57歳のメキシコ再赴任で考えた、ジョブズの「Connecting the Dots」
“You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards.”
未来を見ながら点と点をつなぐことはできない。点と点をつなげられるのは、過去を振り返ったときだけだ。
もう21年も前のことになりますが、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、今見てもかなり異質です。
卒業式の祝辞といえば、夢、挑戦、若さ、未来といった前向きな言葉が並ぶのが普通です。
ところがジョブズは、自分の人生を3つの話に分けて語りました。
「点と点をつなぐこと」
「愛と喪失」
「死について」
大学を中退したこと。
自分で作ったAppleから追放されたこと。
がんを告知されたこと。
そして、人はいつか死ぬということ。
普通の祝辞では避けられそうな話ばかりです。
それでも暗くならないのは、失敗や喪失を語りながら、最終的には「では、どう生きるか」という問いに戻ってくるからでしょう。
57歳で再びメキシコに赴任した今、このスピーチが以前よりも重く感じられます。
今回の赴任も、今の時点では一つの点にすぎません。
この点が将来、どの経験とつながるのかはまだ分かりません。
The first story is about connecting the dots
ジョブズは最初の話を、こう始めました。
“The first story is about connecting the dots.”
最初の話は、点と点をつなぐことについてです。
ジョブズは大学を中退した後、必修授業から解放され、自分が興味を持ったカリグラフィーの授業に参加しました。
当時は、それが将来何の役に立つのか分かっていません。
しかし約10年後、初代Macintoshを開発するとき、その経験が美しい書体や文字間隔の設計につながりました。
人は何かを学ぶとき、すぐに役立つかどうかを考えます。
仕事でも、資格でも、語学でも、経験でも、投資対効果を求めがちです。
しかし実際には、その場では意味の分からなかった経験が、何年も後になって別の仕事や判断につながることがあります。
逆に、将来役立つと思って始めたことが、ほとんど役に立たないこともあります。
だからこそ、今すぐ用途が見えなくても、自分が本当に興味を持ったことを完全に切り捨てない方がよい。
ジョブズの話は、単純な「好きなことをやれ」ではありません。
未来は完全には設計できないという前提に立ち、直感や好奇心に従った経験にも意味があると考える姿勢です。
メキシコ赴任についても同じです。
海外で働く経験が将来どこにつながるのかは、今の時点では分かりません。
仕事上の知識かもしれない。
人との出会いかもしれない。
異文化の中での判断力かもしれない。
あるいは、まったく別の形でつながるのかもしれません。
今できるのは、目の前の点を一つずつ打っていくことだけです。
You’ve got to find what you love
2つ目は「愛と喪失」です。
“You’ve got to find what you love.”
自分が本当に愛せるものを見つけなければならない。
ジョブズは20歳でAppleを立ち上げ、10年ほどで世界的な企業へ成長させました。
ところが30歳のとき、自分で作った会社から追放されます。
普通なら、ここで人生が終わったと感じても不思議ではありません。
彼自身も、大きな失敗だったと振り返っています。
それでも後になって気づきます。
Appleは失ったが、仕事そのものへの愛情は失っていなかった。
新しい製品を作ること。
技術とデザインを結びつけること。
まだ存在しないものを形にすること。
それらを続けたいという気持ちは残っていたのです。
そこからNeXTを立ち上げ、Pixarに関わり、後にAppleへ復帰します。
失った会社へ戻るまでの過程だけを見ると、きれいな成功物語に見えます。
しかし重要なのは、Appleに戻れたことではありません。
肩書や地位を失っても、それでも続けたいと思えるものが残っていたことです。
ジョブズは、仕事は人生の大きな部分を占めるからこそ、自分が価値あると思える仕事を見つける必要があると話しました。
ただし、これは「好きな仕事なら苦労しない」という意味ではありません。
むしろ、苦労や失敗や喪失があっても、それでも戻ってしまう対象があるかどうか、という話に近いと思います。
海外赴任も楽しいことばかりではありません。
言葉、生活、仕事の進め方、人間関係、体調管理。
日本にいれば必要のなかった負荷が増えます。
それでも、自分が長年続けてきた技術の仕事にまだ関わりたいと思う。
自分の経験が現地の仕事に少しでも役立つなら、やってみようと思う。
それも一つの「what you love」なのかもしれません。
Your time is limited
3つ目は「死について」です。
“Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.”
あなたの時間は限られている。だから、他人の人生を生きることで無駄にしてはいけない。
この言葉が重いのは、ジョブズが実際にがんを告知された後に語っているからです。
祝辞の約1年前、膵臓に腫瘍が見つかり、当初は余命数か月と説明されました。
その後、手術可能な種類だと分かり、治療を受けています。
つまり、ジョブズは一度、本当に死を意識した後で卒業生の前に立っていました。
17歳の頃から、毎日を最後の日だと思って生きるという言葉を意識していたそうです。
そして毎朝、今日が人生最後の日だとしても、今日やろうとしていることを本当にやりたいか、と自分に問いかけていたと話します。
この言葉だけなら、自己啓発的に聞こえるかもしれません。
しかし、実際にがん告知を受けた人が語ると意味が変わります。
人はいつか死ぬ。
時間は有限である。
だから、他人の期待や世間体だけで人生を使ってはいけない。
これは理想論というより、残された時間を意識した人の現実的な結論です。
メキシコ再赴任も、単なる会社命令として受け止めるのか、自分の残り時間を使う一つの選択として捉えるのかで意味が変わります。
もちろん、会社員である以上、すべてを自分で決められるわけではありません。
それでも、与えられた状況をどう使うかは、自分で決められます。
ただ消化する数年間にするのか。
新しい経験を積む時間にするのか。
後輩や現地スタッフに何かを残す時間にするのか。
同じ赴任でも、その意味は変わります。
ジョブズの伝記を途中で止めていた
私は以前、ウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ I』『スティーブ・ジョブズ II』を買いました。
白い表紙にジョブズの顔が大きく写ったハードカバー版です。
ただ、最初の方を読んだだけで止まっていました。
今になって思うと、後半にこそ参考になる内容が多いようです。
特に興味深いのは、Apple復帰後の再建です。
当時のAppleは製品数が増え、何を目指している会社なのか分からなくなっていました。
ジョブズは製品を少数に絞り、多くの開発を止めます。
ここから学べるのは、集中とは重要な仕事を決めるだけではなく、不要な仕事をやめることだという点です。
仕事では、何を追加するかばかり考えてしまいます。
新しい会議。
新しい資料。
新しい評価項目。
新しいルール。
しかし本当に必要なのは、優先順位の低いものを止めることかもしれません。
海外拠点の仕事では、問題が起きるたびに管理項目が増えがちです。
会議も資料も確認事項も増えていきます。
その結果、本当に重要な仕事に使える時間が減っていきます。
何を始めるかだけでなく、何をやめるか。
ジョブズのApple再建は、その重要性を分かりやすく示しています。
製品ではなく、体験全体を設計する
iPodやiPhoneの開発も参考になります。
ジョブズは単に良い機械を作ったのではありません。
端末、ソフトウェア、音楽管理、販売方法、店舗、包装までを一体で考えました。
製品単体ではなく、顧客が使い始めて目的を達成するまでの全体を設計したのです。
製造業に置き換えても同じです。
良い材料を作るだけでは足りません。
サンプルの出し方。
評価結果の説明。
梱包。
輸送。
客先での加工性。
不良時の対応。
承認までの進め方。
これらすべてが品質の一部になります。
技術者は材料や製品そのものに集中しがちですが、顧客が実際に受け取るのは全体の体験です。
メキシコで仕事をしていると、技術的には問題がなくても、物流、通関、情報共有、言語、責任分担など、別の部分で計画が止まることがあります。
製品だけを見ていても、量産は立ち上がりません。
原料調達から輸送、加工、検査、承認、納品までを一つの流れとして見る必要があります。
この視点は、今でもかなり実務的です。
ジョブズをそのまま真似してはいけない
一方で、伝記を読む価値は、ジョブズの成功法則を学ぶことだけではありません。
彼の長所が、そのまま短所にもなっていることが分かるからです。
高い要求水準は、優れた製品を生みました。
しかし同時に、部下を疲弊させ、無理な日程を押しつけ、人間関係を壊すこともありました。
強い直感は、新しい製品を生みました。
しかし医療のように専門知識が必要な場面では、その直感が危険な判断につながることもありました。
現実歪曲フィールドと呼ばれた強い説得力も同じです。
不可能だと思われた目標を実現させる力になる一方で、技術的な警告や現実的な制約を軽視する危険があります。
だからジョブズから学ぶときは、方法をそのまま真似するのではなく、何が有効で、どこから危険になるかを分けて考える必要があります。
海外拠点では、強いリーダーシップが必要な場面もあります。
しかし、現地スタッフの事情や能力を無視して押し切れば、短期的には進んでも、長期的には組織が育ちません。
高い要求と無理な要求は違います。
挑戦と無謀も違います。
ジョブズの成功だけでなく、危うさも含めて読む必要があります。
『最後の授業』にも通じるものがある
ジョブズのスピーチを考えていて、ランディ・パウシュの「最後の授業」も思い出しました。
パウシュはカーネギーメロン大学の教授で、末期の膵臓がんを告知された後、自分の人生について講演しました。
彼は、子どもの頃の夢をどう実現したか、失敗から何を学んだか、他人の夢をどう助けるかを語っています。
本当の聴衆は、まだ幼かった自分の子どもたちでした。
自分が成長を見届けられない可能性が高かったため、父親として何を大切にしていたかを映像に残そうとしたのです。
ジョブズの祝辞とパウシュの最後の授業に共通しているのは、死を語りながら、死そのものを中心にしていないことです。
どちらも最終的には、残された時間をどう使うかという話です。
人は死を意識すると、何を持っているかより、何を残せるかを考えるようになるのかもしれません。
技術者として何を残すのか。
後輩に何を伝えるのか。
現地スタッフにどんな考え方を残すのか。
自分がいなくなった後も回る仕組みを作れるのか。
メキシコ赴任を考えるうえでも、これは大きなテーマです。
今読むと、若者向けだけではない
ジョブズの祝辞は卒業生に向けたものですが、若者だけに向けた内容ではありません。
むしろある程度年齢を重ねた人の方が、点と点がつながる感覚を理解しやすいのではないでしょうか。
当時は無駄だと思った経験。
失敗した仕事。
遠回りした部署。
海外赴任。
人間関係の失敗。
使わなくなった知識。
それらが後になって別の意味を持つことがあります。
若いときは、未来に向かって点を打っているだけです。
年齢を重ねると、過去の点が少しずつ線になって見えてきます。
同時に、使える時間が無限ではないことも分かってきます。
だからこそ、何を続け、何をやめ、残りの時間をどこに使うかという問いが重くなります。
中国赴任の経験。
日本へ戻ってからの仕事。
そして今回のメキシコ再赴任。
それぞれは別の出来事に見えます。
しかし後から振り返れば、一本の線として見える日が来るのかもしれません。
今はまだ、その途中です。
Stay Hungry. Stay Foolish.
「点と点をつなぐ」
未来は完全には読めない。
「愛と喪失」
大切なものを失っても、本当に好きなものまで失うとは限らない。
「死について」
時間は有限だから、他人の人生を生きている余裕はない。
この3つは別々の人生訓ではありません。
未来は読めない。
成功は続かない。
人生には終わりがある。
その前提に立ったうえで、それでも自分が価値を感じる方向へ進めという話です。
最後にジョブズは、若い頃に愛読していた『Whole Earth Catalog』最終号の言葉を引用しました。
“Stay Hungry. Stay Foolish.”
これはジョブズ自身が考えた言葉ではありません。
それでも、現状に満足せず、分かったつもりにならず、未知のものへ進むという彼の人生観を象徴する言葉として広く知られるようになりました。
57歳で再びメキシコに来たことが、将来どの点とつながるのかは分かりません。
この赴任が成功だったのか、遠回りだったのか、それも今は判断できません。
ただ、今はまだ意味の分からない点を打っている最中なのだと思います。
久しぶりに、持っている『スティーブ・ジョブズ II』を開いてみようと思います。
今度は成功物語としてではなく、突出した長所と危うさが同居した一人の人間の記録として。
そして、自分自身のこれまでの点と、これから打つ点を考えながら読んでみたいと思います。

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