50年前の沖縄の少年
自己紹介、よろしくです
もう、沖縄が日本になってから50年以上経つ。
自分はその時小学5年生だった。
(アメリカ世)琉球政府が (日本世)沖縄県庁になったらどうなるのか?
いろいろ変わるみたいだけど? 小学生にはよくわからん。
小学生の頃は琉球政府があった、その上に琉球列島高等弁務官がいてアメリカ世だった。内地に行くにはパスポートが必要だった。
車は右側通行でアメ車が多かったけど左ハンドルの日本車も走っていた。
お金はドル、小銭はセント(1銭、5銭、10銭、25銭と言っていた)。
1銭み〜(1¢硬貨)3枚ぐらい持って一銭マチヤー(駄菓子屋)でお菓子やミッキージュースを買ってたなあ。
なんか本島北の辺戸岬と与論島の間の海の上には白い線が引かれていて内地と琉球に別れていたらしい。(子供のイメージ)
祖国復帰運動のデモや集会が連日テレビニュースで流れていて、コザじゃ車が燃えていたらしい。学校では日の丸の掲げ方なんかも教えられた気がする。
その頃のアホな僕たちは沖縄が日本になったら、「雪が降るってよ〜」とか言って、いろいろ勝手に浮かれていた気がする。
そんな子供も、いまや復帰後の生活の方がずいぶん長くなってきましたが、
「ヤー、マーンチュガ?」(どこの国の人ですか?)と聞かれたら
「生まれたときはアメリカ世」だった僕らは、アメリカーでもなく、
ヤマトゥーでもなく「ウチナーンチュです。」
と答える高齢者になった"okinawan boy"です。
(AI カヴァー曲) OKINAWAN BOY 作詞/作曲:mino (C ランチ)
その後、中学・高校と復帰後の沖縄で過ごしアマチュアバンド活動に目覚め、40代前後から高校時代の仲間と社会人バンドを再結成しました。
その頃作ったオリジナル曲をSuno AI にカヴァーさせてみました。
OKINAWAN BOY 歌詞
生まれた時は アメリカ世 海に引かれた 27度線
日の丸掲げし あの頃は 祖国に 返れば 雪が降る
そんな夢に憧れた そんな夢を信じてた
Okinawan Boy
街を歩けば アメリカー ネオン煌めく Aサイン
BANANA SHOW の 看板が 眩しく身体を熱くする
ベトナム行きの 兵隊の 落としたドルを 拾ってた
Okinawan Boy
沖縄返せと 声枯らし 兄貴は 集会 デモ行進
引き逃げ 米兵 追いかけて コザじゃ 車が燃えている
基地なし 核抜き 本土なみ そんな言葉を信じてた
Okinawan Boy
生まれる前の 戦の世 艦砲射撃の 米軍に
ガマを追い出す 日本兵 一家散り散り 往きわかれ
さあ、オバアと一緒に 仏壇へ
膝まづきで ウートート
Okinawan Boy
Okinawan Boy
