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#165 誰かのために動いても、自分の価値は相手の反応で決まらない



誰かのために動くことは、悪いことではない


誰かに喜んでほしい。
誰かの力になりたい。
誰かが楽しんでいる姿を見たい。

そう思って動くことは、自分にとって自然なことだと思う。

仕事でも、遊びでも、人間関係でも、
「これをしたら、あの人は喜んでくれるかな」
「この時間があったら、みんな楽しめるかな」
と想像している時、自分の中から力が湧いてくることがある。

だから、自分にとって「誰かのため」は、決してきれいごとだけではない。
むしろ、自分が動き出すための大切なエネルギーになっている。

でも、反応で自分の価値を決める必要はない


ただ、ここで一つ気をつけたいことがある。

誰かのために動くことと、
相手の反応で自分の価値を決めることは違う。

相手が喜んでくれたら嬉しい。
「ありがとう」と言ってもらえたら報われる。
反応があれば、やってよかったと思える。

それは自然な感情だと思う。

でも、反応が薄かったからといって、
自分の行動に意味がなかったわけではない。

思ったように喜んでもらえなかったからといって、
自分の価値が下がるわけでもない。

大事なのは、相手がどう反応したか以上に、
自分が大切にしたいことを、大切にできたかどうか。

そこを見失うと、「誰かのため」が少しずつ苦しくなる。

「喜ばせたい」と「認められたい」は似ているけど違う


誰かに喜んでほしいという気持ちは、温かいものだと思う。

でも、それがいつの間にか、
「喜んでもらえないと不安」
「反応がないと自分が否定された気がする」
「ちゃんと評価されないと報われない」
に変わってしまうことがある。

そうなると、行動の中心が相手の幸せではなく、
自分がどう見られるかに移ってしまう。

「喜ばせたい」と「認められたい」は、近い場所にある。
だからこそ、自分の中で丁寧に分けておきたい。

自分は本当に相手のために動いているのか。
それとも、相手の反応で自分を安心させたいだけなのか。

この問いは、少し痛い。
でも、持っておきたい問いでもある。

自分の価値は、自分が大切にしたことで決める


自分が大切にしたいことを、大切にできたか。

最近、自分にとってはこの視点が大事だと思っている。

相手が喜んだかどうかは、もちろん大切。
でも、それは自分だけでコントロールできるものではない。

相手の状態もある。
タイミングもある。
受け取り方もある。
こちらの意図が、そのまま届かないこともある。

だからこそ、自分の価値まで相手の反応に預けてしまうと、苦しくなる。

自分の価値は、相手の反応で決めるものではない。
自分が何を大切にして、どう動いたか。
そこに戻ってきたい。

誰かのためは、自分の声でもある


誰かのために動くことは、自分を消すことではない。

むしろ、自分の中にある良心や情熱が、
誰かの困りごとや喜びたい気持ちと重なった時に、自然と動きたくなるものだと思う。

自分が大切にしたいこと。
自然と力が湧くこと。
比較的、自分が力を発揮できること。
そして、周りから求められていること。

そういうものが重なった時、
「これは自分がやりたい」
「これは自分がやる意味がある」
と思える。

それが、自分の声なのかもしれない。

反応は受け取る。でも、価値は預けない


誰かのために動くなら、相手の反応は大切にしたい。

喜んでくれたなら、素直に嬉しい。
届かなかったなら、次に活かせばいい。
思った反応と違ったなら、相手のことをもっと理解するきっかけにすればいい。

でも、自分の価値までは預けない。

誰かのために動くこと。
誰かの喜ぶ顔を想像すること。
自分が大切にしたいことを大切にすること。

その全部を、自分の中で持っていたい。

相手の反応に一喜一憂することはある。
でも、最後に戻る場所は、そこではない。

自分は、自分が大切にしたいことを大切にできたか。

この問いを持っていれば、
誰かのために動くことは、苦しさではなく、
自分の声を形にする行動になっていくのだと思う。

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