台頭した。彼らは京の経済的な発展・繁栄に寄与する一方、文化の担い手でもあった。
彼らは、古の王朝文化を憧憬し、浪漫的耽美な文化を貴ぶ美意識が高く、建築・絵画・彫刻・金工・蒔絵・衣裳・茶の湯・茶碗・能・等、後に日本の文化史上もっとも多彩・絢爛であると言わしめた時代を先導した。
そしてその主要なプレーヤーが本阿弥光悦であり俵屋宗達である。
第一幕 本阿弥光悦 “能書たりしことは普く世にしるし”(*1)
慶長10年 5月 京:黒雪稽古場
「 …… 然るに月宮殿の有様。玉斧乃修理とこしねへにして。白衣黒衣の天之数を三五に分かって。 …… 」
「光悦殿、そこはサシであるからスラスラと淀みなく謡うのが宜しかろう」
黒雪の手ほどきを受ける光悦。
稽古は次第に熱を帯びる。 時にロンギで掛け合い、そして、剛吟から柔吟へ …… 。
熱気を孕んだ稽古場に、突然、素庵が顔をだした。素庵は足を忍ばせて稽古場の一角に端座し、静かに光悦の謡に、二人のやり取りに耳を傾ける。
半刻も過ぎただろうか、黒雪は頃合いと見て「今日の稽古はここまでとする」と告げた後、稽古の習いとして、今日の講評と助言を光悦に与える。
「 …… 下歌の冒頭は身体を緩めることを意識することが肝要ぞ、さすれば息継ぎは造作もない。それから …… 」 うなずく光悦。
そして作法に習い、二人は互いに居住まいを整え、互礼して感謝の意を表し、以て本日の稽古は終了した。
稽古で見せた厳しき表情も顔を上げれば柔和な顔に戻る。
四方山話に話が咲きかけた時、黒雪が光悦に尋ねた。
「聞くところによると、所司代周防守様が光悦殿の書を随分と御誉めになったおりに、光悦殿は “只、何流と申物にても無之、私流にて御座候” とも申されたとか 真のことであろうか」
「いかにもそのように申し上げました」
所司代の板倉周防守忠宗が、光悦の書を誉め讃えて手本を所望されたおり、所司代に(光悦流でしたためた)書を手本としてしたためて差し上げた際に、光悦は“何流と申し上げるものでもなく、私流でございます”と答えたことがあった。
傍らに控えていた素庵も初めて聞く話らしく、驚いた表情を浮かべながらも
「左様なことがございましたか。しかし手前はその言葉、師匠の自信と自負心に満ち満ちた心持の表れと察し致します」
光悦は肯定も否定もなく微笑むだけであった。
この控えめな言葉には、京極流、伏見院流、尊円(青蓮院流)流などの古典の書流が、形式を墨守することに囚われ、結果的に書の停滞を招くなど生気を失いかけていたこの時期、光悦は伝統を尊重しながらも、自由闊達な表現を試みて、書を生き生きと蘇らせたと云う自負が込められていると言っていいだろう。
もちろん、いうまでもなく、光悦の天賦の才が、古典のような流麗な筆致でなく、動勢にあふれてデフォルメされ、ひょうげてなお、端正な筆致の書をなし得たことは事実である。
光悦の書の魅力は、光悦ネットワークをおおいに広げた。
僧侶や公卿に及ばず能楽師や連歌師など町衆までに及び、黒雪や角倉素庵、松花堂昭乗(*2)、尾形宗柏(*3)等は、ネットワークの住人であった。
まさに「能書たりしこと普く世にしるし」である。
「ところで素庵さん そなたは謡を習われる所存で来られたのか」光悦は改めて素庵に気づいた様子で尋ねる。
「いやそうではありません。かねてから黒雪様と協議しておりました謡本の件でまかり越しました」
「おおそのことであったか」
町衆にとって特に上層町衆にとって謡いは、茶の湯や連歌と共に修めるべき文化的な教養とし認識され始めていた。
京での謡本の需要は高く、さらに能役者にとっては必需品であった。
「昨夜も聚楽二十四町組の町寄合いの席で、謡が大層話題になりました」と昨夜の寄り合いの話題を語る素庵。
黒雪も素庵の話にうなずきながら
「このごろは、謡は町衆のたしなみの一つになりましたな。好んで稽古をする数寄者もようけ増えました」と謡いに親しむ町衆が増えている様子を語る。
「皆さん口々に“よき謡本が、なかなか手に入りません。書林まわっても、欲しいもんは売り切れている”と申しておりました」
「ほほー」
光悦は手元の謡本に目を落とし「本がないと、なるほど稽古も難儀でしょうな」とつぶやく。
「謡本不足は数寄者だけのことではありません、我々能役者にとっても切実な状況で困り入っております。弟子たち稽古用の謡本さえ入手に骨が折れる始末です」と黒雪は顔を曇らせる。
謡本の刊行は、素庵にとっては商いの、黒雪にとっては適正な稽古に資する点において、目的が一致していたのである。
「そこで師匠に詞章を(*4)書いていただければと参じました。 それから下絵を俵屋さんにお願いできないか 取りなしていいただければと思いまして参じました」
「実は、本多正純様(*5)や今枝内記様(*6)からも謡本を所望されまして、お引き受けいたすことにしました」
「それはまっこと好都合と申すもの」
ここぞとばかりに膝を進め、光悦ににじり寄る素庵。
稽古場に面する庭は初夏の光があふれきらきらと耀きを放ち、牡丹の気品さをさらに鮮やかに際立たせている。
「おや! どこやらか鶯の啼き声が …… 」
耳を澄ます素庵。光悦は鳴き声の方を見上げる。
「ほんに ことのほかよくさえずっておりますな」


慶長10年 5月 京:小川通り今出川上ル西側 本阿弥光悦屋敷
屋敷の小座敷には初夏の明るくすがすがしい日射しが差し込み、さわやかな薫風は華やいだ京の香りを運び入れて心地よい。
床の壁には、宗達が描いた鶴の金泥絵を下絵に、光悦の闊達な書が響きあった軸が一福掛けられ、床には一輪のカキツバタが活けられ初夏の到来を匂わせる。
“光悦殿は美に対する貪欲さが満ちている。けれどもあてつけがましく見せびらかす貪婪さはない …… たおやかさと品格、気高さに満ちている”
宗達は光悦が設えた小座敷の室礼に目を向けながら “美しさは誤魔化しがきかない” との思いを改めて深くして目を閉じる。
「宗達殿、早速お願いをお聞きいただきまして、まことにありがとうございます」
宗達に深々と頭を下げる素庵。
「いえいえ、角倉様それは私どもの口上でございます。この度のことは角倉様のご発案と承りました。まことにありがたいことでございます。ささ お顔を御上げください」
宗達は恐縮の体で平伏する。
「素庵殿、このほどの件、宗達殿には大層喜んで受けていただきました」と宗達の心情を代弁する光悦も心なし晴れやかだ。
「さようでございます。 光悦殿との共作は「平家納経」の修理が最初でございました。京の絵師の誰もが念じている光悦殿の書の下絵を描かせていただくことは、何も勝る誇りでございます」
「ささ お顔を御上げください、すでに大概のことは光悦殿から伺っておりますゆえ」
素庵を見つめ微笑む宗達の表情はおおらかで自信にあふれている。
その表情に “好い謡本をつくりましょうぞ” といった気概が見て取れて“良きお仲間を迎え入れることができた”と胸をなでおろす素庵。
「表紙絵の木版下絵の図案も光悦殿からの示唆、しかと承けたまっております」
「下絵は、鶴、鹿、兎などの動物竹や梅、藤などの草花がよろしかろうと、話をしておったばかりじゃ」と先刻の打ち合わせの次第を語る光琳と宗達。
穏やかな空気に包まれた小座敷。三者の笑いがこぼれる。
光悦は過日共作した和歌短冊帖を思い浮かべたのか、顔をほころばせて宗達に話しかける。
「宗達殿の下絵は手前の注文をはるかに超えて、気品とゆるりとした遊び心にあふれております …… それゆえ書の勢いや肥痩、濃淡の工夫で苦心 …… いやいや、楽しきかなと歓びが湧いてきます。 宗達殿との共作は心が躍る。 今回も楽しみじゃな!」
「過分なお言葉恐れ入ります」 宗達は返答に力をこめる。
それというのも、これまで宗達は土佐(やまと絵)、狩野(漢画)、さらに長谷川手前の絵に耳を傾け肌で捉え全身で吸収し、筆に絡めとることに精力費やしてきた。
感性と表現力では誰にも負けないという自負がある。
それを見抜いた光悦の慧眼に感謝したからである。
「刷りはどうなされますか」
「雲母刷りで如何でしょう」
「金銀泥絵の雲母刷りでございますか。それは華やかな謡本になりますな。大層な人気を博すことでしょうな」
素庵は満足げにうなずく。
初夏の午後の空に、屋根を抜きんでて鯉幟が誇らしげに翻っている。
京のそそそこに翻る鯉幟を見上げる三者。
「誰ぞ一句、お願いしましょう」
「鯉幟 風を食らいて 大笑い」
慶長10年 京都嵯峨の豪商・角倉素庵によって刊行された謡本は、俵屋宗達下絵、本阿弥光悦と角倉素庵の書、金銀泥絵雲母刷りの典雅な雰囲気を纏った華やいだ出版物となった。
この謡本は嵯峨本と呼ばれ、数寄な町衆にとって是非とも手元に置きたい奢侈本となる。
『動き出す「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」 本阿弥光悦・俵屋宗達 その二:「第二幕 俵屋宗達 工房絵師宗達」』は近日公開予定。
(*1)灰屋紹益の随筆集「にぎはひ草)」の一文
灰屋紹益 慶長15年(1610年)- 元禄4年(1691年)
江戸時代前期の京の町衆・歌人・蹴鞠家・茶人 出典:ウィキペディア
(*2)松花堂昭乗 天正12年(1582)~寛永16年(1639)
光悦の兄弟弟子、空海の書を取り入れて松花堂流を打ち立てた。寛永の三筆の一人。 出典:ウィキペディア
(*3)尾形宗柏 あざなは新三郎
尾形光琳、乾山の祖父 宗柏の妻は光悦の姉 出典:本阿弥行状記
(*4)本多正純 永禄8年(1565年)〜寛永14年(1637年)
江戸幕府の老中、徳川家康の側近。 下野国小山藩主、同宇都宮藩主
(*5)今枝内記(重直)天文23年(1554年)〜寛永4年(1627年)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、前田家の家臣。
「本阿弥光悦・俵屋宗達譚 全5幕」は下記の図書から着想を得ました。
・日本美術全集21 琳派 光悦/宗達/光琳 (株)学習研究社
・日本美術全集13 江戸時代Ⅱ 宗達・光琳と江戸時代 (株)小学館
・本阿弥行状記 東洋文庫810 平凡社
・なごみ5/2012 本阿弥光悦のネットワーク 河野元昭監修 淡交社
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