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気まぐれ俳句鑑賞32『生前も死後も泉へ水飲みに』中村苑子
生前も死後も泉へ水飲みに
中村苑子
目の前の実景を捉えた、という句ではなく、心に浮かべた「泉」のまわりを思いが巡り、こういった述懐が句として生まれたのだろう、と初めは思った。
しかし、毎日「泉へ水飲みに」来る人びとの中に、ふと、すでにこの世を去ったはずの人が紛れている。あるいは、ふとそんな幻を見る。そんなふうにも思えてくる。
「泉」から、つい黄泉の国、冥府との往還を連想してしまうのは、私の安易な癖だけれど、同時に「死後」の世界なんて、と思う。
しかしこの句では、毎朝、水を汲みに来た人の習慣が、亡くなった後も数日、いやもう少し長く、気配として残っている。回り続けてきた生命の車輪の余力が、名残として姿を留める。次第に薄れ、やがて誰の目にも見えなくなるまで、しばらく水を飲みに来る人。そんなささやかな「死後」なら、私はあると思う。
「生前」と「死後」は対比されながらも、どちらも死を起点に人を捉える言葉であろう。だからだろうか、まるで「あちら側」から眺めているかのような気がしてくる。生が死に断絶されるというよりも、実体の消えたどこか柔らかい気配の余韻を残しているのは、そのせいかも知れない。
出典:『俳句歳時記 第四版増補 夏』角川ソフィア文庫
