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第六十五話『灰の朝、歩き出す影たち』|長編小説|戦記ダークファンタジー|ライトノベル|ラノベ|創作|運命の物語|連載再開

灰の朝、歩き出す影たち


ハルベリア外港。
夜の海は、息をひそめたように静かだった。

軍務省医務棟《深海区画》は、
潮風にさらされた古い石造りの建物だ。

天井の灯りは落とされ、
暗がりの中を――
細かい“灰”のような粒が、ゆっくり漂っている。

それは燃え残りの灰ではない。
海から吹き上げた塩粒子と、
外港の崩れかけた倉庫から舞い込んだ粉塵。
だが、少年のまどろむ瞳には
――まるで光の残響のように見えていた。

「……ここは……?」

少年は、薄く瞼を震わせる。

ルーク・ヴァンス中尉。
紅蓮契約者。

だが今は、
魂の炎が深い霧に包まれている。

寝台に横たわった身体はまだ重く、
視界は淡い灰に滲む。
遠くで波が打ち寄せる音だけが、
世界と彼をつなぐ唯一の記憶だった。

 

――ルーク。

かすかに、“声”がした。
炎の契約の残響。
だが今は小さすぎて、指先にも触れない。

扉の向こう、
廊下の細い灯りの下で、
ひとりの女性士官が立ち尽くしていた。

セレナ・クロヴィス大尉。
帝国軍諜報部第一課――心理監察官。

白磁の頬に疲労の影を落としながらも、
その瞳は静謐な青で、扉の先を見つめている。

「……感情波は安定。精神層は……まだ深海域。」

耳元の共鳴端末に、小さく記録が重ねられる。

彼女は扉へそっと手を当てた。
その指先に、ほんの微かな温度が返る。
生の証。

「――戻ってきて。
 あなたは、まだ終わっていない。」

祈りのような声だった。

沈黙を切り裂くように、
廊下の奥で艶のない靴音が響く。

紫の外套。
銀灰の髪。
深蒼の眼を持つ男。

帝国軍諜報部長――
ロシュフォール・ド・ヴェリタス中将。

「……状態は?」

セレナが姿勢を正す。

「生命維持は問題ありません。
 ただ、精神層が深く潜りすぎています。
 無理に呼び戻せば、炎が……」

「――わかっている。」

ロシュフォールは静かに歩み寄り、
ルークの眠る扉に手を置いた。

その眼は、
“観測者”の眼。

沈黙卿の“編集”とは違う。
この男は、真実を見つめ、
記録しようとする者だ。

「……沈黙の潮。
 マリッドの残響に触れれば、
 魂が深海へ引きずられるのも無理はない。」

「でも……彼は、戻れますか?」

セレナの声は、
いつになく弱かった。

ロシュフォールは少し微笑む。

「――戻るさ。
 炎は消えていない。
 ただ……灰の底に沈んでいるだけだ。」

男は胸元から一枚の記録水晶を取り出し、
静かに符を叩く。

水晶が青紫に光る。

《Project Requiem:第一段階 ― 覚醒準備》

「中佐も、カミラも、ミハイルも。
 みな動いている。
 そして、彼も――」

扉の向こうへ視線を落とす。

「ここから、もう一度歩き始める。」

その瞬間、
寝台の少年の指が、
かすかに動いた。

セレナが息を呑む。

ロシュフォールは、
声を潜めて呟いた。

「――ようやく、火が……灰を押しのけたか。」

 

灰の粒子が、
ゆっくりと揺れて落ちる。

それはまるで、
沈んだ魂に寄り添う鎮魂歌――
静かな、再生の前触れだった。

◆編集後記

26日ぶりの再開となりました。
本当は、いっそ最初から書き直そうかと迷った瞬間もありましたが、やっぱり続きを紡ぐことを選びました。

戦記ダークファンタジーは、細部まで書き込もうとするとライトノベルらしさが薄れてしまい、かといって長編ゆえに整合性を保つのも難しく……
そのバランスに悩む日々でした。

それでも、続きが待っていると信じてくださる読者の方がいることが、背中を押してくれました。

どうか、これからもあたたかく見守っていただけましたら嬉しいです。


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