ルミナール戦記 外伝―救済という名の呪い―第1話「雷光の戦場」

救うたびに、私は人間から遠ざかっていく。
【あらすじ】
百年続く“誰も終わらせられなかった戦場”で
ネクシア連邦の命運は一人の女性に託されていた。
メイサ・ヴァルキリー、二十一歳。
世界にわずか十人の「S級能力者」。
電磁の翼を翻し、単騎で軍団を蒸発させる
――連邦が誇る、最後の切り札。
兵士たちは彼女を「希望」と呼ぶ。
だが、その翼は救うたびに軋む。
積み重なる死者の重みが
女神と崇められる英雄をじわりと侵していく。
アウレシア帝国軍による大侵攻。
彼女が救うたび、戦争は終わりから遠ざかる。
最強であることは、誰にも触れられないということだ。
救済は、いつしか彼女を縛る呪いに変わっていた。
世界を延命させるたびに、心が磨り潰されていく。
その地獄の果てで、彼女は何を”救い”と呼ぶのか――。
第1話「雷光の戦場」
雷は、本来――空から落ちるものだ。
だがそれは、地上に立っていた。
通称「骨の谷」。
ネクシア連邦軍の最終防衛線である「ヘカトンケイル・リッジ」は、いまやその名の通り、鉄の死体で埋め尽くされていた。
高度三〇〇〇メートルから俯瞰すれば、それはただ、黒が白を呑み込もうとするだけの光景だった。
地平線を塗り潰すアウレシア帝国の『鋼鉄の潮流』。
三千を超える黒い重戦車大隊が、冬の剥き出しの大地を、逃げ場のない等速で侵食していく。
対する連邦軍の防衛線は、所々が食い破られた古布のようにボロボロだった。
生存者は規定値の十五パーセントを切り、残されたのはもはや戦略とは呼べない、絶望的な抵抗の跡だけだ。
「……弾が、ない」
泥濘に横たわる若い連邦兵が、震える指で空のマガジンを叩いた。隣では、指揮官だったはずの男が、砕けた対戦車砲の傍らで祈るように死んでいる。熱に焼かれた空気、蒸発した戦友の血。
「終わりだ。何もかも」
兵士は、迫りくる戦車のキャタピラの振動を背中に感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
その時だった。
戦場全ての電子音が、一瞬だけ止まった。
帝国の指揮車が捉えた熱源探査装置に、あり得ない数値が躍る。
『熱源感知! なんだ、これは!? 稜線中央、生存限界区域に……太陽が降りてきたのか!?』
直後、空が蒼白く爆ぜた。
夕焼けを切り裂き、その中心に”それ”は立っていた。
蒼い、物理的な光。大気を強制的にイオン化させ、鼻腔を刺す焦げ付いたオゾン臭を撒き散らす。
その鋭い臭気が、不意にメイサの脳の隅を突いた。
(……雨上がりの、アスファルト)
いつ、どこで、誰といた時か。
名前も思い出せない記憶の断片が、死臭に満ちた戦場に一滴の温度を落とす。だが、その柔らかな色彩は、背から溢れ出すプラズマの翼が放つ熱量によって、瞬く間に焼き消された。
「……来た」
誰かが、掠れた声で呟いた。それは救援を喜ぶ味方の声ではない。地獄の底から這い出そうとする亡者たちが、ただ死神の到来を歓迎する、呪いのような咆哮だった。
メイサ・ヴァルキリー、二十一歳。
超大国ネクシア連邦、史上最年少の大佐。
世界にわずか十人。
国家の抑止力そのものである「S級能力者」の一角。
彼女が来れば、戦場は終わる。
それが、百年続くこの世界の冷徹な真実だった。
メイサは、重い瞼を持ち上げる。
視線の先には、アウレシア帝国軍の進軍。最新鋭のセラミック複合装甲を纏った戦車列が、彼女一人という「異常」を排除すべく、全砲門をこちらへ向けた。
脳内のリミッターが、音もなく外れる。
「排除」
短く、唇が動く。
直後、時間は極限まで引き延ばされた。
メイサの背後の雷光が狂暴に爆ぜるより先に、空気が悲鳴を上げて凝縮する。放たれた高電圧の奔流は、最短距離を「這う」のではない。光速で伸びゆくそれは、逃げ惑う大気分子の一つひとつを、貪り喰らうように執拗に焼き尽くしていく。
標的となった先頭の戦車が、白光に包まれる。
まず、塗装が火花となって剥がれ落ちた。
続いて、分厚いセラミック装甲が赤熱し、飴細工のように歪む。内部にいた兵士たちが、自らの死を理解する暇もない「永遠の数ミリ秒」。
鉄が気化し、体積を数千倍に膨張させる絶叫のような金属音。それが届いた頃には、既に一列の軍勢が、存在そのものを「削除」されていた。
メイサの網膜には、蒼いグリッド線が走っていた。密集。距離。動線。視界に映るすべてが数値として処理される。
指が動く。雷が走る。
視界の端で、焼け焦げた敵兵の「家族の写真」が舞い散るが、演算システムはそれを『不要なノイズ』として即座に塗り潰した。そこには、殺意すら存在しない。ただの対象。ただの配置。ただの――削除点。
「FR値、上昇! 三万……五万……!」
「十万を超えた……計測不能だ!」
観測車が悲鳴を上げる。
圧倒的な事実は、勝利の予感よりも先に、味方の背筋を凍らせた。
沸き立っていた連邦兵たちが、静まり返る。
自分たちが縋っているのは「英雄」ではない。人の形をした、制御不能な「災厄」なのだ。あまりに理不尽な光景を前に、兵士たちの顔からは生気が消え、ただ口を半開きにして立ち尽くすしかなかった。
数十秒。それで、すべてが終わった。
音が、消える。残されたのは、不気味な静寂と、夕焼けと、焦げ付いた硝煙。
「……終わり」
メイサは呟き、足元を見た。
ドロドロに溶けた鉄の残骸。炭塊となって形を失った、かつて人間だったもの。彼女は、自分が何を壊したのかを数えるのを、もう何年も前にやめていた。
「……多い」
その空虚な言葉だけが、砂に落ちた。
直後、背後から熱狂的な歓声が上がる。
「勝ったぞ!」
「大佐! メイサ大佐万歳!」
連邦の兵士たちが、まだ熱い敵の肉片を無造作に踏みにじりながら、満面の笑みで駆け寄ってくる。
その瞳には自らの手で戦う意志など微塵も残っていない。ただ一点、メイサという「光」だけを、意思を放棄した空洞のような目で見つめていた。
その「気持ち悪さ」が、メイサの視界を侵していく。
「ありがとうございます、大佐!」
「さすがは我らが連邦の、最強の盾だ!」
二十一歳の大佐は、ゆっくりと振り返る。称賛の言葉が、皮膚には針のように刺さった。
「……救われた?」
兵士たちは、力強く頷く。その頬は安堵で緩み、自ら思考することをやめた人形のような無防備さで、彼女を仰ぎ見ている。
「はい! あなたが来てくれたから、僕らは――」
メイサは、それ以上聞かなかった。視線を逸らし、自らの掌を見る。過剰出力の余波で、自分の血と焼けた皮膚が混じった赤黒い跡。そして、兵士たちから飛び散った泥が、彼女の白く透き通るような指先を汚していた。
(これで?)
(これだけのモノを壊して……私は、何を救ったの?)
答えはない。ただ、胸の奥に冷たい石がまた一つ、置かれただけだ。
その時、耳の奥のデバイスに無機質な通信が割り込む。
『作戦成功を確認。個体名:メイサ・ヴァルキリー。資産価値の維持を優先し、直ちに強制冷却シークエンスへ移行せよ』
合成音声のような指示。だが、それに続く言葉は、より重く、絶対的な響きを伴っていた。
『これより、本回線は参謀本部・最上層へ直結される。……聞こえるか、大佐。素晴らしい戦果だ。君の今日の一振りは、連邦の主要債券価格を十五パーセント押し上げた。君は、我が連邦にとって最も美しい「投資先」だ』
メイサの足が、止まる。
「……まだ、やるの?」
メイサの声は、吹き抜ける風に消えそうなほど細い。
二十一歳の震える指先が、過熱したデバイスに触れる。
『当然だ。君が止まれば市場は凍りつき、君が守ったはずの市民が破産する。立ち止まることは許可されない。君は、連邦というシステムの心臓なのだから』
メイサは返信しなかった。ただ、デバイスを強引に引き剥がすように、通信を断った。
静寂が戻る。視界の端で、まだ消え残るプラズマがパチリと爆ぜ、彼女の頬を僅かに焼いた。
彼女は、暗闇に呑まれていく地平線を、じっと見つめていた。
◆ルミナール戦記 外伝(note連載小説)
◆自己紹介記事

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