『一度も行ったことがない街なのに、なぜディズニーの料理はあんなに愛おしいのか』
東京ディズニーリゾート(以下、TDR)に展開する14の飲食施設を主要分析対象とし、テーマパーク空間において供される「架空の郷土料理(フェイク・ガストロノミー)」がいかなるメカニズムによってゲストに「正統な食文化」として経験されるかを、民俗学、食文化論、記号論、環境心理学の複合的視座から考察するものである。ボードリヤール的「シミュラークル」とアウグスティン・ベルクの「風土論」を援用しつつ、第一に空間的正統性の構造、第二に実在食文化と架空世界観の接合様式、第三に共食による物語的帰属意識の醸成という三層の分析を通じて、TDRにおける「フェイク・ガストロノミー」が単なる観光消費の産物にとどまらず、グローバル化時代における「新しい郷土感覚」の生産装置として機能しうることを論ずる。「フードスケープ」の概念を空間的および物語的次元へと拡張することによって、テーマパーク飲食空間を現代の儀礼場として位置づける新たな分析枠組みを提示することが本稿の目的である。
序論:「食べる」行為の変質、栄養摂取から物語摂取へ
人間の食行為は、生物学的な栄養補給の次元を遙かに超えた文化的実践として、ほぼあらゆる文明において複雑な意味体系に包摂されてきた。民俗学は古くから「何を、誰と、どこで、いかにして食べるか」という問いを、集団のアイデンティティ形成、社会秩序の維持、儀礼的世界観の再生産というテーマと不可分なものとして論じてきた(Douglas 1966; Lévi-Strauss 1964)。共同体の食卓は単なる栄養の受け渡し場ではなく、記憶、価値、帰属の場であった。
しかし20世紀末から21世紀にかけて、グローバリゼーションと消費社会の高度化は、食の意味生産のあり方に根本的な変容をもたらした。食文化は「場所」「歴史」「共同体」という三つの基盤から切り離され、浮遊するシニフィアンとして市場空間を流通するようになった。ボードリヤール(1981)が指摘したように、本物の複製が複製されつづけることで、もはや「オリジナル」を参照しない「シミュラークル(simulacre)」の秩序が出現する。テーマパークにおける食はその最も洗練された形態のひとつである。
東京ディズニーリゾートは、この文脈において特別な意義を持つ事例である。TDRが展開するレストラン群は、単に「特定の料理を提供する施設」ではなく、精緻に設計された「物語世界における食の必然性」を根拠として営業する「フィクション的食空間」である。すなわち、各施設が供する料理は、現実の食文化への参照と同時に、その施設を包摂する架空の世界設定によって根拠付けられており、両者が相互に正統性を強化し合う構造を持っている。
こうした食空間を「フェイク・ガストロノミー(fake gastronomy)」と定義する。ここで「フェイク」とは偽物を意味するのではなく、「実在の食文化の記号を抽出し、架空の文脈に移植することで新たな意味を生産するガストロノミー的実践」を指す。この概念は、食と空間および社会関係の複合体としての食環境を示すアンセル・ベルグの「フードスケープ(foodscape)」の概念を、物語的かつ記号論的次元へとさらに拡張したものである。
第1章では「空間的正統性」の概念を用い、環境がいかにして食の「本物らしさ」を生産するかを分析する。第2章では、実在する食文化と架空の組織や世界観がいかに相互補完的に機能するかを、記号論的および歴史的観点から論ずる。第3章では、「共食」の人類学的概念を援用し、「物語の登場人物と同じものを食べる」という行為が持つ儀礼的かつ帰属的意味を考察する。そして結論として、フェイク・ガストロノミーが現代社会において提供しうる「新しい郷土(ふるさと)」の概念的可能性を論じる。
【参照表】TDR主要飲食施設と正統性根拠の分類
※ 下表において「実在食文化」はゲストが参照可能な現実の料理文化カテゴリーを指し、「架空要素」は当該施設の世界設定において正統性を供給するフィクション的要因を示す。

第1章 環境的必然性と食の適合——空間的正統性の構造
1-1 「そこでその料理が供されること」の記号論的必然性
テーマパーク飲食空間における最も基本的な正統性生産メカニズムは、「その場所でその料理が供されることの物語的必然性」の構築である。これを本稿では「空間的正統性」と呼ぶ。環境心理学の観点からすれば、人間は空間の文脈から強力な認知的手がかりを受け取り、それに基づいて対象の意味を解釈し、評価する(Mehrabian & Russell 1974; Gibson 1979)。換言すれば、「見える環境」が「食べるもの」の解釈を先行的に規定するのである。
東京ディズニーシーの「ヴォルケイニア・レストラン」は、この原理の最も端的な例である。同施設はミステリアスアイランドに設置されており、ネモ船長が構築した海底科学基地という世界設定の中に位置づけられている。施設外観には鉄製の配管、圧力計、各種計器類が配置され、蒸気が立ち上るアンビエントが地熱エネルギーの存在を視覚的および聴覚的に示唆する。ここで供される中華料理は、「地熱を利用して煮炊きする科学者集団の食事」という物語的根拠を与えられる。
重要なのは、この根拠が真実かどうかではなく「感覚的に整合しているかどうか」である点だ。ゲストは中華料理と火山という組み合わせに史実的根拠を求めない。むしろ、蒸気、熱、金属といった視触覚的環境が「ここでは熱を使って調理することが自然だ」という直観的確信を生成し、料理の出自を「エキゾチックだが論理的」なものとして了解させる。これはギブソンのアフォーダンス理論が示す「環境が行為の可能性を示唆する」という原理の物語的応用である。
1-2 「聖と俗」の境界と食事空間の格別性
デュルケームが「聖と俗」の区分において論じたように、儀礼空間は日常から隔離されることで特別な意味作用を担う(Durkheim 1912)。テーマパーク入場という行為は、まさしくこの「聖なる空間への移行」の構造を持っている。入園チケットの購入、ゲートの通過、パーク内への没入という一連のシークエンスは、ファン・ヘネップが論じた通過儀礼における「分離」「移行」「統合」の三段階に対応する(Van Gennep 1909)。
この構造において、食事行為は単なる休憩ではなく、「聖なる世界における栄養補給」として儀礼的意味を帯びる。「ブルーバイユー・レストラン」はこの点において特に示唆的である。同施設は東京ディズニーランドのアドベンチャーランドに位置し、「カリブの海賊」アトラクションの出発地点に隣接する形で設置されている。薄暗い照明、蛍の光を模した演出、遠くに聞こえる水音と船の通過音によって構成される同施設の環境は、ゲストを19世紀ルイジアナ州の入江沿いの邸宅庭園へと時間的・空間的に移送する。
ここで供されるクレオール料理(ガンボ、ジャンバラヤ、プレーリーヌといったルイジアナの伝統料理群)は、この空間的移送の文脈において「本物」の意味を獲得する。ゲストは実際のニューオーリンズを訪れたわけではないし、19世紀の邸宅で食事をしたわけでもない。しかし、空間的演出が生み出す「擬似的な現場性」は、料理の経験を「観光地のレストランで食べるクレオール料理」ではなく「その場所や時代の食文化の直接的体験」として変換する。これはハイパーリアリティの古典的事例であり、複製が原本を超越する逆転現象である。
「マゼランズ」はさらに複雑な事例を提示する。同施設はメディテレーニアンハーバーの要塞に建設された石造建築であり、架空の探検家組織「S.E.A.」の会員クラブとして設定されている。壁面には世界地図、標本、収集品が配置され、「世界各地を旅した会員たちが持ち寄った食材と調理法の融合」というコンセプトが、多国籍的なコース料理の正統性根拠を構成する。ここでは「場所の特定性」ではなく「移動の歴史性」が空間的正統性の源泉となっており、一種のコスモポリタニズム的食文化論が展開されている。
1-3 時間の軸による正統性の多様性——過去・現在・未来のフードスケープ
TDRの飲食施設が示す空間的正統性は、地理的次元だけでなく時間的次元においても多様な設定を持つ。具体的には、①「過去の食文化の再現」、②「現在進行する架空コミュニティの食」、③「未来の食文化の投機的提示」という三つの時間軸が識別可能であり、それぞれ異なる正統性構築のメカニズムを採用している。
過去志向の事例として最も精緻なのは「ブルーバイユー・レストラン」(19世紀アメリカ南部)と「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」(20世紀初頭の豪華客船)である。前者はクレオール料理という実在の食文化の歴史的形態を博物館的に再現し、後者は英米上流階級のバー文化(スコッチ・ウィスキー、シガー文化、白手袋のサービスなど)を歴史教育的に演出する。これらの施設においては、「過去への郷愁」が正統性の情動的根拠として機能する。ゲストは失われた時代への憧憬と同化の欲求を通じて、料理や飲料の意味を歴史的証言として受容する。
未来志向の事例は「ホライズンベイ・レストラン」と「プラズマ・レイズ・ダイナー」に見出される。前者は近未来的港湾空間を設定とし、健康志向でデザイン性の高い「未来のエリート食」を提示する。後者はSF的な宇宙文明の地球接触という設定のもと、「宇宙人が地球の食材を自らの文化的解釈で再構築した料理」という、食文化論的に極めて興味深い逆転の視座を採用している。ここでは宇宙人の目を通すことで、現実のアメリカン・ダイナーフードがエキゾチックな他文化食として再意味化される。これは文化人類学的な異化(デファミリアリゼーション)の食的実践であり、ゲストの日常的食経験を新鮮な驚きの対象として再発見させる仕掛けである。
第2章 歴史とフィクションの接合、実在食文化と架空世界観の相互補完
2-1 「本物らしさ」の二重構造、参照と逸脱のバランス
フェイク・ガストロノミーの中心的な作動原理は、実在する食文化への参照と、架空の設定による逸脱という二つの力の弁証法的関係にある。参照が強すぎれば単なるエスニック料理店となり、逸脱が強すぎれば作品と関係のない食事となる。TDRの施設設計は、この二つの力の微妙なバランスを精密にコントロールすることで、「十分に認識可能でありながら日常とは異なる」フードスケープを生産している。
この二重構造において、実在する食文化は「信頼性のアンカー」として機能する。クレオール料理、中華料理、フランス農村料理といったカテゴリーは現実に存在し、ゲストの文化的知識の中に何らかの表象を持っている。この既存の知識が「ここで出てくるものは大枠において正しい」という認知的信頼の基盤を提供する。一方、架空の設定は「期待の変容装置」として機能し、既知の料理を特別な文脈における必然的帰結として再フレーミングする。
「ユカタン・ベースキャンプ・グリル」はこの二重構造の優れた事例である。メキシコや中米のスモーク料理という実在の食文化を基盤としながら、考古学発掘現場の野営地という架空設定が「なぜここでこの料理が出るのか」という問いに答える。発掘現場では大規模な調理設備を持ち込めないため、野外での薪やスモーク調理が必然となり、その結果として炭火焼きやスモーク料理が自然に供されるというロジカルな因果連鎖がフィクション内で完結している。ゲストは意識的にこの論理を分析するわけではないが、ジャングル素材のテント、発掘道具、地図、石像などの空間演出が醸し出すフィールドワーク感によって、料理の現場性は自然に強化される。
2-2 架空組織とエリート正統性の生産——S.E.A.とテディ・ルーズヴェルト・ラウンジ
架空の組織や集団への帰属が食の正統性の根拠となる事例として、「シー・エクスプローラーズ・ソサイエティ(S.E.A.)」の世界観を共有する施設群は特に注目に値する。S.E.A.は東京ディズニーシーのみならず、香港、上海、パリの各ディズニーパークにも展開するトランスナショナルな架空組織であり、その会員資格は「世界の海の神秘を探求する選ばれた探検家、科学者、文人」に与えられるという設定を持つ。
「マゼランズ」はS.E.A.の本部施設として位置づけられており、「世界の海を旅した会員が持ち寄る知識、食材、調理法」というコンセプトが料理の折衷性を正当化する。ここで重要なのは、S.E.A.という組織が実在しないにもかかわらず、その会員が摂取したとされる料理のコースが「世界を知る者のグルマン的食卓」として経験されるという逆説である。架空の権威が実在の料理に「旅と知識の証言」という意味を付与する。これはウェーバー的意味での「カリスマ的正統性」の食文化論的変奏と見なすことができる。
「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」は異なる種類の権威、すなわち歴史的人物の名が喚起する功績の正統性を活用する事例である。セオドア・ルーズヴェルト大統領(在任1901-1909)という実在の歴史的人物の名を冠することで、施設は「アフリカ遠征も行った博識な大統領が好んだような上質の飲み物」という連想を呼び起こす。S.S.コロンビア号という架空の豪華客船の設定と組み合わさることで、歴史的知名度と上流社交空間の格式が相互補完的に飲料空間の正統性を高める。
この事例が示すように、フェイク・ガストロノミーにおける正統性の構築は、実在の食文化、歴史的人物、架空の組織、空間演出という複数の要素を組み合わせた多層的なプロセスである。単一の根拠によって正統性が確立されるのではなく、複数の根拠が互いに支え合うことで信念の体系が形成される。これはレヴィ=ストロースが神話の構造として分析した「複数の矛盾の媒介」に類似した操作である。
2-3 純粋架空による正統性「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」の特殊性
以上の分析事例とは対照的に、「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」は実在の食文化への参照をほぼ持たない「純粋架空型」の飲食施設として分類される。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1865)を出典とするこの施設では、ハートの女王の晩餐会という完全なフィクション世界が空間全体を覆い、西洋的なミール構成という料理カテゴリーさえも脱文脈化された色彩、形状、命名によって変容させられている。
赤、黒、白という強烈な三色のビジュアルドミナント、トランプ、槌、薔薇という反復するモチーフ、暴君ハートの女王の好みを徹底的に視覚化した空間構成。これらはゲストに「日常の食事とは異なる、権力的かつ不条理な空間での食事」という経験を提供する。ここでは「本物らしさ」は参照によってではなく、完全なる没入によって達成される。フィクション世界の一貫性と密度が正統性の代替根拠となっており、ゲストは「アリスの世界の住民として食事をしている」という主観的現実を構築する。
これはボードリヤールの「ハイパーリアリティ(hyperréalité)」の純粋形態に他ならない。参照すべき現実が存在しないにもかかわらず、その現実らしさはかえって強化される。ディズニーのイマジニアリングが達成したのは、「本物を超えた本物」ではなく「本物を必要としない本物」の経験空間の創出である。この意味において、クイーン・オブ・ハートのバンケットホールはフェイク・ガストロノミーの論理的到達点を体現している。
2-4 IPと食文化の接合「ラ・タベルヌ・ド・ガストン」の多義性
「ラ・タベルヌ・ド・ガストン」はディズニーIPの活用と実在食文化の参照という二つの次元が豊かに交差する施設として、民俗学的に特に興味深い事例を提供する。同施設は映画『美女と野獣』(1991/2017)に登場するヴィラン(悪役)であるガストンが所有するタベルヌ(酒場)という設定を持つが、そのコンセプトはフランスの田舎文化における食の政治学を鮮明に照射する。
ガストンというキャラクターは、映画の中で「毎朝5ダースの卵を食べる」ことを誇示する筋肉質の猟師として描かれ、食の量、質、野性的性格が男性的英雄性の表象として機能している。「ラ・タベルヌ・ド・ガストン」のメニューはこの設定を踏襲し、ローストチキン、ビール、パイなどフランス農村料理の豊饒な側面を前景化する。ここには「田舎の食文化の野性的豊かさ」という民俗的モチーフが、ディズニーIPのキャラクター造形と見事に整合している。
さらに重要なのは、このタベルヌが「カウンターカルチャー的食空間」として機能している点である。ヴェルサイユ的上流食文化や野獣の城の格式ある食事とは対照的に、ガストンのタベルヌは粗野で過剰で男性的な食の場として位置づけられる。民俗学的に見れば、これはカーニバル的な反秩序の食空間、すなわちバフチンが論じた「グロテスク・リアリズム」の食的表現に近い性格を持つ。ゲストはこの空間において「上品に食べること」の規範から解放され、過剰な食欲を「物語的に正当化された行為」として享受する。
第3章 共食による当事者意識の醸成、儀礼的帰属の食的実践
3-1 共食の人類学「誰と食べるか」の問いの拡張
共食の概念は、食人類学や民俗学において食の社会的機能を論じる際の中心的カテゴリーである。共食(commensality)はラテン語の com(共に)と mensa(食卓)に由来し、「同じ食卓を共にする」という行為が持つ社会的紐帯形成機能を指す(Sobal & Nelson 2003)。人類学的研究は、食卓を共にする相手が「我々」の範囲を規定し、食の共有が集団アイデンティティの生産、維持、再確認に寄与することを繰り返し示してきた(Lévi-Strauss 1964; Fischler 2011)。
テーマパーク飲食空間における共食の分析においては、この「誰と食べるか」という問いが新たな次元を獲得する。TDRのゲストは物理的には現実の同行者(家族、友人、恋人など)と食事をしているが、施設の世界設定においては「物語の登場人物たちと同じ食空間にいる」という重層的な同席関係を生きている。この「物語的共食」こそが、テーマパーク飲食経験に独自の没入的性格を与えるメカニズムである。
3-2 物語的共食の実践「キャンプ・ウッドチャック・キッチン」と「ホライズンベイ・レストラン」
「キャンプ・ウッドチャック・キッチン」は物語的共食の最も直接的な実践例のひとつである。同施設はドナルドダックの甥たちが所属するボーイスカウト的組織「ジュニア・ウッドチャック」のキャンプ地を設定とし、子どもたちへの野外教育の場として演出される。ここで供されるアメリカン・キャンプ飯は、「ジュニア・ウッドチャック隊員たちが野外で調理し、共食しているもの」という文脈において意味づけられる。
この施設においてゲストが経験する物語的共食の深度は、特に子どもゲストにとって顕著である。ジュニア・ウッドチャックのキャラクターへの同一化が強い子どもゲストにとって、同施設での食事は「アニメの世界の仲間と一緒に食べている」という主観的現実を持つ。これはウィニコットが論じた「移行空間」(現実とファンタジーが重なり合う心理的領域)の食的実践であり、フィクションへの参加が現実の感覚経験を変容させる鮮明な事例である。
成人ゲストにとっては「ホライズンベイ・レストラン」が異なる種類の物語的共食を提供する。同施設は近未来の設定において、洗練された港湾ヨットクラブのメンバーシップを前景化する。地中海的なヘルシーな食材、デザイン性の高いプレゼンテーション、広大な海洋景観という要素が組み合わさることで、「未来のエリート集団と同じ食の美学を共有している」という帰属的満足感が生産される。これはブルデューが論じた文化的差異化への欲求である「ディスタンクシオン(distinction)」を、架空の未来エリートへの帰属という形で充足させる実践である。
3-3 儀礼的食事と非日常の確認「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」再論
民俗学において儀礼食は「日常的食事とは異なる特別な状況における食」として分析されてきた。年中行事における御節料理、通過儀礼における振る舞い、宗教的祭事における供物と直会など、これらは食が「非日常の宣言」として機能する文化的実践である(吉野 1986; 石毛 2009)。テーマパークの食事は、この儀礼的食事の現代的形態として分析可能である。
「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」における食事体験は、特に強度の儀礼的性格を持つ。ハートの女王という絶対的権力者が開催する晩餐会への招待という設定は、ゲストを「権力の宴の客人」として位置づける。非対称な権力関係の中での饗応という民俗的モチーフは、食べることを生存のための栄養摂取から遠く引き離し、儀礼的社会参与の位置に押し上げる。
「ザ・ダイヤモンドホースシュー」における食事も同様の儀礼的性格を持つが、そこでの儀礼の文脈は権力の宴ではなくフロンティアのサルーンという集合的高揚の場である。開拓時代のカウボーイ、バンドマン、旅人が集まる熱気ある酒場での食事は、「フロンティア精神の継承」という歴史的感情を呼び覚ます。ここでの肉料理(バーベキューリブやステーキ)は「荒野の男たちの共食」という神話的イメージと結びつき、ゲストに開拓者性の一時的摂取という擬似的経験を提供する。
3-4 フードスケープとしての五感の統合——聴覚・嗅覚・視覚の役割
「フードスケープ」の概念を物語的および記号論的次元に拡張する本稿の分析枠組みにおいて、飲食施設の正統性構築は料理の味や見た目にとどまらず、五感全体にわたる統合的な演出によって達成されることを強調する必要がある。民俗学は食の場を単なる味覚的経験として矮小化するのではなく、共食空間全体のセンサリー・エコロジーとして把握してきた(Sutton 2001; Seremetakis 1994)。
TDR各施設において、聴覚的環境、BGMの選択、音量、リズムは食体験の意味生産に直接的に関与している。「ブルーバイユー・レストラン」で流れるジャズやラグタイム系のバックグラウンドミュージック、「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」の落ち着いたピアノ小品、「ケープコッド・クックオフ」のニューイングランド的フォークミュージックなどは、それぞれの施設の時代、地域、階層設定を音響的に強化し、料理の意味解釈に先行的な文脈を与える。まさにサウンドスケープならぬ「フードスケープ」の聴覚的次元として機能している。
嗅覚的演出も見逃せない。「ユカタン・ベースキャンプ・グリル」では施設周辺に炭焼きやスモークの香りが漂い、「ヴォルケイニア・レストラン」では硫黄的なアンビエントが地熱エネルギーの存在を嗅覚的に示唆する(実際には安全な演出素材による再現である)。人間の嗅覚は味覚と直結した大脳辺縁系に深く接続しており、食前の嗅覚的プライミングは食体験全体の評価に影響することが神経科学的に示されている(Shepherd 2012)。TDRの施設設計は、こうした感覚科学的知見を経験設計に応用していると解釈できる。
視覚的演出の精緻さについては既に各章で論じたが、ここで付言すべきは食器、カトラリー、トレイデザインが持つ記号的機能である。「マゼランズ」のコース料理で使われる食器の重厚感、「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」のトランプモチーフのトレイ、「ケープコッド・クックオフ」の素朴な木製に見せようとするトレイなどは、「その世界で使われるはずの道具」を再現することで、食事行為自体を物語世界への参与として意味づける。食器は物語の小道具(prop)であると同時に、実際に使用される機能的道具である。この二重性こそがフェイク・ガストロノミーの物質的基盤である。
結論:フェイク・ガストロノミーが生み出す「新しい郷土」
結論1 正統性の再定義「本物」から「整合性」へ
本稿の分析を通じて明らかになったことの第一は、テーマパーク的フェイク・ガストロノミーにおける「正統性」の概念が、従来の食文化論が想定してきた「起源への忠実性」とは根本的に異なる論理に基づいているということである。TDRの飲食施設において「正統だ」と経験される食は、実在の食文化を忠実に再現しているからではなく、物語世界との整合性において、その世界の中で「必然的に存在すべき食」として設計されているからである。
この「整合性としての正統性」は、民俗学における「発明された伝統」の概念(Hobsbawm & Ranger 1983)と共鳴しつつも、それを超える次元を持つ。「発明された伝統」論はいかにして近代国家が歴史的起源をもつように見える伝統を創造するかを論じるが、TDRのフェイク・ガストロノミーはそもそも歴史的起源への参照を不要とする新たな正統性の回路を作動させる。フィクションが現実の正統性根拠を不要にするほどの説得力を持ちうることを、TDRは示している。
結論2 グローバル化と「新しい郷土(ふるさと)」の生産
本稿の最終的な問いは、フェイク・ガストロノミーが現代社会においていかなる社会的・文化的機能を担うかである。「郷土料理」は伝統的に、特定の地域、歴史、コミュニティに帰属する食実践として理解されてきた。郷土食はそこで生まれ育つことによって経験され、共同体の記憶、季節感、身体的習慣と不可分に結びついている。色が「郷土感覚」を構成する(Bausinger 1961)。
しかしグローバル化、都市化、デジタル化が進行した現代社会において、伝統的な意味での郷土は、特に都市部の若年世代においてはもはや強固な実体的基盤を持たない場合が増えている。自分が生まれた土地の食を実感として知らない世代、故郷と現在地が乖離した移住者、転勤者、留学生など、こうした人々にとって、郷土は経験ではなく欲求の対象となる。
TDRのフェイク・ガストロノミーは、この欲求に対する代替的充足を提供する。これらは現実には誰も経験することのできない郷土であるが、それゆえに誰もが平等に「初めての帰郷」として経験できる場でもある。TDRは実体的起源を持たない郷土、すなわち「全員が移住者である故郷」を食の空間として現出させる。
これは単なる観光消費の枠組みを超えた文化的現象であると本稿は主張する。ボードリヤール的にはシミュラークルが現実を超えた事態であるが、民俗学的には帰属の欲求が新たな郷土の形式を生み出したと解釈するほうが生産的である。「本物の郷土料理」を知らない人間が「架空の郷土料理」によって郷土感覚を経験するのであれば、その経験の本物らしさは少なくとも現象学的には前者に劣るものではない。
結論3 テーマパーク食空間の今後と民俗学的課題
本分析はいくつかの残された課題を指し示している。
第一に、フェイク・ガストロノミーの経験がゲストの「実在する食文化」への関心、理解、消費行動に与える影響である。TDRでクレオール料理を経験したゲストが実際のニューオーリンズ料理への関心を高めるのか、あるいは「TDR版クレオール料理」が本物の参照基準を上書きしてしまうのかは、実証的な検討を要する問いである。
第二に、TDRのゲストが架空の世界設定とリアルの食文化をいかに認知的に区別・統合しているかという問いは、認知人類学や消費者心理学との連携研究によって深めることができる。「自分はフィクションだと知りながら没入している」という複雑な認知状態(Walton 1990 が「想像的参与」と呼ぶもの)がフードスケープの経験においていかに作動するかの解明は、今後の重要な研究課題である。
第三に、フェイク・ガストロノミーの政治的・倫理的含意についての反省的検討も必要である。TDRが提示するクレオール食文化、メキシコや中米の食文化、中国の食文化などは、必然的に選択、簡略化、美化、脱文脈化を経たものであり、そこには「観光の眼差し(tourist gaze)」(Urry 1990)の権力関係、すなわち誰が誰の文化を消費可能なかたちで提示するかという非対称関係が内在している。ディズニーという超大型グローバル文化企業がこの役割を担うことの政治性は、批判的文化研究の視点から問われ続けなければならない。
以上の課題を認識しつつも、本稿は結論として次のことを主張する。東京ディズニーリゾートにおけるフェイク・ガストロノミーは、民俗学、食文化論、記号論、環境心理学の複合的視座から見るとき、単なる観光消費の産物ではなく、グローバル化と都市化が進む現代社会において「郷土」への帰属欲求を新たな形で充足させる文化的実践として評価されるべきである。「架空の郷土料理」を食べることは、現実世界では決して手の届かない「物語の食卓」への着席であり、それは人間が食の共有によって帰属と意味を確認してきた、太古から変わらない文化的衝動の現代における創造的な変奏である。
