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ウクライナのドローン戦略と、その先にある「光」


 これから展開するお話は、たんに新戦術の解説ではなく、まして戦争論でもなく、未来の国家像を占う「ハイテク技術」についてのべようとするものです。
 最後までおつきあいいただければ、私の意図に、かならずやご納得いただけると信じております。
 できれば今回は(註)も読んでいただきたい。本文を具体的に補完するものであります。

 ロシア・ウクライナ戦争も五年目となった。

 ドンバス地方などでの領地の取り合いでは、ここ数年、そのラインは大きく動いてはいない。ロシア軍は攻めあぐねている。

 とはいえ、物量にまさるロシア軍の圧力は、人海戦術でウクライナ軍にのしかかり、追い詰めていることに変わりはない。
 前線で、ウ軍はよくたえていると私はおもう。

 だがここにきて、ウクライナは攻勢にでて、ロシアを苦しめ始めている。
 そこには、大きな戦略の転換があった。

戦況の構造変化

 ウクライナ軍の首脳部は、地上部隊で前線での膠着状態を維持しながら、ロシア本土に戦略攻撃をしかけることで、ロシア軍の主力部隊およびクリミアの守備軍、およびプーチン政権に、搦め手から打撃をあたえる方向に舵を切ったようだ。

 戦争当初、長距離攻撃が可能な兵器は供与されず、ロシア本土の攻撃はNATOや米国によって抑制され、ウクライナは防戦一方であることを余儀なくされた。
「攻撃は最大の防御である」という選択肢は禁じられていたのだ。

「専守防衛」といえば聞こえはいいが、ボクシングを考えてみれば誰にも解るだろうが、相手を攻めずに守りきるというのは至難の業だ。

 しかしウクライナ軍は、その間、手をこまねいていたわけではなく、長距離兵器の独自開発に着手していた。

 プーチン大統領の度重なる「核」の脅しも、どうやらこけおどしだと判断した西側諸国は、ウクライナ軍がためらいがちに始めたロシア本土の攻撃を黙認するようになった。

新兵器の登場

 新兵器開発においては、ドローンを主力におこなわれたようだ。長距離弾道弾よりもコスパがいい。
 それは、限られた資産のなかで、全体的戦略というより、現場の必要に迫られた開発だった。

 ドローンおよび無人機を多数開発。
 これらは実戦における経験から、つねにフィードバックをうけて、改良を重ねられ、ハイテク技術を駆使して精度や攻撃力、あるいは妨害への耐性がどんどん増していった。

 もともとウクライナは、DX省があるくらい、エレクトロニクスに強い国であり、AIを搭載した最新鋭の無人機を増産していった。
 それらは空中だけでなく、地上、水上、水中にまでおよび、たんに偵察や攻撃だけでなく、兵站や傷病兵の搬出にまでつかわれている。

戦略の転換

 こうした新兵器を利用して、戦線の膠着を維持しながら、ウクライナ軍は敵地攻撃にのぞむことになった。

 開戦直後のドローン技術においては、ロシア軍がはるかに上回っていたが、現在はその優位が逆転した。航続距離も長くなり、ロシアの奥地まで届くようになった。

 さらに、ハイテク防衛開発・統制機関 BRAVE1を設置し、そのトップに、軍人ではなく、テクノロジーの最先端に立つ人物をすえたようである。

 プーチン氏ひきいるロシア軍は、物量にものをいわせて、ウクライナのインフラ、産業施設、公共施設から集合住宅にいたるまで、ウクライナ人の戦意喪失を狙った戦略攻撃――すなわち、無差別攻撃をしかけている。

 しかしウクライナ軍の参謀本部は、最新兵器を集中的に使用する選択をした。
「石油」がまず、そのターゲットである。
 次に、「軍需産業」

 当初のドローン攻撃は、戦闘機や爆撃機、戦車、ミサイル発射装置など、眼の前の敵を狙った戦術的なものだったが、いまは「元を断つ」という明確な戦略にもとづいたものへと転換している。

 もっぱら、石油施設、軍需事工場、補給路、タンカーなどを標的に絞って、波状攻撃をくりかえす。

 そのせいで、石油輸出国であるロシアが、輸入国に転落。
 石油不足は、兵器の燃料不足だけではなく、ロシアの外貨を流出させて経済的な打撃をあたえ、この戦争始まって以来の、ロシア国内の社会不安と不満をあおっている。
 プーチン氏の金字塔であるクリミアも補給路を断たれて、孤立化しつつある。

 こうしたウクライナ軍の戦略攻撃は、ロシアの兵站や経済構造に打撃をあたえ、じわじわと効いて来ている。

ドローンのキモ

 一部公開されているロシアの軍事委員会のヴィデオを見た。
 そこで若い前線指揮官が、プーチン大統領に訴えていた。

――ウクライナ軍のドローン技術は、われわれをはるかに凌駕しており、わが軍にはそれに対応するすべがない。出来るだけ早いうちに、ウクライナの技術に追いつき追い越さなければ、劣勢に立つわが軍の損傷は今以上に拡大します。

 よくこの映像を公開したなとおもう。
 おそらくプーチン氏には、ウクライナの技術を近々キャッチアップできるという自信があるのだろう。

 そもそも以前は、イランの技術支援もあり、ドローンにおいては、ロシアのほうが一歩も二歩も先をいっていた。
 それをウクライナに逆転されたわけであるが、プーチン氏にも追いこす自信がある。

 だが、ウクライナのドローンがロシア軍の脅威となっているのは、かならずしもドローン兵器それ自体の優秀性だけではない。
 むしろ、その運用にある。
 世界一といわれたモスクワの防空網をなんなくすり抜けたのも、兵器の性能以上に、その戦略的運用に要因がある。

 それを可能にしたのが「デルタ」という統合戦略ソフトである。

DELTAという魔法の杖

「デルタ」は、統合作戦プラットフォームである。

 戦闘は、「偵察」「情報評価」「攻撃」という三つの段階で構成され、このサイクルを戦闘終了まで繰りかえす。
 偵察して敵状や戦場の地形や気候などの情報を集め、それらを総合して、評価し、その上で作戦を立て、ようやく攻撃にうつる。

 通常の軍隊では、次の攻撃まで、早くとも20分かかる。

 しかしデルタを使用すれば、最短1分に短縮される。流動する状況に即応できる。先手必勝である。

「デルタ」は、画像、音声、電磁波など、あらゆる情報を、衛星や兵器、兵士の監視カメラ等の機器から収集し、AIがそれを分析・総合し、もっとも効果的な数種類の作戦攻撃プラン――標的、攻撃方法、投入する物量などを整理し、攻撃プランの候補を瞬時に提案する。
 実際には、デルタのもとにさまざまな状況や危機に応じたアプリが多数紐づけられている。

 敵軍のどこをどのように衝けば効率的か教え、無人機の運用もしてくれるのだ。
 指揮官はそれを見て攻撃作戦を決定し戦闘を開始する。

 いちばん時間を要するのは、それらを見て、どう人間が判断し決定をくだすかという段階である。

 すべてのプロセスは、プラットフォームの画像で、中央の司令官から前線の兵士にいたるまで、リアルタイムに把握できるばかりか、それぞれの立場や状況に応じて、戦力の構成を構築し、適切で個別な戦術を具体的にアシストしてくれる。
 限定された兵力を集中し効率的に運用でき、しかも極端に早い。
 コスパもタイパもよいのだ。

デルタの来歴

「デルタ」は、BRAVE1がつくったソフトである。
 米軍の最先端ソフトに匹敵するといわれているが、事実は、それ以上である。

 なぜならば、デルタは終始、実際の戦闘の成果や失敗の経験、使い勝手などなど、司令官から前線の兵士にいたるまでの現場の要求や、貴重なアイデアや発見など――実戦の場からリアルガチなフィードバックをうけて、日々刻々と進化の途上にあるからだ。
 このプラットフォームの利便性を向上させるために、ハイテク技術者はもとより、民間のアプリ開発者、ハッカーからゲーマー、アニメーターにいたるまで、考え得るかぎりの人材が参集していると聞く。

  BRAVE1は単一の組織ではなく、「クラスター」を構成しており、本部たる政府機関の傘下に、多様なスタートアップ企業が葡萄の房のようにぶら下がり、IT防衛の理念の下に有機的に参集して出来ているのである。

 米軍のソフトは限定された開発チームによってつくられ、利用者も制限されたトップダウン。
 ウクライナの「デルタ」は、それにくらべて、ボトムアップのソフトであり、前線の兵士一人一人の切実な経験にもとづく情報が刻々とあがってくる。それらを BRAVE1の下にある企業がそれぞれの得意分野において、最適なソリューションを提供する仕組みになっているようだ。

 こうしたウクライナの取り組みは、世界の防衛関係者の熱い注目をあつめ、各国が提携と技術供与をもとめている。
 日本の防衛省もその一つである。

 民間では、楽天が BRAVE1と提携している。
 楽天は早くからウクライナを支援し、楽天の提供するメッセージソフトはウクライナ人の大半に利用されているらしい。
 三木谷社長、やるね!

 とにかく、ウクライナ軍のこうした新戦略は、これからの戦争の在り方を提示している。

 全部書き終わったところで、緊急ニュースが入ってきた。
 ウクライナのフェドロウ国防省が、突如、解任された。
 フェドロウ氏は、元デジタル変革大臣・第一副首相でもあり、私がここまでのべてきたウクライナ軍のデジタル化のすべてを主導してきた中心人物である。弱冠35歳の天才だ。
 ウクライナが平時であれば、こんな抜擢人事はおこなわれなかったであろう。
 かれの急激な変革が、ウクライナ軍上層部の守旧派と衝突し、大統領は解任のやむなきにいたったようだ。
 すべてを数値化しようとするフェドロウ氏の軍改革に反発する気持ちは、私にも解らなくはないが、そんな暢気なことをいっている場合でもないこともまた現実である。
 他者への配慮忖度より実質を優先し前に突き進むのは、若者の特権である。
 暗殺されぬかぎり、フェドロウ氏は歴史に再登場するであろう。かれは、スティーブ・ジョブズのように、近未来の世界を予測し、それにかたちをあたえることの出来る、類いまれな才能の持ち主なのだ。

 ゼレンスキー大統領よ、あなたはこのままウクライナの英雄で終わるのか、それともフェドロウと世界を変えますか――

デルタ――希望の光

 ここまで長々と戦争の解説をしてきたが、私の意図はそこにはない。
 私はハト派ではないが、タカ派でもない。

 これまで見てきたように、「デルタ」は、ロシアや中国、そして米国のようなトップダウン専門の強権的な国家では適合不可能なソフトである。

 デルタとは、「直接民主制」的なソフトなのだ。

 だとすれば、この軍事用プラットフォームのシステムを、「民生用」に応用できるはずだ。
 いや、ぜひとも、そうすべきだ。

 さまざまな情報を国政用「デルタ」が収集し、整理し、分析し、綜合し、多様な観点から、いくつかの政策案を提示してくれる。
 役人はそれを検討し、議員はそれぞれの立場から政策を選択する。
 そうなれば、低レベルな議員が、週刊誌ネタで、だらだらと貴重な時間を無駄にするような、無意味でくだらない国会運営は、永久に消える。
 それを得意がって報道する「オールドメディア」も退場を余儀なくさせられる。

 なんなら、「議員」なる者も、プラットフォームの構築次第では、さきざき無用の存在となる。
 私たちそれぞれが、自己の責任において、直接に政策決定権をもてる。まさに「主権在民」である。

 やたら時間がかかり、ある種の「規制」として機能している「お役所仕事」も、断然、スピードアップする。
 日本語とはおもえない「行政用語」や「法律用語」も、AIがまともな日本語になおし、趣旨や問題点を対話的に解説してくれるので、国民がケムに巻かれてごまかされることもない。

 各省庁は、政府の構成する「クラスター」に変換され、「縦割り行政」「二重行政」などの悪習も消え失せる。
 特別会計を食いつぶすムダな外郭団体や第三セクターも、ぜんぶ整理できるし、国民が直接監視できる。

 どこから見ても、コスパ、タイパがいい。

 むろんAIも完璧ではないし、ミスも犯す。たびたびバグも発生する。

 しかしそんなこと言いだせば、人間なんて、間違いだらけのバグった存在ではないか。
 プーチン氏やトランプ氏、鳩山さんを指導者に選んだのは、ほかならぬ私たち人間だ。

 バカとハサミは使いよう。
 AIも、それを利用する者の智慧に、その有用性のカギがある。
 日々の経験から得られたデータをフィードバックし、プラットフォームが最適化するように、不具合を訂正し、欠陥を補って、細心の注意をはらって、たゆまずアップデートを継続してゆくのだ。
 そしてそれは、私たち日本人に合わせて構築されねばならない。 憲法のように一部の者によって起草されるのではなく、あたかも「慣習法」のように、さまざまな現実の問題解決の経験から、しだいに出来上がることがもとめられる。

 最終的な判断の是非は、私たちの主体性と力量にかかっている。AIに依存し支配されるようでは、ハナからお話にならない。

 いまさら、新「マルクス主義」とか唱えている学者はアホじゃないかとおもう。そんなところに、希望の光が射すはずがない。(註)
 当初から枠組みが設定され、一部の知識人が独占するコスモポリタンなプラットフォームに明るい未来はない。
 Big Brotherは御免蒙りたい。

 これからめざすべきは、「デジタル民主主義」である。

 まあ、冗談はこのくらいにして――

 いずれにしても、AIやDXの技術が、将来の社会システムを構築する上で、主役を演じることになると私はみている。

「デルタ」は、将来のあるべき世界像を暗示するプラットフォームである。私は、そうおもう。

 
註)
 はじめて斉藤幸平氏をテレビで見た。
 ハンサムでスマートな、いかにも才能ありげな青年だった。
「日本の国民は騙されやすい」
と、斉藤センセイは何度も強調していた。
「日本人はチョロい国民」というのが、実際にはなたれた言葉である。
 それは裏をかえせば、民衆は自分のようなエリートに領導されるべきだといっていることになる。国民は「衆愚」なのだから。
 メディアで声を大にして発言するというのは、そういうことだ。

 かれのようなマルキストないし左翼は、ほとんど例外なく、心の中で民衆を見下している。しかもそのことを自覚していない。「チョロい」なんていう言葉のチョイスが、かれの隠された本性を裏切り示している。
 てめえの方がよっぽどチョロい青二才じゃねえか、ふざけんじゃねえぞこの野郎、とおもった人もおられるだろう。

 とにもかくにも、こういうヤカラの手にかかれば、「プロレタリアート独裁」や「アソシエーショニズム」など、結構な理念を掲げていても、実際には、少数の指導者が全体の枠組みを決定する「トップダウン」の革命が行われる。
 そしてその枠組みからはみ出したり、批判する者を強制的に排除する。
 その意味で、「トップダウン」の革命は、必然的に強権的な専制国家へと道を通じている。
 始末に悪いのは、この現実を左翼の連中がまったく自覚できていないということだ。

 辺野古で女子学生を死に追いやった連中も、お前ら衆愚には何が「正義」か、ちっとも解っちゃいねえんだ、と内心では考えている。
 かれらは「正義」を一人じめしていると自負しているのだ。「プロレタリアート独占」かよ。
 でもなければ、ああいう不遜な態度はとれない。

「豊かな子どもたちは自衛隊とかなりませんよ」という発言も同様のメンタリティを背景にもっている。
 かれらは民衆のために政治活動をしているつもりなのだが、それでいて、民衆を見下し軽蔑しているのだ。
「自衛隊とか」って、あなた何様?

 これは、よくある左翼批判ではない。
 私はむしろ、意外かもしれぬが、「社会主義」に共鳴する者である。「保守」を口にする現状維持派にはうんざりする。
「自由主義」や「資本主義」よりも、社会の持続可能性や所得格差の解消を考慮すれば、社会主義的な政策を採用すべきだと考えている。

 だがしかし、従来の左翼や社会主義者の頭の中にある、少数者による上からの一方的な政治改革は、けっして私たちの仕合せにつながらない。
 それどころか、新たな絶対的権力階層を生みだし、所得格差は広がりこそすれ、縮まることはないし、社会持続性の点でも、独裁体制の決定する政策に歯止めがないというリスクを負うことになる。
 私たちの意見やアイデアは国家にフィードバックされない。
 三十万人もの戦死者をだしながら、なんら打開策もなく、戦争をやめられないロシアは、その好個の見本である。

 マルクス主義の教える社会進化論は完全にまちがっている。
 歴史を、唯物論的・数学的理性で計測することは出来ないからだ。「トップダウン」の革命がかならず専制国家を生むという歴史的現実は、「歴史的理性」の立場に立ってはじめて見えてくる真実なのである。

 デカルトは、「方法序説」の中で、自分は「世間(現世)という大きな書物」から学ぶのだ、と宣言している。それは、中世のスコラスティックな世界観の呪縛から脱却するためだった。
 そうして近世はひらかれていった。

 斉藤氏も、若いんだから、マルクス主義という「恩寵の光」の下でものを見るのではなく、自然光の下でじかに現実にふれ、「世間という大きな本」から学んでみてもいいのではないか。
 ほんとうの「人新世」が見えるかも……



蛇足以下の 低レベルな話
 ついでにいうと、同じ番組に、橋本徹氏がでいてた。
 かれは、同志社国際高校にたいする文部科学省の指導はまちがっていると、教育基本法をもとに主張していた。
 同学は、生徒にくばった修学旅行のパンフレットに、辺野古基地移設反対の団体の、「ともに座りこみをしましょう」という政治ビラを同封していた。
 安全面とはべつに、文部科学省はそれを問題視したのだ。

 橋本氏は、文部科学省の注意指導は、学校関係者を委縮させるという。
 さらに橋本氏は、「座り込み」おおいに結構、学生におおいに政治体験させるべき。だが、それならバランスをとって、逆の立場、たとえば右翼の黒い街宣車にも乗せるべきだ、と。
 さすがにこれは、ジョークだろうが、とにかくさまざまな政治的立場をバランスよく学生に経験させるのが、教育基本法の理念だと、弁護士として、法律の専門家の立場からいう。

――だが、問題となっている教育基本法第十四条にはこうある。
法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

 つまり「バランス」もヘチマもない、学校が「政治的活動」に学生を参加させること自体が違法なのだ。
 教育基本法にあるのは、教育の課程における学生の政治活動参加の原則禁止であり、政治「バランス」は生徒たちではなく、あくまで学校側が「政治的中立」を維持しなくてはならないということなのだ。

 橋本氏は、ほんとうに条文を読んだのか?
 当然、読んだはずだ。

 学校は生徒に、「特定」の党派に偏った政治教育をするのではなく、まんべんなくあらゆる立場の政治主張を学ばせるべきだというのは、なんの根拠もない、たんに橋下氏個人の主観的意見にすぎない。
 かれはそれを、あたかも「法律」にのっとった「社会正義」だと強弁しているのである。
 法律家としてあるまじき行為である。

 ちなみに橋本氏の主張はいつもこういう論法にもとづいている。
 弁護士であり、政治、行政経験もあるという経歴を担保にして、その実、自分がその場で直感的にえらんだにすぎぬパーソナルな意見を、経験にもとづく専門的な業界の「常識」であるかのように提示する。
 当然、そこに一貫性はない。あるのは、ただもう自分が正しいとする、盲目の自己肯定のみ。
 いわれた相手も、たいてい頭の鈍いデクノボーなので、てもなくケムにまかれるのである。
 こういう連中が仕切っているから、オールドメディアは信用されなくなった。信用失墜し衰退したのは、時代の変化でもネットメディアの台頭によるものでもなく、自己責任である。
 なんでもかんでも芸人とアイドルに頼る番組づくりと、かれらに見合った低レベルの司会者とコメンテーター。
「チョロい国民」は、その劣化を見逃さない。


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神原 伊津夫 福田恆存さんや、そのほかの私が尊敬してやまない人たちについて書いています。とても万人うけする記事ではありませんが、精魂かたむけて書いております。