【エッセイ】 レゴ遊びはうまくならない
子供の時に一番好きなオモチャはレゴブロックだった。
テストでいい点をとった時のご褒美にと、母が買ってくれた小さなレゴのストックが押し入れの奥にいくつか隠してあるのを知っていた。
それを私は律儀に気付かないフリをして、ちゃんとご褒美として受け取って、ちゃんと喜んだ。
クリスマスや誕生日のように特別な日のプレゼントはもう少し大きなレゴのセットだった。
サメがうろつく海を白波立てて突き進む海賊船。
かつては立派な王様がいたはずの不気味な幽霊城。
様々な人が生活する街の消防署。
それぞれの世界観に浸るというより、作る工程そのものがすきだった。
クリスマスの日なんて枕元にレゴのプレゼントがあるのを見つけると、日が昇る前に嬉々として飛び起き、重い雨戸サッシを一人でガラガラと開けて、両親が起きる前には完成させてしまっていた。
説明書通りにつくるのは得意だった。
何も考えなくても、目の前の指示通りブロックを配置していけばいい。
その時間だけは、1人で寂しいことや、気の合わない同級生のこと、喧嘩の絶えない両親のこと、余計なことは何も考えなくていい。
完成してしまうのはいつも、満足感と同時に寂しさも一緒に連れてきた。
──もう終わってしまった。
出来上がってしまうと、一緒に遊ぶ人がいない事実に余計寂しさが募った。
だから出来上がると直ぐに壊した。
喜びよりも寂しさが超えてしまう前に直ぐに壊した。
バラバラになったレゴは海賊も幽霊も消防士もごちゃまぜになった。
ごちゃまぜのパーツから自分の好きなものを生み出すのは得意ではなかった。そう、レゴブロックは好きだったけど、本来の遊び方はうまくできなかった。
壊したブロックはそのまま何のカタチになることも無く、ただただプラスチックの衣装ケースの中で埃を被るだけだった。
いつしか、作るのが好きなのか、一生懸命作ったものを壊すのが好きなのかよくわからなくなっていた。
だからなのか分からないが、大人になってからも積み上げたものを壊す癖がある。
自分が中心にいたコミュニティを突然何も言わずに抜けたり、何年も一緒にいた人と突然すぱっと別れたり。人生をかけてやっていたことを何の理由もなく辞めてしまったり。
やり始めた時は一生懸命になれるのに、完成が見え始めた途端に冷めてしまうのだ。
もうそこに自分がいなくてもいい。
そう思ってしまう。
そうして根無し草のように、どこにも大きな足跡を残すことなく、ふらふらと漂ってきた。
もちろん、その時々で楔をうって離れようとする私を引き留めてくれる人はいた。
そういう人の期待に応えたいと頭ではもちろん思うのだけど、一度離れた心はもう戻らなかった。
結局、不義理をしてしまった人が沢山いる。
こんな私だけど、優しいと言ってくれる人はこれまでもありがたいことに沢山いた。
でも、そこに違和感はあって、自分のことを優しいとは思えない。
そんな風に関係を切ることができてしまう人間は優しい訳がない、と思う。
本当の自分って冷たくて、人に興味がなくて、どこか欠落している人間なのだと思って生きてきた。
親にとって「こうあるべき理想の息子像」を演じ、その延長線上で人に嫌われない方をずっと選んで生きてきた結果、優しい表の顔だけはどんどん得意になった。
でもその裏で本当の自分が分からなくなっていく。
そして大切なものを壊してしまう。
その繰り返しで生きてきた。
破壊と再生ってよく言うけど、レゴと違って人生のパーツはもう元には戻らないのだ。大抵はうまく外れなかったり、衝動で叩き潰してしまうから、もう組み直すことはできない。
壊した自分の欠片は、もうリサイクルできないのだ。
破壊のあとに急ごしらえで作り直すものは、何度も作り直すうちに見栄えだけはするものになった。だけど作り直す材料もエネルギーも枯渇して、どんどん薄っぺらく張りぼての自分が出来ていく。
中身なんてなくて、押すと簡単にへこむ。
そのへこんだ部分を撫でながら心の中で涙を流してきた。
周りの人が、小さい頃から上手に積み上げてきたしっかりした生き方をしている横で、中身のないスカスカの自分を見て息を落とす。
もうずっとこの繰り返しを辞めたいのに。
何かちゃんとした芯のある人間になりたい。
そう憧れながらも、途上で壊したくなる衝動を止めることが出来ない。
気が付くとあちこちに作りかけた瓦礫とレゴの残骸に囲まれている。
今度こそ──。
レゴ遊びは一向にうまくならない。

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