黄金比のオムライス
「今度オムライス作りに行っていい?」
大学の食堂に併設された売店で、無邪気に笑う女性からの、突然の提案に戸惑う。
◇◇◇
彼女……ミキとは……3年半付き合って、半年前に別れたばかりだった。所属していたテニス部の同級生。女子は2人しかいなかったから、必然的に仲良くなった。
1回生の夏合宿、瀬戸内海に浮かぶフェリーで星を見ながら告白した。我ながら最高のシチュエーション。その場でOKの返事をもらえて喜んだのも束の間、いきなり電話を始めたと思うと、当時付き合っていた彼氏に目の前で別れ話を切り出した。
今思えば、とんでもないクレイジーな話だと思う。だけど、中高6年間男子校で、女性のじょの字も知らなかったウブな私は、目の前で起こるその光景を、ケータイショップで事務手続きが終わるのを待つかのように、大人しく座って眺めることしかできなかった。
因果応報―――人から奪えば、いつかは奪われる。
とにかく3年半も付き合ったその結末が、「わたしな、好きな人ができてん」という電話1本だったのは、何の因果だろう。
4回生になってお互い別の研究室に配属されて、ラボの先輩を好きになったと言う。結局は身近で優しくしてくれる人を選ぶのだ。自分の時もそうだったじゃないか。
突然目の前から居なくなった彼女が、また突然目の前に現れた。
◇◇◇
「オムライス?」
「そう。この前な、美味しいオムライスのレシピを教えてもらったんやけど、食べてくれるひとがいなくて」
上目遣いのミキを見ながら考える。
ん?どういうことだ。彼氏は?
「あれ、彼氏さんは?」
「それがな、喧嘩してんねん。もうあかんかも」
それは私にとって初めての「あかんかも」だったが、女性が「あかんかも」と打ち明ける時は、何かを期待しているのだ、と本能的に察することができた。
ミキの八重歯が好きだった。
別れて半年経って、もう忘れたと思っていたけど、全く忘れていなかった。笑顔のミキの口からのぞくその八重歯を見て、淡い気持ちがじんわりと浮かんでくるのを感じていた。と同時に、急に振られたことに対する『なんやねん』という気持ちもあったのは確かで、ちょっとイジワルい返しをしたくなった。
「実は最近、江藤に女の子紹介してもらってん」
江藤というのは同じくテニス部の同級生だ。同じ大学の農学部にいる、ミカンちゃんという大人しい女性を紹介されたばかりだった。
「この前もその子とラウンドワン行ってんけど、結構気が合うみたい」
「ふぅん」
「でもな、この前二人で会ったのに、次は友達も一緒でいいか、って聞かれてて。どういうことやと思う?」
「知らんよぉ。でも、わたしあんまりそういう話は聞きたくないなぁ」
軽いジャブのつもりが、予想外の右ストレートが飛んできて、いや、ミキは左利きだから左ストレートが飛んできて、いや、そんなことはどうでもいいんだけど、とにかく面食らった私が黙り込むと、
「マイトンさんの新しい家、行ってみたいなぁ」
といたずらっぽくミキが笑う。
そうだった。ミキと付き合っていた頃はお互いに実家暮らしで、デートと言っても夕方になればバイバイしなければいけない。ちょっとどこかで休憩でもしませんか? となると八坂神社近くの安い宿泊施設を4000円でちょっとお借りするのが日常だった。
ところが、大学院に上がると同時に実家を出て一人暮らしを始めたのだった。
それにしても、マイトンさんって。付き合っていた頃は呼び捨てだったのに、さん付けの距離感に心が乱される。
技の応酬。明らかに相手の方が上手だ。
「……で、いつ来れるん?」
ついつい口を突いて出たのは『服従』の2文字だった。おれのあほぅ。あっさり屈するなんて。
「ありがと。マイトン! ほな来週の金曜日な♪」
分かりやすく嬉しそうな様子で、ミキは走り去っていった。
そして私は、かつての呼び方に時間が巻き戻され、分かりやすくニヤけていたと思う。
◇◇◇
迎えた金曜日。その日は1日ソワソワしていた。
ミキが家に来る。お互いラボで実験があるので、集合時間は夕方だった。夜ご飯ってことは泊まりもあり得るだろうか。いやいや、何を期待しているんだ。いや、でも家に来るってそういうことやろ。そういうことってどうゆうことや。あーもう!!
そうこうするうちに約束の時間になり、待ち合わせ場所の交差点に行くと、スーパーの袋いっぱいに食材を持ったミキが笑顔で手を振っていた。
わたしの住む部屋は5階建ての小さなアパートの3階だった。エレベーターはないので、螺旋階段を登ることになる。先をいくミキの後ろ姿を見ながら、1段ずつ階段を登るたびに、胸のドキドキがどんどん大きくなる。
◇◇◇
「お邪魔しまーす」
部屋に着くと、1口 コンロと小さなシンクしかない狭いキッチンに二人で並ぶ。と言っても包丁やフライパンなど道具は1セットしかないのだ。ただ横にいて邪魔をするしかないのだが、ミキも嫌な顔ひとつせずにオムライスを作ってくれる。
「え! ミキちゃん、たまごダースで買ってきたの?」
「だって、これしかなかってんもん」
「マッシュルームって水洗いするん?」
「せんやろー」
「チキンライスおれ好きやわぁ」
「わたしもー」
他愛もない会話も楽しい。
一人暮らしの部屋で、元カノがご飯を作ってくれている。このシチュエーションというスパイスを纏って黄金にかがやくオムライスが完成した。
チキンライスの上に乗っている黄金のふわふわたまご。ナイフで切れ目を入れてスプーンでチョンとつつくと、はらりはらりとほどけて、その半熟のあられも無い姿を披露する。
同時にバターの香りが鼻腔を刺激する。
前を見るとミキも目をキラキラさせながらたまごをつついている。
たまごの火の入り具合は完璧だ。
こんな火力の調節もできない電熱器具でここまで仕上げてくるとは。ミキはもしかしたらプロかもしれない。たまごのプロ。たまプロのミキ。いやぁすごい。
興奮しながら、オムライスの真ん中にスプーンを入れる。チキンライス6にふわとろのたまご4。この小さな一匙の中に、完璧な黄金比の小世界が誕生したことに驚いた。
衝動にあらがえず、無心で口に入れる。今しがた口にしたチキンライスの玉ねぎやピーマンなどの野菜の甘み、ケチャップの甘み、バターのコク、ケチャップの甘み、それをたまごがふわっ、とろろんとあまぁく包み込む。もう全部が優しくてあまぁいオムライス。たまごがとろけてるのか、自分がとろけてるのか分からない。噛む度に幸せの香りが鼻に抜ける。口腔と鼻腔が繋がっていてよかった。神に感謝だ。
ハッとして視線を前に向けると、たまプロのミキがこっちをじっと見つめていた。
その熱い視線をまともに見れず、思わず目をそらす。
「こ、これ、おいしいねぇ。ミキちゃん、お店だせるんちゃう?」
「ありがとう。マイトンに食べてもらえて良かった」
あれだけワイワイ楽しく調理して盛り上がっていたのに、いざ食べ始めると終わりが見えてきて、ふたり黙ってオムライスを食べる。
週末の夜、一人暮らしの部屋に元カノと2人きりという状況を突然思い出し、部屋の空気もソワソワし始める。
どうする?
どうするのさ?
ごちそうさまします。
あ、オムライスの話ね?
食べ終わったあとは、なんとなく近況報告タイムが始まった。
また昔の空気が2人の間に流れていたのは間違いない。お酒も入って話に夢中になっていたら、とっくに終電の時間は過ぎていた。
「ごめん、今日は泊めてね」
「泊まるのはいいけど、布団一つしかないで?」
「いいよ」
何がいいねん。と思いながら、同じ布団に潜り込む2人。
別れたばかりの元カノに手を出すなんてできない。
虚勢をはって、ミキに背中を向けて寝たふりをする。背中があったかい。
もう寝たかな?
全く寝れない。これはある意味地獄だな。
うちの天井ってこんな模様だったんだ……。
そんなことを思っているとふいに
ガタ!ガタガタガタ!!
地震だ!
咄嗟に私はミキを守るべく覆い被さっていた。
冷静に考えて、一人暮らしのガランとした6畳部屋には上から落ちてくるものなどない。
それでも無意識に彼女を守ろうとしていた。
結構揺れが大きく、なかなかおさまらない。
腕の中で、ミキが少し怯えている様子を感じる。
そうこうするうちにブレーカーが落ちたようだ。
真っ暗になった部屋で、ミキの気配が安心感を与えてくれる。
「ちょっと見てくるね」
暗闇でミキに声をかけると、手探りで玄関のブレーカーを元に戻す。電気が付いて安堵した様子のミキの姿が目に入る。
「ありがとう。変わらず優しいんやね。やっぱり私にはマイトンやね。」
「そ、そういやシャワー浴びてなかったな。ミキ先入っていいよ?」
とうとう付き合ってた頃と同じように、ミキと呼んでしまった。この時、2人が別々に進んでいた道が、再び交わった気がした。
同じ石鹸、同じシャンプーの匂いをまとったふたり、再び一緒に布団に潜り込む。
もはや、背中合わせに寝るなんて出来なかった。
わたしはチキンライス。
「今夜だけでも愛してるといって」と言うたまごちゃんと、あまぁく混じり合う。
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