15年間ずっと変わらないけど、滅多に言わない君への想いを伝えます
当たり前の日常が、当たり前じゃなくなるのはいつも一瞬だ。
目の前の世界が一変したとき、動けなくなるか、それとも一歩でも動くことができるのか。
振り返ると、その差はとても大きな違いだったと気が付く。
ねぇ、カナ。
君もそう思うよね?
🔶🔶🔶
ヴーヴーー、ヴーヴーー
紺色のローテーブルに置いた携帯電話が震える。
2010年8月のある日曜日、夜8時頃。
一人暮らしの部屋で、当時ハマっていたコウケンテツのレシピ本を片手に、ビールに合う炒め物か何かを作っていた。1Kの狭い部屋には、オイスターソースとごま油が肉に絡む香ばしいかおりがする。
バックミュージック代わりに垂れ流すテレビからは、お笑い番組のガヤガヤ音が聞こえている。
何でもない日常。いつもの休日の夜。
携帯画面を見るとカナからの電話だった。
わたしたちは付き合って半年になる。まだまだ毎日のメールは欠かさない。
ただ、いきなり電話がかかってくることは珍しかった。
たいていは、「声が聴きたい」とメールがあってからの電話なのに。
「もしもし、どうした?」
「……っ、……ぅう……」
てっきり、明るいいつもの声が聞こえると思っていたから、電話向こうの泣き声に面食らった。
カナは泣きじゃくり、なかなか言葉にならない。
「どうしたん?何があったん?」
できる限りの優しい声で問いかける。
「わたし……あのね……」
なにかすごいイヤな予感がする。
「ガン……だって。今日検査の結果が出たの。ねえ、どうしよう」
再び泣き崩れるカナの声だけが残った。
予想もしない方向からハンマーで頭を殴られて、テレビのガヤガヤも、炒め物の匂いも、世界の色も、全て一瞬で消えてしまった。
◇◇◇
次の日わたしは家電量販店でペンタブを買った。
決して頭がおかしくなったわけではない。
昨日のカナの電話の後、自分がどうしたいか考えた。
彼女のことは好きだ。当然だ。
悲しいことも、嬉しいこともはんぶんこ。
その気持ちは変わらない。
でも、これから二人に訪れる未来があまりにも見えなさすぎた。
正直、現実感もない。一緒にいたいけど、その覚悟があるのだろうか。
これは、彼女を守るためじゃなくて、「ひとからよくみられたい」という自分を守りたいんじゃないか。
ぐるぐるぐるぐる。
答えのない思考の迷宮で、ひとりあてもなく歩き回って、最終的にたどり着いたのがペンタブだった。
彼女への思いを伝えるために絵を描こう。
◇◇◇
それからしばらくはカナと会えなかった。
お互いに「おはよう」と「おやすみ」だけを言い合う日々。それ以上近づくと、何かがあふれて壊れそうだった。
さいわい、わたしには仕事という逃げ場があった。誰かと話して仕事に集中する間は、一番外側に薄皮一枚まとうことができた。
それでも休憩時間やトイレに入った瞬間、会議室から居室に帰る瞬間、一人になるとカナの泣き顔が目に浮かぶ。
胸が苦しい。涙を止められない。
ちっぽけで、今にも崩れそうなわたしにお構いなしに、世界は今日も平気な顔であっちを向いている。
◇◇◇
それから数日してやっと彼女と会うことができた。
いつも元気で、大きな声で笑うひとだった。
なのに、本当にお人形さんのように、表情が消えてしまった。
わたしは極力明るい声で話しかけた。
会社であったおもしろい話、変な同僚の話。
笑い声は返ってこない。
もう、わたしにできることはないのかもしれない。
◇◇
ある日カナのお母さんにも会って話をした。
カナには知らせず、二人だけの対面。
「はじめまして」の二の言葉で「あの子と別れてくれていいですよ」と言われた。
まだまだ人生長いんだから、わざわざ重荷を背負う必要はないと。無理はするなと。
こちらを気遣うようで、あなたにうちの子を預けられない、と言われた気がした。
まだ信用がないんだ。
半分意地になって、「別れません」とだけ伝えた。
◇◇◇
その日はカナの通院に付き添った。
前回よりも詳しい検査の結果が出ると言う。
何かの間違いであってほしい。
いや、間違いだったに違いない。
大丈夫。
そう言ってあげたいけど口には出せない。
間違いじゃなかった時に、大丈夫じゃなかった時に、より一層カナを傷つける気がするから。
そして自分も傷つくことになるから。
カナはふと目を離した隙に、シャボン玉のようにパッと消えてしまうんじゃないか。
そんな不安が常につきまとう。
カナがはじけてしまわないように、自分はどうすべきなのか。答えなんてない。
長い長い検査結果待ちの時間。
呼ばれた。結果は……。
現実は無情だった。
やはり間違いではなかった。
淡い期待もあっさり崩れてしまった。
手で顔を覆うカナ。
しっかりしなきゃって家を出る時決めて来たのに、いざその場になると、かける言葉もない。
でも、先生は希望の言葉をくれた。
「このまま悪くなる患者さんもいらっしゃいますが、回復する方もいます。自分の力を信じましょう……ね?」
カナは……?
あわてて横を見ると、かろうじて、はじけることなく隣で震えていた。
肩をぎゅっと抱きしめることしかできなかった。
◇◇◇
それからは、定期的な通院と検査を繰り返した。
仕事に、通院の付き添い、そして、絵を描く。
毎日忙しい。
分かってる。立ち止まると動けなくなるんだ。
そんな日が2ヶ月ほど続いたある日、やっと絵が完成した。
季節はすっかり秋になっていた。
◇◇◇
カナを家に呼んだ。
病院以外の久しぶりのデート。
と言っても、家なんだけど。
せっかくなので、初めて花を飾ってみた。
色のない部屋は相変わらずだったけど、ひんやりした部屋が少しだけ温かくなった気がした。
前日から料理の準備をして、お品書きも作ってテーブルに置いた。
品数はたった4品で、決して上手ではないけれど、特別なコース料理だよ!とできる限りの明るい声を出した。
食事が終わるころには、カナの表情が少しだけ戻った気がした。
「ちょっとこっち来て」
カナをパソコンの前に座らせる。
「ちょっと見て欲しいものがあるねん」
そして用意していた画面の再生ボタンを押す。
モニターからは、中島みゆきの『糸』が流れはじめた。
◇◇
あるところに男の子と女の子がいました。
男の子はその女の子のことがだいすきでした。
けれど女の子はこころにキズを負っています。
女の子は笑いません。
男の子は女の子に笑ってほしくて花を渡します。
それでも女の子は笑いません。
男の子は女の子の前で歌ってみせます。
やっぱり女の子は笑いません。
男の子は意を決して女の子にこういいます。
結婚しよう
その言葉に女の子はとうとう笑ってくれました。
二人はてをつないで歩き出します。
二人の後には花が咲きます。
あか、あお、きいろ、しろ、むらさき。
二人が歩く道は、色とりどりの花でいっぱいになりました。

今見返すと下手くそだけど、二ヶ月のあいだ、心を込めて作った動画をカナに送った。
終わったと同時に
あの日の電話をくれた後、泣きながらも
でも強く自分の中に残った気持ちをやっと伝えた。
「結婚しよう」
声は震えていたかもしれない。
でも、きっとどんな病気にも負けない。どんな逆境にも負けない。
これまで生きてきて、一番強い気持ちでカナに伝えた。
カナは笑ってくれた。
泣きながらも力強く笑ってくれた。
やっと世界に色が戻った気がした。

🔶🔶🔶
出会ってから15年経った。
すっかりガンは見えなくなってくれた。
どうしてあの日、結婚したいと思ったんだろう。日常が突然崩れたとき、ひとは大切なものに気がつくのかもしれない。
わたしにとって、カナの笑顔を見続けること。
それが一番失いたくないものだった。
どうしたら失わないかなんて分からなかったから、目の前にある手を離さない、とそれだけを思った。
一歩踏み出した結果、世界はこっちを向いてくれた。
今では当時のことを思い出す余裕もないくらい毎日育児や家事に忙しい。
長男はあふれる個性で、今日も学校に行きたくないと朝から癇癪を起こしている。
次男はひょうきんで元気いっぱいで、「パパくさい!あっち行って」とわたしの心をジワジワいじめてくれる。
そして妻は、カナは今日も子供たちとわたしにカミナリを落としながらも、その笑顔が家族の士気を左右する。
あの時は二人の未来が見えなさすぎたけど、まさかこんな騒々しい日々が来るなんて。
人生何がキッカケでどうなるか分からない。
きっとこれからも色々なことが起こるだろう。
そんな時、決して負けない為にも、あの時の強い気持ちを忘れちゃいけないと思う。
毎日そばにいてくれてありがとう。
子供たちを一緒に育ててくれてありがとう。
喧嘩もするけど、ありがとうって言ってくれてありがとう。
普段は照れ臭くなっちゃうから言わないけど、ここでこっそり言うよ。
大好きです。君と出会えて本当によかった。
いつもありがとう。
まだまだ末長くよろしくお願いします。
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