エガちゃん「還暦の手紙」返し
エガちゃんの還暦の手紙を読んで泣いた。
そのまま自然に涙がこぼれていた。
こういう時人は、
「優しいからかな」
とか、
「誠実だからかな」
と思うのかもしれない。
私はどれも違う気がした。
ふと気づいた。
私はエガちゃんを見ている時の感覚を、
ずっと前から知っていた。
自然を見ている時の感覚みたいだ。
自然って、見ているだけで癒される。
山。
森。
川。
苔。
雑草。
別にすごいことはしていない。
むしろ、よく見ると結構ぐちゃぐちゃだ。
木は曲がっているし、苔は好き勝手に生えている。
倒木もある。
虫もいる。
綺麗に整ってなんかいない。
でも、不思議と力が抜ける。
逆に、完璧に整えられた庭園は美しい。
すごいなと思う。
でも少し緊張する。
踏んではいけない気がする。
崩してはいけない気がする。
汚してはいけない気がする。
エガちゃんは、庭園じゃない。
苔みたいなもん。
苔は派手な主役ではない。
長年ひっそりと、
そこに存在し続けている。
花みたいに褒められない。
木みたいに頼られない。
むしろ、
「なんだあれ」
くらいの存在である。
でも、いなくなると景色が変わる。
エガちゃんも、たぶんそういう存在なんだと思う。
私は以前、エガちゃんについて二つの記事を書いた。
一つは「混ぜない誠実さ」。
感情と役割を混ぜない。
相手に期待を背負わせない。
境界線を守る。
もう一つは「存在の安全」。
なぜ初対面の女性にも踏み込めるのか。
なぜ下ネタを言っても怖くないのか。
そんな話を書いてきた。
でも今回、還暦の手紙を読んで、もう一つ見えた。
エガちゃんは、自分を美化しない。
普通なら還暦である。
しかも13,000人が集まり、500万人以上が応援している。
人生最高の瞬間と言ってもいい。
そんな場面なら、人は過去を綺麗に語りたくなる。
「あの苦労があったから今があります」
「失敗も財産でした」
「人生に無駄なことはありませんでした」
そんな風に。
でもエガちゃんは違った。
地獄だった。
逃げたかった。
嫌われた。
そう言った。
しかも、その後に成功談で回収しない。
苦労を感動物語に変換しない。
人生を綺麗に編集しない。
そして最後に言う。
「オレはチ〇コを出しちゃうし」
それで伝わる。
普通は削る。
普通は隠す。
普通は綺麗にする。
でも残す。
だから生命感がある。
木が癒されるのも、
川が癒されるのも、
苔が癒されるのも、
完璧だからじゃない。
生きているから。
欠けているものを隠していないから。
完成していないからじゃない。
完成しようとしていないから。
エガちゃんを見ていると、
「ちゃんとしなくていい」
とは少し違う感覚になる。
「ああ、ちゃんとしてないのが普通なんだな」
そんな感覚になる。
その違いは大きい。
私は思う。
多くの人は、木になろうとして苦しんでいるんじゃない。
庭園になろうとして苦しんでいる。
綺麗に見せよう。
ちゃんと見せよう。
正しく見せよう。
立派に見せよう。
でも自然は、そんなことをしない。
エガちゃんも、しない。
だから癒される。
優しいからではない。
奇抜だからでもない。
エガちゃんへ。
私は、エガちゃんの優しさに救われたんじゃない。
面白さに救われたんでもない。
芸人殺しの言葉かもしれないけど。(笑)
私は、
自然に触れた時みたいに、
「ああ、人間ってこれでいいんだ」
って、呼吸ができた。
60歳、本当におめでとうございます。
