誰にも肯定されない社会構造──自分に花束を渡せる人生の記録
※本記事は構造ハブ
【保存版】頑張っているのに幸せになれない理由──成功しても“感じられない”社会構造
内の第8章です。
私はたぶん、
ずっと「立ち回りが下手な人間」だった。
会社の会議で、
進行上はスルーされているけれど、
どう考えても噛み合っていない問題を指摘すると、
誰かが反論するわけでもないのに、
空気だけが、すっと引く。
さっきまで動いていたペンが止まり、
視線が一瞬、机や壁に逃げる。
そして、決まってこう言われる。
「それは分かるけど、
今の会社のルールでは、そうなってないから」
間違っているとは言われない。
でも、これ以上考える対象からは外される。
会議が終わったあと、
真正面から責められることは、ほとんどない。
代わりに返ってくるのは、
「つよいね」
「すごいね」
「よく言えるよね」
という言葉。
「私はそこには立たない」
「あなたは特別だからできる」
そうやって、
静かに線を引かれていく感じ。
役所でも、同じことが起きた。
保育園を利用するにあたっての体制について、
長年放置されている矛盾を、
感情ではなく、構造として説明した。
窓口では、丁寧にこう言われる。
「ご意見はごもっともです」
「お気持ちは理解できます」
「ですが、これは決まっていることなので」
その場は穏やかに終わる。
怒鳴られることも、拒否されることもない。
でも数日後、
役所関係の知り合いから、
裏手で注意される。
「そういう態度はやめてくれ」
「現場が困る」
「波風を立てないでほしい」
正式な抗議ではない。
記録にも残らない。
ただ、
空気を乱した人間としての圧だけが、
あとから届く。
そのたびに、私は落ち込んだ。
なんで言っちゃったんだろう。
黙っていれば、もっと楽だった。
ひけばよかったのに。
自分の中で、
何度も反省会を開いた。
それでも、
自分や本質を裏切る場面になると、
どうしても止まれなかった。
これは勇気でも、正義感でもない。
身体が先に拒否してしまう。
「ここで折れたら、
私は私じゃなくなる」
その感覚だけが、異様に確かだった。
だから私は、
空気を読めない人になり、
扱いづらい人になり、
怖い人だと思われてきた。
「つよいね」
「すごいね」
「よく言えるよね」
誉め言葉の形をしているけれど、
どこか距離のある響きだった。
震えや迷いまでを含めて
肯定されたことは、ほとんどなかった。
でもそれは、
正しさの問題ではなかった。
ただ、同じ物差しで測れない場所に立っていた。
それだけだった。
今でも、あれが正解だったのかは分からない。
でも、自分を置いていかなかったことだけは事実だ。
成果にもならない。
効率にもならない。
正解として回収もされない。
それでも不思議なことに、
一番深いところでは、
私はずっと自分を見捨てていなかった。
否定しながらも。
疑いながらも。
怖がりながらも。
最後の最後には、必ずこう言っていた。
「こわかったね」
「えらいね」
「よくやったね」
誰にも渡されなかった言葉を、
自分だけは、自分に渡していた。
不器用で、
空気を読まなくて、
迎合できなくて、
適当に流せなくて。
また、あほなことやってんな、って
ちょっと笑いながら。
それでも、
「こんな自分と一緒にいれてよかったな」
と思えるようになった。
だから今、もし仮に。
交通事故にでも遭って、
突然死んでしまったとしたら。
後悔は、きっとある。
もっといろんなことをしたかった。
子どもの成長を、もっと見たかった。
それは、間違いなくある。
でも天国で、私は自分にこう言えると思う。
「まいまい、
あほなことばっかりやってたね(笑)
でも、お疲れ様。
よくがんばったね」
そう言って、
自分に退職の花束を渡せる。
これは、
嫌われてもよかったという話じゃない。
嫌われる可能性があっても、
自分を置いていかなかった、という記録。
それだけで、この人生は、
ちゃんと生きたって言っていいと思う。
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【保存版】頑張っているのに幸せになれない理由──成功しても“感じられない”社会構造
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