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「感じの良い」人でいること

僕は自分のことを「感じの悪い」人間だと思っていた。いや、そう思い込みたかった。

二十歳になった年、成人式にも同窓会にも行かなかった。片耳だけで講義を聞き、サークルにも入らず、時間を浪費していた。それなのに自分への期待だけは人一倍で、何もしていないのに何にでもなれると思っていた。

あの頃の僕は、自分を悲劇の主人公に見立てていた。自分だけが不幸で、自分だけが悩んでいる。だから誰にも会いたくない、関わりたくない。そう思い込まなければ、どうにかなってしまいそうだった。友人の連絡先をひとつずつ消していったのは、たぶん、惨めさを見透かされるのが怖かったからだ。孤立してしまったのではない。孤立を、自分で選んだことにしたかった。

四年生で研究室に配属された。試験を受ける受け身の学びから、自分で問いを立てて手を動かす学びに変わり、同じ時期に就職活動も始まった。就活は僕を半強制的に人の前へ引きずり出した。面接で話し、先輩やOBに連絡を取り、初対面の人に自分の言葉で説明する。

そこで、自分の「感じの悪さ」がどれほど醜いかを知った。相手の話を聞かず、値踏みばかりしている。損か得かでしか人を測れない。連絡先を消したのは強さではなく、ただの怠慢だった。

僕の心は、貧しかったのだと思う。

先進国の子どもの平均五人に一人が相対的貧困のもとで暮らしているという。相対的貧困とは、その国の文化や生活水準と比べたときに厳しい暮らしを強いられている状態を指す。つまり貧困は、額面ではなく関係の中で決まる。だとすれば、人と関わることを自ら断ち、誰かを思いやる余裕を持てない状態も、ひとつの貧しさではないか。僕は恵まれた環境にいながら、その貧しさを自分で選んでいた。

未来のためにできることは、そう大きなことではない。僕にできるのは、「感じの良い」人でいることだ。損得を抜きにして人を思いやること。求められなくても手を貸すこと。心が豊かであるとは、たぶんそういう状態のことだ。

貧困をなくす仕事は、結局のところ、人が人を思いやれるかどうかにかかっている。心の貧しい人間がいくら集まっても、誰ひとり取り残さない世界はつくれない。だからまず、自分の心を貧しいままにしない。それを僕の最初の一歩にしてこれから就職活動を頑張ろうと思う。

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