No.64 もし佐賀県民がピラミッドを作っていたら、吉野ケ里風になっていたか?
歴史には「もしも」がない。
だが、人類は「もしも」が大好きだ。
もし織田信長がスマホを持っていたら。 もし坂本龍馬がSNSをやっていたら。 そして私は最近、どうでもよさそうで実は壮大な疑問にたどり着いた。
もし佐賀県民がピラミッドを作っていたら、吉野ケ里風になっていたのではないか。
エジプト人が作ったピラミッドは実に立派だ。
巨大である。 高い。 そして重い。
現代人が見ても、
「なんでそんなもの作った?」
と思うほど巨大である。
しかし、もし設計会議に佐賀県民が参加していたらどうだろう。
まず会議開始5分で誰かが言う。
「そがん高くせんでもよかろうもん。」
さらに別の長老が続く。
「石ば何百万個も運ぶて、運送費がもったいなか。」
財務担当は眉をひそめる。
「予算オーバーです。」
結果として完成したのは、おそらく高さ150メートルではなく、
『ほどよく見晴らしの良い高床式倉庫付き大型環濠集落』
である。
つまり吉野ケ里遺跡である。
もちろんこれは冗談だ。
だが、冗談の中には文化の本質が隠れている。
ヨーロッパの城を歩くと驚く。
巨大な石壁。 何重もの城門。 天を突く塔。
フランスやドイツの人々は、
「敵が来るなら徹底的に守る」
という思想を形にした。
一方、日本人は少し違う。
自然と共存しながら、 必要最小限で最大の効果を出そうとする。
特に弥生時代の吉野ケ里などを見ると、
「見栄より実用」
という精神が感じられる。
堀を掘る。 柵を作る。 見張り台を置く。
現代で言えば、
「高級スポーツカーより燃費の良いハイブリッド車」
という発想に近い。
世界遺産級の派手さはない。
だが長く生き残る知恵がある。
北野武さんならきっと言うだろう。
「人類ってのはね、デカいもの作るの好きなんだよ。でも維持費は誰が払うんだって話だよな。」
その通りである。
どんな建築物も建てるより維持する方が大変だ。
会社も家庭も人生も同じである。
豪華なものを作る能力より、
続ける能力の方が難しい。
そう考えると、吉野ケ里に代表される日本の古代人の知恵は実に深い。
必要以上に誇示しない。
しかし守るべきものは守る。
派手ではない。
だが合理的である。
私はそこに佐賀県民だけでなく、九州人全体に流れる独特の現実感覚を見る。
長崎人なら海を眺める。
熊本人なら城を語る。
鹿児島人なら西郷隆盛を誇る。
そして佐賀人は静かに言う。
「そいで十分たい。」
その一言には、何とも言えない哲学がある。
世界は時に高い塔を目指す。
しかし人生にはもう一つの道もある。
必要以上に飾らず、 必要なものを丁寧に積み上げる道だ。
もし佐賀県民がピラミッドを作っていたら。
完成した建物は世界一高くなかったかもしれない。
だが数千年後、考古学者たちは首をかしげながらこう言うだろう。
「なぜか知らないが、やたら住みやすそうだ。」
それは案外、人類が最後にたどり着く知恵なのかもしれない。
巨大さではなく、 持続可能性。
見栄ではなく、 暮らし。
ピラミッドより少し低い場所から見える風景も、悪くないのである。
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