“優しい人がいい”と言う人ほど、恋愛がうまくいかない理由
マッチングアプリのプロフィールを見ていると、
毎回思うことがある。
本来必要な自分のことを語る前に、
「〇〇な人と出会いたいです」と書いている人が多すぎる。
男性側だと、
✔ 優しい女性がいいです
✔ 笑顔が素敵な人がいいです
✔ 気遣いができる人がいいです
✔ 家庭的な女性が理想です
✔ 癒し系の人が好きです
女性側だと、
✔ 誠実な人が理想です
✔ ちゃんと向き合ってくれる人
✔ リードしてくれる男性が好きです
✔ 経済的に安定している人
✔ 尊敬できる人がいいです
一見、どれも普通で、まっとうで、当たり前のことに見える。
実際、言葉だけを見れば、変なことを言っているわけでもない。
その一つひとつは、たしかに理解できる。
でも、正直これを見るだけで、私はちょっとうんざりしてしまう。
「またこれか」と思う。
最初は、なんでこんなに引っかかるのか自分でもよく分からなかった。
ただの好みじゃん、と言われたらそれまでだし、
人に理想があるのは当たり前とも思う。
でも、それでも残る違和感があった。
その違和感をよく見ていくと、
私は“条件が書いてあること”そのものに反応していたわけじゃなかった。
もっと別のものに反応していた。
今回は、
✔ マッチングアプリで疲れている人
✔ 恋愛でうまくいかない経験が続いている人
✔ 関係の中で「自分を削っている」感覚がある人
そういう人に向けて、その構造を徹底的に書いていきます。
🔹 それは“好み”じゃない
最初は、ただの好みの問題だと思っていた。
でも違った。
これは“好み”じゃない。
構造の問題だった。
この書き方って、よく見るとこうなっている。
男性側なら、
「この条件に当てはまる女性ならOKです」
女性側なら、
「こういう男性なら関係を許可します」
つまり、どちらも最初から“選ぶ側”に立っている。
もちろん、恋愛において「自分の好み」があるのは自然なことだと思う。
合う・合わないがあるのも当然。
でも、関係が始まる前から
「私はこういう人を求めます」
「私はこういう人しか受け入れません」
という形で条件を先に並べているとき、そこで起きているのは“出会い”というより、“審査”に近い。
しかもその審査は、かなり無意識に行われる。
書いている本人は、そんなつもりはないと思う。
ただ、自分にとって大事なことを書いているだけのつもりかもしれない。
でも構造として見ると、
「あなたは私の期待を満たせますか?」
という問いを、最初から相手に投げている。
ここに、私はうんざりしていたんだと思う。
人として出会う前に、
条件を満たす存在かどうかで見られる感じ。
まだ会ってもいないのに、
“役割に合うかどうか”を先に判定される感じ。
それがどうしても、しんどい。
もちろん、これはすべてのケースに当てはまるわけではない。
たとえば「誠実な人がいい」というのは、過去の経験から自分を守るための、まっとうな表明でもあると思う。
ただ、その上で思うのは、
条件が前面に出た瞬間に、関係が“機能”に寄っていく傾向は確かにある
ということ。
🔹優しさという名の恐怖
さらに気になるのは、その中身。
男性が求めるものは、
✔ 優しい
✔ 笑顔
✔ 気遣い
✔ 癒し
✔ 家庭的
女性が求めるものは、
✔ 誠実
✔ 安定
✔ 向き合う力
✔ リード
✔ 尊敬できること
どれも、言葉だけ見ればきれいだし、まともに見える。
でも、構造的にほどいていくと、
これらはしばしば
「自分にとって都合がいい相手」
を表す言葉になっている。
優しい=自分を否定しない人
笑顔=機嫌よくいてくれる人
気遣い=先回りして満たしてくれる人
誠実=安心させてくれる人
安定=不安にさせない人
リード=決めてくれる人
優しさも誠実さも、安定も笑顔も、
その言葉自体が悪いわけじゃない。
でもそれが“条件”として並んだ瞬間に、
その人の人間性全体ではなく、
自分をどう満たしてくれるか
自分の不安をどう処理してくれるか
自分にとってどんな機能を果たすか
に、視点が寄ってしまう。
その瞬間、人ではなく“機能”として見られている感じが生まれる。
私はたぶん、それに反応している。
🔹 気づいたら決まっている配役
この違和感って、
「こういう男はイヤ」とか
「こういう女はムカつく」とか、
そういう単純な感情の話じゃない。
“人として見られていない感覚”
なんだと思う。
条件に合うかどうかで見られている時点で、
そこにあるのは“関係”ではなく、
適合・不適合の判定
になる。
そうやって見られると、出会いは“関係を育てる場”ではなく、
“条件を満たせるかどうかの確認の場”になる。
すると何が起きるか。
男性は、
🌀リードする役割
🌀安心させる役割
🌀経済的に支える役割
を引き受けやすくなる。
女性は、
🌀癒す役割
🌀機嫌よくいる役割
🌀気を遣う役割
🌀感情的負担を軽くする役割
を引き受けやすくなる。
そして気づかないうちに、
お互いが“相手の期待に合う存在”を演じ始める。
でもそれって、もう“その人自身”でいることとは少し違う。
🔹 その関係、交換か依存か
じゃあ、なぜ人はこうやって条件を書くのか。
ここにも構造がある。
私は大きく分けて、2つのパターンがあると思っている。
1️⃣交換型
「自分も満たすから、相手にも満たしてほしい」
これは、条件の交換で関係を作ろうとする型。
たとえば男性側なら、
✔高収入である
✔見た目にも気を使っている
✔仕事も社会的立場もある
そういう人が
「若くて綺麗な女性がいい」
「家庭的で支えてくれる女性がいい」
と言う。
女性側なら、
✔自分も見た目を整えている
✔コミュ力も磨いている
✔感情労働も頑張っている
そういう人が
「年収が高くて安定している男性がいい」
「誠実でちゃんと向き合ってくれる男性がいい」
と言う。
これは一見、筋が通っている。
「自分も努力しているんだから、相手にも同じだけ求めたい」
そういう感覚は、ある意味自然だと思う。
でも構造としては、
条件の交換
になっている。
一見対等だけど、これはやっぱり“取引”の構造でもある。
2️⃣ 依存型
「自分は満たさないけど、相手に満たしてほしい」
これはもう少し受け身で、もう少しファン心理に近い。
たとえば男性側なら、
✔自分は年齢を重ねている
✔特に見た目も生活も整えていない
✔でも
「若い女性がいい」
「可愛い子がいい」
「癒してくれる女性がいい」
と言う。
女性側なら、
✔自分はまだ自立が曖昧
✔生活や感情の土台を他人に預けたい
✔でも
「養ってくれる人がいい」
「全部リードしてくれる男性がいい」
「何も言わなくても察して守ってくれる人がいい」
と言う。
これは“理想”というより、
自分の不足や不安を、相手に埋めてもらいたい
という構造に近い。
いわば、
🌀自分はそのままでいたい
🌀でも相手には満たしてほしい
という状態。
これは楽そうに見えるけど、
実際にはかなり外部依存が強い。
この交換型と依存型は、違うように見えて、
実は根っこが近い。
共通しているのは、
「条件で人を見ている」
ということ。
交換しているか。
依存しているか。
違いはそこだけで、
どちらも“関係”ではなく“条件”で成立しようとしている
点では同じ。
だからどっちにいても、
“人そのもの”ではなく、“満たす役割”が前に出てくる。
🔹その状態、けっこう疲れる
条件で始まる関係は
最初はうまくいっているように見えることが多い。
でも、その内側では静かにズレが始まっている。
まず起きるのは、
演じることが前提になる
ということ。
交換型なら、
🌀相手に見合う自分でいなきゃ
🌀価値を落とさないようにしなきゃ
となる。
依存型なら、
🌀嫌われないようにしなきゃ
🌀見捨てられないようにしなきゃ
となる。
どちらにしても、
自然な自分ではなく、“維持する自分”になる
のが問題。
次に起きるのは、
評価に振り回される
こと。
✔私はまだ価値があるか
✔相手はまだ私を必要としているか
✔条件を満たし続けられているか
✔魅力を保てているか
✔期待に応えられているか
これを無意識でチェックし続けるようになる。
その状態って、かなり疲れる。
外から見れば普通に付き合っていても、
内側ではずっと審査されているような感覚が続く。
さらに厄介なのは、
本音が分からなくなる
こと。
✔私はこの人が好きなのか
✔この条件が好きなだけなのか
✔一緒にいたいのか
✔選ばれていたいだけなのか
✔この人といると安心するのか
✔ただ一人になるのが怖いだけなのか
こういう問いに対して、自分の感覚より
“条件に合っているかどうか”が優先され始める。
すると、自分の本音がどんどん見えなくなる。
その結果どうなるか。
関係が続いても満たされない
という状態が起きる。
条件は満たしている。
世間的にはうまくいっているように見える。
ちゃんと恋人同士をやっている。
でも、どこかズレている感じが消えない。
これは苦しい。
そして最後に起きるのが、
崩れると一気に終わる
ということ。
条件で成り立っているから、
🌀収入が下がる
🌀見た目が変わる
🌀若さが失われる
🌀余裕がなくなる
🌀病気になる
🌀感情的に安定していられなくなる
そうなった瞬間、関係ごと不安定になる。
なぜなら、つながっていたのが
“その人自身”ではなく、“条件”だったから。
条件が外れたときに、
その人をその人として好きでいられる土台がない。
これが条件ベースの関係の怖さだと思う。
🔹 “いい奥さん”をやっていた頃の話
でもここで気づく
この違和感を感じるということは
自分もどこかでその構造に乗っていた
ということ。
私は、ちゃんとしていれば愛されると思っていた。
優しくしていればいいと思っていた。
気を遣っていればうまくいくと思っていた。
ちゃんと向き合えば、ちゃんと返ってくると思っていた。
実際、私はそれをやっていた。
✔ 夫の希望通り、専業主婦になった
✔ 夫の仕事関係の付き合いにも合わせていた
✔ 冷凍食品は使わず、餃子も皮から作っていた
✔ 子どもの食生活を考えて、市販のパンは買わずに手作りしていた
“いい奥さん”“いいお母さん”を、ちゃんとやっていたと思う。
でも本当は、
働きたかった
言いたいこともあった
ただ、それを出すと壊れる気がして、出さなかった。
だから私は、
関係を作っていたつもりで、
条件を満たし続けていただけだった。
私は、ただ外を批判しているわけじゃない。
その構造に身に覚えがあるからこそ、引っかかる。
自分もどこかで、
“満たす・満たされる”のゲームにいた。
自分もどこかで、
“選ぶ・選ばれる”のゲームにいた。
その感覚を知っているから、もうしんどいんだと思う。
🔹 条件で繋がる関係の末路(クロちゃんとリチ)
これはあくまで一例だけど、
こういう構造は現実でもかなり多く見かける。
分かりやすい例として、
クロちゃんとリチの関係もかなり近い構造だったと思う。
外から見ると、
・彼氏彼女として成立している
・仲良く見える
・愛があるように見える
でも、あの関係をよく見ると、
そこで起きていたのは
“役割で繋がっていた関係”
だったように見える。
クロちゃん側は、
🌀 理想の彼女を求める側
リチ側は、
🌀 期待に応える彼女
お互いがお互いの役割を演じていた
ということ。
ここで大事なのは、
本当のお互いを好きになっていたかどうか
という問い。
✔こうしてくれるなら好き
✔こうでいてくれるなら成立する
✔この役割を果たしてくれるなら関係は続く
それって全部、
条件つきの関係。
その状態では
本音が出せない。
そしてこの例が示しているのは、
条件で始まる関係、役割で成立する関係は、
最初は一見うまくいっているように見えても、
本音が消えた瞬間に終わる
ということ。
これ、他人の話じゃないと思う。
🔹それでも、続ける?
だからこれは、
「もっと条件を減らそう」とか
「もっと上手に条件を書こう」とか
「条件に合わせなくていい」とか、
そういう話ではなかった。
もっと根本の話だった。
その基準に合わせるかどうかじゃなくて
そのゲームに乗るかどうか
だった。
条件で始まる関係にいる限り、
どこまでいっても
自分を削る前提
になる。
優しさも、誠実さも、笑顔も、安心も、
本来は自然ににじみ出るもののはずなのに、
条件になった瞬間、
“提供物”になる。
それはもう、関係というより役割。
私はもう、そこに戻りたくない。
🔹最後に残るもの
だから私は、
「こういう人がいい」と言われる側には
いなくていいと思っている。
その基準で選ばれるくらいなら、
一人でいる方がよっぽど楽だし、ズレない。
大事なのは一つだけ。
削らなくても成立する関係かどうか。
優しくしなくてもいい。
笑っていなくてもいい。
気遣いできなくてもいい。
リードしなくてもいい。
安定して見せなくてもいい。
癒し役にならなくてもいい。
それでも崩れない関係。
その中で出てくる優しさ。
その中でにじむ安心。
その中で自然に生まれる笑顔。
それだけが、たぶん本物なんだと思う。
あなたは、どんな条件の中で生きているだろうか。
どんな条件で人を選んでいるだろうか。
そして、あなたが決めている「条件」、
本当に自分で選んでいるものだろうか。
※「優しい人がいい」と思っていたのに、なぜかうまくいかないとき
その“選び方のズレ”について書きました。
👉『見た目で判断するな』は知ってる。でもやめられない理由
