短編小説「あの日に繋がる道」
「この道、見覚えがある」
信号待ちでふと顔を上げた瞬間だった。
営業先へ向かう途中。
初めて来る町のはずなのに、胸の奥がざわついた。
最近、どうにも疲れていた。
仕事では若い社員に追い抜かれそうになり、家では子どもの反抗期が始まった。
毎日忙しいのに、何のために頑張っているのか分からなくなる時がある。
そんな四十歳の午後だった。
ナビは右折を指示している。
なのに俺は、そのまままっすぐ進んだ。
なぜかそちらへ行かなければいけない気がした。
古いクリーニング店。
色あせた文房具屋。
小さな公園。
知らないはずの景色なのに、次に何が見えるのか分かる。
不思議だった。
まるで昔読んだ本を、もう一度めくっているような感覚だった。
公園の前で足が止まる。
ブランコが二つ。
赤い滑り台。
そして一本の桜の木。
その瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
桜の木に近づく。
根元にしゃがみ込む。
そこにあった。
小さな傷跡。
幼い字で刻まれた文字。
「たからばしょ」
思わず息をのむ。
忘れていた記憶が一気によみがえった。
小学一年生の春。
父の転勤で、この町に住んでいた。
たった一年だけ。
毎日のようにこの公園で遊んだ。
秘密基地を作り、虫を追いかけ、泥だらけになって笑った。
そして、美咲という女の子がいた。
笑うと前歯が少しだけ見える子だった。
たぶん、初恋だったと思う。
ある日、二人で桜の木の下に穴を掘った。
宝物を埋めるためだった。
宝物といっても大したものじゃない。
ビー玉。
折れた色鉛筆。
駄菓子のおまけ。
子どもにしか価値が分からないものばかりだった。
それでも二人は本気だった。
埋め終わったあと、美咲が言った。
「大人になったら掘りに来ようね」
俺は大きくうなずいた。
でも、その約束は守れなかった。
引っ越しの少し前だった。
美咲は突然いなくなった。
事故だったと後から聞いた。
詳しいことは覚えていない。
いや、覚えないようにしていたのかもしれない。
幼かった俺には受け止められなかった。
だから町の記憶ごと、心の奥へ押し込んだ。
桜の木の根元を見る。
そこには小さなプレートがあった。
名前が刻まれている。
美咲だった。
何十年も前から、ずっとここにいたのだ。
俺だけが来なかった。
約束を忘れていた。
気づけば、涙がこぼれていた。
会いたかったわけじゃない。
もう会えないことは知っている。
それでも。
「ごめんな」
そう言わずにはいられなかった。
風が吹く。
桜の葉が揺れる。
返事の代わりみたいに。
ふと笑ってしまった。
宝物を掘り返しに来たはずなのに。
穴を掘る気になれなかった。
たぶん、もう見つけてしまったからだ。
ビー玉でもない。
色鉛筆でもない。
忘れていた記憶だった。
大切だった時間だった。
そして、あの頃の自分だった。
車に戻る。
ナビが機械的な声を流す。
「目的地まで五分です」
俺はエンジンをかけながら、公園を振り返った。
あの日は終わったと思っていた。
とっくに過ぎ去ったものだと思っていた。
でも違った。
人生に迷った今日まで、ずっと続いていたのだ。
遠回りをした俺を待つように。
静かに。
ずっと。
あの日につながる道の先で。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
短いお話ではありましたが、ほんのひとときでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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