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【ショートストーリー】 帰る場所

火星は、音を失った世界だ。
耳をすませば、自分の鼓動と血の流れだけが、宇宙に滲んでいく。
一か月前、ここに来たばかりの頃は、その静寂に押し潰されそうだった。


午前中は赤い砂の上で黙々と土壌サンプルを回収し、昼には基地へ戻って解析の手伝い。
同じ作業を、無言で、延々と繰り返す。


基地の食堂からは、厚いドーム越しに空が見える。空と言っても、錆びた血のような鈍い赤色だ。
「気が滅入るから天井に青い空と白い雲の絵を描いてくれ」と頼んでも、「アルマゲドンみたいでウケるだろ」と大きな腹を揺すって笑うばかりで、アレックス所長は取り合ってくれない。

彼の名前は母国インドでは『守護』という意味らしい。
もしもの時は守ってくれよ、アレックス。


食堂のテーブルにつくと、同じ日本から来た技術補佐員のクボタが手を挙げた。
クボタが銀色の真空パックを開くと、中から白い湯気がゆっくりと立ち上がる。


「どうやって加熱したん?」
「酸化カルシウムと水の発熱反応だよ。酸化還元で出た熱を、保温シートに逃がさず米に集中させたんだ」
クボタは時々難解な言い回しを好む。そしておれはそんなクボタが嫌いじゃない。


食堂と言っても冷たく乾燥した宇宙食しか提供されない。外部からの物資の持ち込みは固く禁止されているこの基地で、湯気が立つような温かい食事はご法度なのだ。
見つかったらどうするのか、とひやひやするおれを尻目に、湯気の向こうでクボタの目じりが下がっているのがわかった。


クボタはパックから取り出した三角形のおにぎりを大事そうに両手で包み、「マキノも食うか?」と差し出した。

「え? おまえ、米なんてどうやって……」
「あぁ。気付いたらポケットに入ってたんだ」
答える気ゼロのクボタは何食わぬ顔でもうひとつおにぎりを取り出した。


「中身は何や?」
「ヒントは、“立方体の贈り物”」


かじった瞬間、米の甘みが口いっぱいに広がり、まさしく立方体の結晶、塩化ナトリウムの塩気が脳の奥を直撃した。


その刹那、視界が波紋のように広がり、目の前の赤黒い空が澄み渡る真っ青な空に変わっていく。食堂の無機質なコンクリートが一変し、いつの間にか足元は白い砂浜だった。
打ち寄せる波の音が遠い心臓の鼓動のように響き、しめった風が頬を撫でる。

その全てが、本物の地球の記憶だった。




※※※


おれは30年前、大阪の小さな漁村に生まれた。
父親はいなかった。いや、おかんからは「あんたのとうちゃんは月に行ったんや」と聞いていた。(もしそれが本当なら宇宙のどこかでいつか出会えるのかもしれない、とも思う)


おれがまだ小さかった頃、おかんはよくおれの手を引いて、近所の白い砂浜へ遊びに行ってくれた。


貝殻やキラキラ光る石を探し疲れて「お腹がすいた」と泣くと、おかんは立ち止まって赤い小さなリュックサックからタッパーを取り出した。タッパーに入っていたのは、ちいさな塩むすびだった。おれはその塩むすびをおかんとふたりで食べる時間が大好きだった。


だけどそんな幸せな時間は長く続かなかった。
おれが小学生になったくらいから、おかんは段々とおかしくなっていった。


覚えているのは、机の上の500円玉と、「これで何か食べて」という小さなメモ。そして酒とタバコと香水の匂い。


コンビニ弁当を食べながら、おかんの塩むすびが食べたいと泣いた。



中学生になると、おれは学校に行かず、地元のやんちゃな高校生とつるむようになった。久しぶりに家に荷物を取りに戻ると、居間におかんがいた。顔面あざだらけで泣いていた。「どうしたん?」と喉元まで声がでかかったけど、知らんふりをして家を出た。



それから一年くらい友達や先輩のもとを渡り歩いて家に帰らなかった。




そんなある日、突然おかんが亡くなった。




一緒にいた男に暴力をふるわれていたらしい。
それがあの時おかんの顔をあざだらけにしたやつなのか。あの時「どうしたん」と声をかけていたら、こんな結末にはならなかったのだろうか。



悲しさ、寂しさ、後悔、いろんな気持ちがないまぜになり、それが固まった大きな黒いナニカがおれの身体の中からしがみついて離れない。
足元からずぶずぶと底なしに沈んでいく気がした。
このまま動けなくなってしまうのが怖くて、振り払うように警察から教えられた病院へ走った。


案内されたガランとした部屋の真ん中で、おかんは横になっていた。
その顔は……どちらかと言えば笑っていた。ひとり息子を残して逝ったんだから、ちょっとくらい悲しい顔してくれよ、と思ってもう一度顔を見たら、今度は悲しそうな顔に見えた。



あざだらけのおかんの手を握ると、思いのほか冷たくて「ひっ」と声が出た。これじゃあもうあの日のあったかい塩むすびにはならないじゃないか。
そこでようやく涙があふれた。




その翌週、犯人の男が逮捕された。



それから四年待って、何食わぬ顔で出所してきた男を見つけて、何食わぬ顔でその男の腹にナイフを突き立てた。




※※※


「……全部思い出してもうたわ」

塩むすびを食べながら、火星の食堂で、おれは涙を流していた。


「そうやった。おれはおかんの仇の男を殺して、こうして火星に送られたんや」
「ずいぶんと冷静だな。おれは今、色々と思い出して気が狂いそうだ」

クボタは静かに笑った。どうやらクボタにも塩むすびの思い出と、それなりの過去があるらしい。


「なんでこんな大事なこと忘れてたんやろ?」
「さぁな。まぁ忘れた方がいい過去もあるだろ。実際思い出したらおれは吐きそうだ」
「おれは……おかんのこと思い出せて良かったけどな」
「……あぁ、そうだよな」

おにぎりの一件で色々思い出した。
地球は食糧不足が深刻で、火星に活路を見出そうとしていたのだ。


『火星で人類は生きていけるのか? 』


そんな無謀な実験台として送られたのが、おれたち囚人だった。「忘れた方がいい過去」を塩むすびくらいで思い出すなんて、マヌケな話ではある。


このまま一生火星人として生きるのか、と改めて考えると憂鬱にもなるが、人を殺した人間が地球人の役に立つと思えば刑としては真っ当なのかもしれない。


※※※


ある日、いつものように土壌サンプルを集める作業をしていると、これまで体験したことのない激しさで、携帯している通信機がブルンブルンと震えた。確認するとアレックスからの緊急連絡だった。


「隕石が基地に直撃して一部破損した。小石程度だからまだ良かったが、修理が必要だ。誰か一緒に手伝ってくれ」


火星に来て以来の緊急事態だ。
アレックスよ、こういう時こそ守ってくれよ。

おれは直ぐに連絡を返した。
「マキノ、いけます」

アレックスの指示した場所に着くと、確かに基地の分厚いドームに一部ひびが入っていた。

宇宙服を装着し太い命綱でつながれたおれは基地の外に出た。ドームの外は何も守るものがない極寒の宇宙空間だ。


音のない世界で、シューシューという自分の呼吸音とドクンドクンと脈打つ鼓動だけが聞こえる。
夕方になって空は青く光っていた。まるで地球の空のようだった。



不意に故郷の砂浜がフラッシュバックする。


そうだ。


あの日。


海岸沿いでいつものように塩むすびを食べ終わったおれに、おかんは「一緒に帰ろう」と言っていた。


今なら手を伸ばせば届く気がする。

「そうやね……おかん。一緒に帰ろう」



※※※


アレックスから連絡を受けておれは心臓が止まるかと思った。

「クボタ、落ち着いて聞いてくれ。マキノがケーブルを切断していなくなった」

ドームの外で命綱を切ることは死を意味する。
マキノはもう帰ってこない。
おれは、この星に来る前に記憶を消される理由が分かった気がした。
地球から遠く離れたこの星で、過去に傷を負った人間が正気を保っていられることがいかに難しいか。


塩むすびがきっかけで記憶が戻ったせいでマキノが正気を失ったのだとしたら……。おれは……くそっ……!!





次の日、アレックスに、この地で日本の米を作りたいと願い出た。



友を失い、いつ尽きるか分からない命を燃やし続ける。狂わずに生き続けるには理由が必要だった。


もう一度塩むすびを口にすることができたなら、その時この無限の闇から抜け出すことができるかもしれない。


※※※


あれから10年の月日が流れた。
所長はアレックスの後5人入れ替わった。


おれはと言うと、諦めずに試行錯誤を続け、とうとう米の収穫に成功した。

かつて、地球からこっそり忍ばせた米よりはるかに見た目は悪い。それでも、あの時と同じように化学反応を利用して米を炊き、塩にぎりを作った。


「マキノ、おれはやったぞ。お前がお袋さんから作ってもらった塩むすびには遠く及ばないけど、一緒に食べてくれ」

おれは塩むすびを1つ手に取り、両手でそっと宇宙空間に解き放った。



遠くでふたつ並んだ星がチカチカと瞬くのが見えた。







坊ちゃん賞に出した作品です。
少し手直ししたものを路地裏で供養します。UFOで回収お願いします🛸


ちょっと、力入ったかなぁ😂



#なんのはな塩むすび
#なんのはなしです火星



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えむのマイトン | 路地裏で遊ぼう サポートいただきありがとうございます😊嬉しくて一生懐きます ฅ•ω•ฅニャー