この裏切りは、君を守るため 第6話
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第1章 忍び寄る影
5 亡命列車
「もうすぐ国境を越える」
コンツェットの言葉に、ファンローゼは曇った列車の窓を指先で拭い、流れていく外の景色を見る。
外はどこまでも深い暗闇と吹雪で何も見えず、どこを走っているのかさえ見当もつかない。
ただ時折流れる列車内のアナウンスが、現在地を知る唯一の手がかりであった。
どこか安堵したような、それでいて故郷を離れる寂しさに、複雑な思いが胸に揺れる。 国境を越えればスヴェリア国。
エスツェリアをいまだ脅威と恐れ、侵略の手を伸ばせないでいる強国スヴェリア。
つまり、そこまで逃れられればもう、エスツェリア軍に追われる恐れがなくなるのだ。
新しい国。
新しい生活。
不安に沈むファンローゼの気持ちを察したのか、隣に座っていたコンツェットが手を伸ばし強く握りしめてくれた。
「大丈夫、何もかもすべてうまくいく。新しい生活にだってすぐ慣れる。それに」
コンツェットの強い視線が向けられる。
「僕がファンローゼの側にいる。守るから」
涙があふれそうになるのを、唇を噛んでこらえた。
泣いてはいけない。
辛いのは自分だけではない。
コンツェットだって同じだ。
いいえ、とファンローゼは心の中で否定する。
コンツェットは目の前で両親を殺された。
一番泣き叫びたいのはコンツェットのはず。
握りしめられた手を握りしめ返す。
「私もコンツェットのために力になりたい」
呟くファンローゼに、コンツェットの双眸が緩む。
「ありがとう。ファンローゼが側にいてくれたら、僕は今よりもっと強くなれる」
その時だった。
急ブレーキをかけて列車が停止した。
体勢を崩したファンローゼの身体を、すかさずコンツェットが抱きとめる。
何があったのかと不安な表情で目の前に座る母親を見つめ、窓に手をかざして外の様子をうかがった。
「そんな」
コンツェットの口から絶望的な声がもれる。
前方の車両から、エスツェリア軍の男たち数名が靴音をたてて現れた。
乗客たちが息を飲んだのが分かった。
辺りに張りつめる緊張感。
エスツェリア軍の男たちは手にしている書類らしきものをめくりながら乗客一人ひとりを確認していた。
ファンローゼはうつむきながら視線だけを動かし、軍の男たちの様子をうかがう。
隣に座るコンツェットの手もじっとりと汗ばんでいて、緊張しているのが伝わってきた。
乗客を調べていたエスツェリア軍が徐々に近づき、足音が自分たちのすぐ脇でぴたりと止まった。
手にした書類と乗客の顔を交互に見つめている。
いったい、あの書類には何が書かれているのか。
ファンローゼは震えを押さえるように、膝の上に置いた手をきつく握りしめた。
「身分証明書を」
軍の一人が尊大な口調で言い放つ。
ファンローゼの心臓がどきりと鳴る。
そんなものを見せたら、自分たちの素性がばれてしまう。しかし、母は緩慢な動作で男たちに身分証を差し出した。
男は鋭い目で証明書と母の顔を交互に見比べる。
「サラ・リズロット……」
驚いたことに、この時ファンローゼは、父と母が離縁していたことを初めて知った。
娘であるファンローゼは母方の姓になっている。つまり、父クルト・ウェンデルとの繋がりはないということだ。
父と母はいずれこうなることを見越して離縁していた。しかし、男は証明書をいっこうに返そうとはしない。
「この列車に乗ってどこへ行く」
男はさらに問いつめる。
「スヴェリアです」
「何をしに」
「母が突然倒れて、急いで駆けつけようと」
母の声に緊張が混じっていた。
男は手にしていた書類をめくる手を止め、サラとファンローゼ、次にコンツェットを見る。
「三人とも列車から降りてもらおうか」
三人は息を飲む。
まるで死刑を言い渡された気持ちであった。
いや、まさにこれは死の宣告。
「待ってください、それでは困ります。この列車から降りたら、スヴェリアへは行けなくなってしまいます! それになぜ私たちだけ!」
サラは周りを見渡した。
車内にはたくさん乗客がいたが、列車から降ろされた者は一人もいない。
男は口元に冷笑を刻んだ。
「女と、十四から十七歳の少年と少女の三人連れを見つけたら捕らえろと通達があった」
まさに自分たちに、ぴったりと当てはまる。
コンツェットはぎりっと奥歯を嚙んだ。
うかつだった。
三人一緒に行動をするべきではなかった。
スヴェリアに向かうこの列車とて、エスツェリア軍の者が見張っていると気づくべきであった。
「それと、勘違いするな。我々はおまえたちにお願いをしているのではない。命令をしているのだ」
サラはそのまま口をつぐみ、うつむいた。
ここで逆らえばかえって怪しまれる。
だが、列車から降りたが最後、二度とこの列車に戻ることはできない。
調べればすぐにクルト・ウェンデルの妻と娘であることも分かってしまう。
「サラおばさま」
コンツェットの呼びかけに、サラは瞳に絶望的な色を浮かべ顔をあげた。
コンツェットに促され、サラは青い顔で立ち上がる。
ふと目の前に差し出されたコンツェットの手をファンローゼは握る。
込められた手の力がまるで大丈夫だよ、と言っているような気がした。
「さっさと降りろ!」
列車から降りるのをためらうファンローゼの背を、背後にいた男が強く押した。
ファンローゼは小さな悲鳴をあげその場に倒れた。
その拍子に鞄に入れていた一冊の本が通路に落ちる。
それはクルト・ウェンデルが書いた最新刊であった。
これは父の手から直接手渡されたもの。
この本は世に出る前にエスツェリア軍に回収され、すべて処分された。
父がエスツェリアを批判する要注意人物だという理由だけで。
ファンローゼは慌てて落ちた本を拾い、胸に抱え込む。
けれど、その本を目ざとく見つけたエスツェリア軍の一人が、ファンローゼに冷ややかな視線を投げる。
「それはクルト・ウェンデルの本だな? なぜ、おまえがそれを持っている」
「これは……」
本を奪われまいと、ファンローゼは胸に抱え込む。
「やはり、おまえたちは……」
サラは突然、ファンローゼを問いつめる軍の男に向かって飛びかかった。
「逃げなさい!」
サラが叫ぶと同時に、コンツェットが素早く動いた。
通路に座り込んでいたファンローゼの手をひき、列車の出入り口へ走る。
扉を開けた瞬間、猛烈な吹雪に押され、足を一歩引く。
「飛びおりて!」
コンツェットのかけ声とともにファンローゼは列車から飛び降りた。
一瞬、足をよろめかせたが、コンツェットの力強い腕に支えられる。
「走るんだ!」
「止まれ! 止まらないとこの女を撃つぞ」
「お母様!」
立ち止まり振り返ろうとするファンローゼの手を、コンツェットは強く引く。
「コンツェット、待ってお母様が!」
「ここで戻ればあいつらに捕まる。君が殺されてしまう!」
「いやよ! 離して」
「離さない! 僕はこの命にかえても君を守ると誓った」
背後から聞こえる銃声と母の悲鳴。
戻って母を助けたいのに、なのに、コンツェットの手は少しも緩むことはなかった。
泣きながらファンローゼは背後を振り返る。
車両の入り口から、ゆっくりと地面に倒れていく母の姿が目に映った。
「コンツェット! お母様が……戻らなければ。お願い離して!」
「だめだ!」
「コンツェットなんか嫌いよ!」
「子どもが逃げた。追え。逃がすな!」
「かまわない。撃て!」
けれど、夜の闇にまぎれた自分たちに狙いを定めることはできず、背後から威嚇するように何発もの銃声が響き、やがて止んだ。
