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そもそもサッカーに高尚さなんてある?:“Culture”の誤訳と「税金の押し売り」が産んだ30年目の悲劇

皆さん、本日はAIとの楽しい対話ではなく、残酷な歴史と現実のお話です。

よく日本のサッカーファンや関係者は、「サッカーは高尚な文化だ」「他のスポーツとは違う」みたいな空気を出したがりますよね。なぜ彼らはビジネス的な会話が成立せず、他のスポーツや行政に対して高飛車になってしまうのか?

その根本原因をデバッグしてきました。

  1. 史実:そもそもサッカーは「労働者階級の泥臭い大衆スポーツ」

元々サッカーは、ポロや乗馬(貴族・上流階級の嗜み)、バレエ(王認可の宮廷芸術)、あるいは日本の武道(士道・精神修養)のような、歴史的に裏付けされた階級的・精神的な「高尚さ」なんて、歴史のどこをほじくっても1ミリも出てきません。

本場の Football Culture:
「土曜の午後はパブでビール飲んで、贔屓のチームの文句を言いながら
スタジアム行くのが『ウチらの生活習慣(カルチャー)』だよね」

つまり「酒・煙草・労働者のストレス発散」という、極めて泥臭くて野蛮なストリートカルチャーであり、どちらかと言えば「下町の娯楽」の代表格でした。

それなのに、なぜ「高尚な文化だ」と勘違いしてしまったのか? 理由は3つの「すり替え」にあります。

① 「ヨーロッパ発祥」というブランドへの錯覚

「欧州のカルチャー=伝統があってオシャレで洗練されている」という勝手な脳内変換。現地でも労働者階級の娯楽です。

② 「文化(Culture)」という言葉の誤解

後述する、言葉の直訳による歴史的勘違いです。

③ 「戦術(将棋・チェス)」としてのインテリごっこ

「フォーメーションが〜」と難解な専門用語で語り合うことで、「自分たちは高度な頭脳ゲームを楽しんでいるインテリだ」という自己満足に浸りやすい構造があるためです。

2. 英語の「Culture」と日本語の「文化」の決定的なズレ

英語の “Football Culture” をそのまま直訳して「サッカー文化」と広めてしまった初期のライターやJリーグ幹部、そしてメディアの罪はめちゃくちゃ重いです。

英語でいう “Culture” の本質は、クラシック音楽やバレエのような高尚なものではなく、「その地域の人々の『生活様式・日常の習慣・嗜好』」のことです。

本場の Football Culture:
「土曜の午後はパブでビール飲んで、贔屓のチームの文句を言いながら
スタジアム行くのが『ウチらの生活習慣(カルチャー)』だよね」

これを日本語にするなら、「娯楽習慣」「生活の楽しみ」「下町のノリ」と訳すのが100%正解でした。

それを日本の知識人やライターが「文化」と訳してしまったことで、日本語特有の「文化=高尚なもの、保護されるべき芸術、教養」という高貴なニュアンスに脳内変換されてしまったのです。

3. 誤訳がもたらした3つの大罪

この「言葉のボタンの掛け違い」のせいで、サッカー界は勘違いの道へと突き進んでいきました。

① 「文化だから行政は支援して当然」という勘違い

「これは高尚な『文化』なのだから、美術館や図書館と同じように税金を使って保護・支援されるべきだ!」という謎の大義名分を得てしまいました(実際はテーマパークや居酒屋街と同じビジネスの領域なんですけどねw)。

② 「高尚だからビジネス(稼ぐこと)を嫌う」という矛盾

「文化」気取りになってしまったため、「商売っ気を出すのは下品だ」「芝を痛めてまでコンサートで稼ぐな」「多目的化して商売するな」という、謎の清貧主義・高飛車な態度に拍車がかかりました。

③ 一般市民との致命的な温度差

クラブ側は「私たちは地域に素晴らしい文化を提供しています!」とドヤ顔で語り、冷めた住民からは「いや、ただのサッカーでしょ? なんで私らの税金で専用の遊び場作らなきゃいけないの? 灯油代ちょうだい、もしくは税金返して」とバッサリ斬られるという、悲惨な地獄絵図(新スタジアム建設をめぐる各地の難航など)が完成したわけです。


4. 「文化」ではなく「宗教」になってしまった世界

もし1993年のJリーグ開幕時に、

「サッカーをこの街の『新しい週末の呑み会習慣』にしよう!」

「パチンコや競馬に並ぶ『最高の地方娯楽』を目指そう!」

と正しく泥臭い言葉で広めていたら、もっと身の丈に合ったコンパクトで稼げるスタジアム運営をしていたかもしれません。

辞書を引いたら、文化(Culture)の定義なんてまさに「その地域の人々が自然に親しみ、生活の中で育んできた様式や習慣」と出てきます。

「地域の人が好きになって勝手に定着したもの」が文化であって、「上から『これは文化だから愛せ!税金を払え!』と押し付けるもの」は文化じゃなくてただの「押し売り」か「新興宗教」です。

宗教なので、「効率」や「黒字化」よりも「教義(天然芝、専用スタジアム)」を守ることの方が優先されます。「赤字で潰れるリスク」よりも「人工芝を受け入れる屈辱」の方が耐えられないという、ビジネスの論理が一切通用しない世界観で生きているのです。


結び:もう一度「手軽な大衆の暇つぶし」を取り戻そう


「住民が好きだから」という前提をすっ飛ばして、「スタジアムを建てたら文化になる」「税金を入れ続けるのが文化の保護だ」と勘違いしているから、いつまでも住民との間に深くて暗い溝ができ続けるわけです。

今からでも、サッカーとは娯楽であり、みんなで楽しく遊ぶものと再定義しませんか?

ストリートサッカーのような技を楽しんだり、休み時間にみんなで遊ぶぐらいの軽いノリを大事にしませんか?

世界中でサッカーが広まったのは「手軽で、誰もがルールを知っていて、どこでも遊べる大衆の暇つぶし」だったからです。

この手軽さを、もう一度取り戻す必要があると僕は思いますよ。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
サッカーファンには耳が痛いを通り越して脳を殴られるレベルの話だったかもしれませんが、本気で今後もサッカーを残そうと思うなら、そろそろ「言葉の呪い」から目を覚まして意識改革したほうがいいですよ。

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