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京都大学大学院総合生存学館に所属している私のところで研究したい人に向けてのメッセージ

自分は現在、京都大学大学院総合生存学館というところに所属していて、来年度より、学生指導をすることができるようになったということについては前にも書きました。

それで、2026年4月入学者のための入試(院試)がまた行われることになったので、あらためて宣伝しようかと思います。

入試の仕組みは独特です。次年度の入試においてはまず、2025年5月19日 (月) 午後5時までに、学館の事務室に「出願資格審査申請書」などの書類を送るところから始まります。詳しくはこちらを見てください。

それから、自分の研究と関係しそうな京都大学の部局に願書を出してそこの入試を受けてもらってそのうえで学館に入学するというややこしい段階を経なくてはなりません。そのあたりのことは、前に書いたので、先の記事を参照してください。

そのうえで、今回は、受験を希望するかもしれない人に向けて、メッセージを書いてみます。

自分の研究概要について。

「人間の条件」という哲学的な問題をめぐって、一次資料読解と理論的思考をベースにしつつ、理論的思考は感覚的なものとの接点で行われる必要があるという考えから、写真、建築、現代美術の作品を分析したり作家との対話を行うことを大切にして、研究活動をおこなっています。近年では、人間活動が地球のあり方を変えつつあると言われる人新世の時代において、人間が存在することの条件を哲学的に問うことを試みてきました。最近考えるようになったのは、「私たちはどこにいるのか」という場所に関わる問いへのこだわりであり、人間が存在するということが生じ、そこで可能になるところという意味での「深みの次元」を想像することの大切さです。

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とはいえ、これはあくまでも自分の研究テーマです。最近は、生存のための居場所づくりの条件を、哲学、文学、建築、アートを含めた広い意味での人文学の知を活用しつつ考え、そのためのビジョンを提案することを試みたいと考えているので、そのような関心を持つ人に受けてもらいたいと考えています。

それで自分のところで研究したいと考える人たちに、何を伝えるか。自分の場合、アーレントが「全体主義の起源」で行った、ファシズム状況の理解とその克服のための思想的展望を考えようとするという試みから、多大な影響を受けている。これに類したことを、これまでやってきたつもりだし、これからも続けていく。ただし、今はアーレントが生きた時代とは違う。だから、もし仮に現状を、「人間の条件」に関わることとしてとらえ、その解決への見通しを理論的・哲学的に示すためには、まずは、余計なことを考えず、現在を、さらには現在において自分が感じていること、経験していることが何かを考えることが大切だろう。じつはアーレント自身、どこかで「手すりなき思考」の大切さを述べている。彼女にとって、全体主義の経験は、「先例のないこと」で、だからその先例のなさを受けとめることから始めなくてはならなかった。

つまり、感じることから始める。それは、五感を研ぎ澄ませること。ブルース・リーが「燃えよドラゴン」で述べたことが、大切である。

Don’t think, feel.
It’s like a finger pointing at the moon.
Do not concentrate on the finger.” “you will miss all the heavenly glory”
(考えるな、感じるんだ。それは月を指差すことに似ている。指に気をとられてはならない。それでは神からの天啓を逃すことになる)

まずは状況に身を置く、そこで何が起きているか、何が問われるかを、(すでにある議論などを参照するなどして)考えすぎずに、今まさに感じたことを手掛かりにして書き出してみること、あるいは誰かに話してみること。

ただ、こうやって書き出しただけでは、独りよがりのアイデアだけでしかない。このアイデアをもとに、思考を展開することが求められる。そこで、何かを読むことが重要になるが、そこでは、自分が直接に感じたことが何であるかを、原理的・反省的に理解し、のみならず、それが現実において意味を持ちうるかを検証しようとする姿勢とともに読み進めることが大切だろう。何を読まなくてはならないのか、なぜそれを読まねばならないか、いかにしてそれを読むかということを厳しく問うことも求められる。そのあたりに、私がこれまでやってきたことがいわゆる哲学研究と似て非なるものであることの理由があるのかもしれない。読むことは、自分の思考を言語化するためのツールを獲得するためのものだが、さらに、自分が考えていることがこれまでの思想的積み重ねの歴史のなかでいかなる意味を持ちうるか、さらに、現実の世界において、自分の考えにはそもそも意味があるのか、ただの妄言ではないか、そういったことを考えることがいったい何になるのかといったことを問うためのものである。

そういうことを続けていたらいずれ人間の条件のありうべき理念を示す(というより、想像上のイメージを現実化可能なものとして示す)ことができないかな?と考えつつ、自分は研究活動を続けてきた。正直言って自分でも何ができているのか心許ないが、やれるかぎりやっていこうと思うし、こういうことを一緒にやってみたい人がいるのであればぜひ受験していただきたいと考えている。

(追記)

自分に指導可能なのは、一学年あたり2名か3名程度です。そんなに多くの人が受けてくれるとは思えませんが、念のため、参考までに記しておきます。


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