おひねりはどこにとんでいく
『信長の野望』シリーズは、気が付けば半世紀近く日本で遊ばれ続けているゲームになった。最新作『信長の野望 真戦』は台湾で制作されているが、遊べば遊ぶほど、日本文化への理解の深さに感心させられる。
歴史ゲームでありながら、単純に武将を並べて戦うだけではない。文化や外交、人物同士の関係性が細かな演出として散りばめられ、「なるほど、そこに着目したのか」と思わせる場面が少なくない。
世界では毎日のように国際情勢が話題になる。イスラエル、ロシア、イラン――その時々で中心となるテーマは移り変わるが、歴史を眺めると、結局は人と人との関係が積み重なって時代を形づくっている。
そんなことを考えていると、私の頭の中では不思議な結論にたどり着く。
最後は「二条城へのおひねり」である。
もちろん史実としてそういう制度があったわけではない。しかし能を舞い、それを見た観客が感動しておひねりを投げるように、戦国の終焉もまた、多くの人々が見守る一つの舞台だったように思えてくる。
ゲームでは三人編成(三体)と三人編成(三体)がぶつかり合い、数値が高い方が勝つ。そして勝った部隊はそのまま次の戦いへ進む。しかし連戦を重ねれば、どんな強者もいつかは力尽きる。
歴史も同じなのだろう。
日本では「人」が忍術で「木」に変わる物語がある。人3人が木に変われば、森になり、森と森が戦えば、どこか森蘭丸と森坊丸の兄弟喧嘩のようにも見えてしまう。そんな遊び心もまた、日本文化の一面である。
さらに能の演目を眺めていると、家康、利家、秀吉が 子の三人で 二条城で演じた「耳引」から現代の「居杭」とつながり。そしてそこには算置という人物が現れる。
一般には占い師として描かれることが多いが、私はむしろ算術師として見てみたい。
彼が操るのは算木である。
算木は古代から中世にかけて使われた計算具で、位置を変えながら数を表現し、複雑な計算を行った。江戸時代には算盤が普及していくが、その前には確かに算木の世界が存在していた。
大阪の陣では徳川方の大砲が豊臣方を苦しめたと伝えられる。
もちろん現実の砲撃は風向きや火薬、砲身の状態など多くの条件に左右される。しかし射程や角度を計算する知識が精度向上に役立ったことは想像に難くない。数学が戦場を支えたという見方も、決して荒唐無稽ではないだろう。
近年のドラマ『SHOGUN』でも、異文化と技術が交差する場面が印象的に描かれていた。
そして私が「漢の日本史」で一番印象に残る場面として思い浮かべるのは、淀殿とその侍女たちをめぐる悲劇である。
後世の物語では、家康は淀殿の居所を意図的に避けて砲撃したという解釈も語られることがある。その真偽は別として、「狙った場所へ正確に飛ばす」という発想自体が、算術への信頼を象徴しているようにも思える。
算木、おそるべし。
もっとも、官僚の仕事場ではすでに算盤が主流になりつつあった時代かもしれない。それでも昔ながらの算木を使い続ける人はいたはずだ。
ふと思う。
現代でもAIによる自動コーディングが急速に普及している。それでも昔ながらに、一行ずつ自分でプログラムを書きたいという人は少なくない。
新しい道具が現れても、古い技術がすぐ消えるわけではない。
算木と算盤。
手書きのプログラムとAI。
その間には、時代を超えて共通する職人のこだわりが流れているのかもしれない。
そして舞台が終われば、観客は感心した芸におひねりを投げる。
そのおひねりは、技術そのものではなく、それを使いこなした人へ向かって飛んでいくのである。
