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「感情を殺す」人事課職員の私が、深夜2時にだけ「熱」を取り戻す

【創作大賞:オールカテゴリ部門】


プロローグ:他人の人生を動かす昼、自分の言葉を紡ぐ夜

朝、役所の重い扉をくぐる。
その瞬間に、私は個を消す。

本庁の人事課。
それが、私の現在地だ。

ここで扱うのは、紙の上の数字じゃない。
人の人生そのものだ。
配属、評価、異動。

たった一つの判断が、誰かの一年を
ときに公務員生活の全てを左右する。

だから私は、感情を持ち込まない。
正確には、持ち込まないふりが、誰よりも上手い。

「いつも冷静で、タフですね」

同僚のその言葉に、私は薄く笑って頷く。
否定はしない。

それは、何年もかけて磨き上げた
いちばん精度の高い仮面だからだ。

でも、ひとつだけ知っておいてほしい。
冷静に見える人間が、冷たい人間とは限らない。
むしろ、逆だ。

感情を殺せる人間は
たいてい、人より少しだけ感情が多い。

多すぎて溢れるから、蓋をする技術を
覚えるしかなかった。

定時を過ぎて庁舎を出れば
今度は生活者の私が始まる。

食事をつくり、洗濯物をたたみ、明日の準備をする。
淡々と、けれど全力で。
私には、守るべき大切な日常が、ちゃんとあるからだ。

そうして、すべての役割を脱ぎ終えた頃。
時計は、深夜2時を指している。

ここからが、本当の私の時間だ。

昼間、どれだけ感情を殺しても
私の奥にある「書きたい」という熱だけは
組織にも、生活にも、まだ売り渡していない。

これは、組織の歯車として完璧に回りながら
夜だけは純度100%の自分に還る
ひとりの人間の、生存記録だ。


第1章:脳のメモリを強制解放する「3行日記」の引き算

正直に言う。
人事課の仕事は、脳が異常に疲れる。

守秘義務の壁。
人間関係の、細かな調整。
予告なしに飛んでくる、トラブル。

家に帰れば帰ったで
生活のタスクが列をなして待っている。

あれもやらなきゃ。
これも片付けなきゃ。

脳のメモリが、いつも100%近くまで埋まっている。
この状態では、創作なんて一行も書けない。
熱を出す以前に、空き容量が足りないのだ。

だから私は、深夜の執筆を始める前に
必ず、脳を一度クリアにする。

そのための道具は、たった一つ。
「3行日記」だ。

ノートに殴り書きするのは、これだけ。

 1行目:今日、片付けた最大のこと(達成)
 2行目:今日、組織に置いてきたもの(忘却)
 3行目:明日、最初に動かす一手(未来)

勘違いされやすいが
これは、過去を振り返るための日記じゃない。
脳のメモリを強制的に解放するための、引き算だ。

特に効くのは、2行目。

「○○の案件、保留」
「○○さんの相談、今日はここまで」

頭の中にあるうちは
それは気がかりとして居座り続ける。

でも、文字にしてノートへ叩きつけた瞬間
脳はようやく、こう錯覚する。

——この件は、もう、抱えなくていい。

たった3行。
時間にして、5分。

この小さな引き算があるからこそ
私は人事課の仮面を外し
100%の熱で、自分の物語に飛び込める。

足し算ばかりの一日に、引き算を、ひとつ。
それだけで、夜の濃度は、まるで変わる。 


第2章:マニュアルのない時間を生きる。1秒を黄金に変える「細切れ思考ハック」

ここで、ひとつ現実を認めよう。

まとまった執筆時間など、私の生活には存在しない。

平日に1時間、机に向かって集中して書く。
そんな理想は、激務と生活の前で、粉々になる。
時間が空くのを待っていたら
私は一生、何も書けない。

だから、考え方をひっくり返した。

時間は、作るものじゃない。
すでにそこにある隙間を、奪い返すものだ。

昼休みの、コーヒーが冷めるまでの間。
会議が始まる前の、手持ち無沙汰な90秒。

その全部に、スマホのメモ帳を差し込む。
そこで書くのは、完成された文章じゃない。
40文字ほどの、物語の骨だ。

「主人公が、迷う場面。雨。沈黙。」
「あの台詞、もっと短く。突き放すように。」

一行でいい。
スマホ画面に刻む
「40文字の呼吸」のリズムだけ、つかまえておく。

すると、夜の机は
ゼロから言葉を生む場所ではなくなる。

昼の間に拾い集めた骨に
肉をつけていく場所に変わる。

これが、私の「細切れ思考ハック」だ。

まとまった時間がないことを、言い訳にしない。
むしろ、細切れだからこそ
頭のどこかが一日中、物語のことを考え続けてくれる。

24時間のなかで、創作のスイッチを
切らずに、点けっぱなしにしておく。

忙しい人間が書き続けるための方法は
たぶん、これしかない。


第3章:組織のノイズを洗い流す、深夜の「セルフメンテナンス」

人事という仕事は
他人の感情の泥を、受け止める仕事でもある。

不満。不安。怒り。
言葉にならない、誰かの澱。
それを正面から浴びて、表情ひとつ変えずに処理する。

冷静でいられるのは、才能じゃない。
浴びた泥を、その日のうちに洗い流す習慣が
あるだけだ。

メンタルは、気合いでは回復しない。
心が疲れたときほど、私は身体からアプローチする。

ただし、湯に浸かるだけでは足りない。
その前に、私には決めている儀式がある。

——脱衣所で、肩書きを脱ぐ。

服を脱ぐとき、私は心の中で
今日の自分の名前も一緒に脱ぐ。

「本庁人事課の私」を、たたんだ服の上に
そっと置いていく。

湯に沈めるのは、肩書きを外した、ただの身体だけだ。

不思議なもので、そう決めるだけで
今日こびりついた他人の感情が
湯のなかでほどけていく。

ぬるめの湯に、じっくりと身を沈める。
熱を芯まで入れて、その日の緊張を
ゆっくり流していく。

そして湯から上がっても、朝が来るまでは
脱衣所に置いてきた肩書きを、二度と拾い直さない。

これは、自分を甘やかす時間じゃない。
明日もプロとして仮面をかぶり
夜には全力で書くための、れっきとした整備だ。

クリエイターは、自分という機械の、整備士でもある。
オイルを差さない機械は、いつか必ず焼きつく。

熱を出し続けたいなら
まず、その熱を生む身体を、丁寧に手入れすること。

派手じゃない。
でも、この「脱衣所の儀式」
私を翌朝まで守ってくれる。


第4章:役割の仮面を脱ぎ捨てて、「一人の表現者」に還る聖域

公務員としての私。
生活者としての私。
その二つの役割を、すべて果たし終えた後。

深夜2時。
世界が静まり返り
誰も、私に何も求めてこない時間が、ようやく訪れる。

ここには、人事課の私はいない。
冷静でタフな仮面も、もう要らない。
いるのは、ただ書きたいと願う、一人の表現者だけだ。

不思議に思うかもしれない。
そんなに疲れているなら、なぜ寝ないのか、と。

理由は、はっきりしている。
この時間には、終わりがあるからだ。

あと数時間で、また朝が来る。
また、仮面をかぶる時間が来る。

その締め切りが、私の集中を、極限まで研ぎ澄ます。
無限に書ける時間より
「あと1時間しかない」時間のほうが
言葉は熱を持つ。

制限は、敵じゃない。
制限こそが、燃料だ。

深夜2時は、私が私に戻れる、たった一つの「聖域」
昼間に殺した感情の、すべての行き場所。

ここで紡いだ言葉だけが
仮面の下にいた本物の私の、たしかな証拠になる。


エピローグ:見えない枠組みの中で、牙を研ぎ続けるあなたへ

組織がある。
生活がある。
自由になる時間なんて、ほとんどない。

その枠組みを、私はずっと言い訳にできたはずだ。
忙しいから。疲れているから。立場があるから。
書けないのは、しかたない——と。

でも、あるとき、気づいてしまった。

枠の中で生きているからこそ
そこから飛び出す言葉は、鋭くなるのだと。

何の制約もない人間の言葉は、案外、ぼやける。
締め切りも、役割も
守るべき日常もある人間の言葉にこそ
切実な熱が、宿る。

だから、もしあなたが今
環境のせいで、やりたいことを諦めているのなら。
その環境こそが
あなたの言葉を尖らせる砥石なのだと、言いたい。

枠を、恨まなくていい。
枠の中で、牙を研げばいい。

この文章も、最初から完璧なプランなんて
何ひとつ用意していなかった。

日中のわずかな隙間で
拾い集めておいた「40文字の骨」に
深夜2時、3行日記で脳のメモリを
クリアにした私が、ただ今日の熱に任せて
一気に肉を付け、書き殴っただけだ。

この記事そのものが、私の生存戦略の証明でもある。

完璧な準備が整う日なんて、永遠に来ない。

来るのは、いつだって
「今夜こそ書く」と決めた、ただの深夜2時だけだ。

人は、空いた時間で夢を叶えるんじゃない。
奪い返した時間で、魂を、燃やし続けるんだ。

さあ。
あなたの聖域は、何時だろう。


編集後記

創作大賞2026 オールカテゴリ部門
一編の「読み切り」を投下しました。

普段から読んでくださっている方には
少し驚かれたかもしれません。

今回は、あえて鋭利なかたちで言葉を綴りました。

完璧な準備が整う日など、永遠に来ない。
だからこそ、奪い返したその時間で
私たちは魂を燃やし続けるのだと思います。

この記事が、日々を戦うあなたにとって
確かな「砥石」となりますように。

雪綴ゆき

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