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気まぐれ俳句鑑賞25『しまひ日の朝顔市に来てゐたり』深見けん二
しまひ日の朝顔市に来てゐたり
深見けん二
盛りの時期にはさして気にも留めていないのに、終わりが見えてくると、にわかに惜しむ気持ちが湧いてくる。そんな風にして、入谷朝顔市が三日目を迎えた。
といっても、とあるテレビ番組で紹介されるまではその存在も知らず、いつも利用する駅の構内に貼ってあるポスターにも後になってから思い当たり、開催初日は別の用事にかまけて、行こうと思えば簡単に行けるところを何とも思わずにいた。
昨日のこと。自分が使う少し遅めの下りの通勤電車に、大きな鉢植えを持って乗り込んできた客があった。大きく広々とした、柔らかそうな葉を豊かにつけた朝顔の鉢だ。三段の螺旋の巻かれた行灯仕立てで、蕾も見えなければ、まだ花の一つも咲いてはいないのだが、瑞々しい大きな若い葉のまだらが、いつまでも見ていたいようなふくよかさを湛えていた。「入谷朝顔市」と書かれた紙札が、いかにも季節物の賑わいを感じさせた。足元に鉢を置いたその人の顔も、どこか誇らしげに見えた。
そして今朝、仕事前に少し早く出て、朝顔市に立ち寄ってみよう、とうっすら思って調べてみると、用意していた鉢は、朝のうちに全て完売した、とお知らせが出ていた。
さて、掲句である。
深見さんは、あるいは朝顔市の「しまひ日」に実際に出かけて行ったのだろう。「来てゐたり」という下五の措辞からは、どういう物の弾みか、気がつけばここに来てしまった、という雰囲気が感じられる。また、やっては来たものの、棚は空っぽで、しばらく佇んでいるような気配もある。
賑わいの盛りを過ぎた、閑とした余韻こそが、この句の味わいと言える。
出典:『俳句歳時記 第四版増補 夏』角川ソフィア文庫
