味噌漬けの鮭
当地も秋の気配が濃厚になってきた。毎週散歩に行っている森も、全体がなんとなく黄色っぽくなり始めた。否が応でも、夏は終わり、秋が来る。そして冬になる。森の散歩を始めてから、気がついたことがある。それは、季節は、毎日のように移り変わっているということだ。同じ夏でも毎日同じではない。毎日変化して行っている。普段は忙しくて、その変化に気づかないだけなのだ。
吉田兼好が徒然草に書いている通りだ。「春の後に夏になり、夏が終わって、秋が来るのではない。春はだんだんと夏の気配を催しているし、夏のうちにすでに秋は現れている。秋はすぐ寒くなり・・・」、まさしく、季節はいつも移り変わっている。流れている。流れていることにこちらが気づかないでいただけなのだと、実際に自然に触れるようになって、気づいたのだった。
「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌(きざ)しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとる序(ついで)甚だ速し。」ー徒然草
夕飯に何を食べようかと思案していて、ふと「味噌漬けの鮭」が浮かんだ。そうだ、まさしく秋。秋といえば「味噌漬けの鮭」だ。味噌漬けの鮭を思い出して、稲刈り後の田んぼの光景が頭に浮かんだ。そして不意に泣きそうになった。自分でもなぜ急に泣きそうになったのかわからない。味噌漬けの鮭を食べようと思えば、今だって食べられるのだが、私が思い浮かべたもの‐実家の味噌漬けの鮭やあの田圃の光景、その味噌漬けの鮭を毎年作っていた母・・・が、全て失われてしまったからなのか。それとも味噌漬けの鮭がとにかく亡き母を連想させたからなのか、これを書きながら、また涙が出てくる。あの思い出を書いておかなければ、そんな強い思いがして、ノートに思い出を書き始めた。
秋には鮭が産卵のために遡上してくるので、近くの川では漁が解禁され鮭が売られ始める。実家でも知り合いの漁の免許を持っている人とか地元の魚屋などから、生の鮭を買ってくる。鮭は普通生では食べないので、捌いて一切れずつに切り、味噌につけて2、3日置いて、味が染みた頃焼いて食べる。味噌も自家製で濃い茶色の田舎味噌である。
地元では「新穀と鮭のう」という言葉があって、その年に初めて取れた鮭を味噌漬けにしたものと収穫したばかりの新米を一緒に食べる。炊き立ての新米と味噌漬けの鮭の組み合わせは、ご馳走の一種であったし、香りが良く甘くてみずみずしい新米と、味噌の風味で臭みが消えて、塩味がほどよく効いた鮭を一緒に食べるのはとても美味しいものだった。この時期になると、どこの家でもこうやって味噌漬けで食べていたのではないかと思う。そのくらい当たり前の食べ方だったし、この季節を代表する食べ物だった。
しかし生の鮭を手に入れて食べられるのは、秋でもほんの一時期で、この後すぐに鮭は食卓に上らなくなる。その後の鮭は、「塩引き」と言って塩蔵物として年末の頃、再びお目にかかれることになる。
お歳暮や、年始の品としても、この「塩引き」は使われていた。実家の柱に、一匹丸ごと塩漬けにされて大仰に箱に入ったものが、何日もぶら下げられていたのを覚えている。塩蔵というのは、もちろん保存方法の一つだが、年末年始の贈答、ご馳走、持てなしの品として、生の鮭をこの時期までなんとか持たせる方法だったのかもしれない。冷蔵庫や冷凍庫などがない昔から、きっとこうやって食べられてきたに違いない。おそらく大昔から続いてきたのであろうその伝統が、私が子供の頃はまだ生きていた。江戸時代とほとんど変わらないであろう、方法で保存されていたのだろうと思う。昔、というのは、ついこの間のことでもあったような時代だったような気がする。塩引きとは、正確にはどうやって作るのか実はよく知らないのだが、多分、内蔵を除いて塩漬けにし、その後外干しなどして乾燥させるのではないかと思う。
こうしてお正月明けには味噌漬けとはまた違った風味の「塩引き」がよく食卓に上る。さっと焼くだけで食べられる塩引きは、母や祖母たちなどの忙しい主婦にとってもありがたい食材だったのだろうと思う。毎日飽きずに無くなるまでこうして食べ続けるが、この塩引きがなくなった後は、しばらくもう鮭は食べられない。また秋までお預けとなる。鮭とは、そういう季節が限定されたものだった。今では、ノルウェー産とかカナダ産とか養殖物などで一年中手に入るが、私の子供時代は秋と正月にしか食べられないものだった。
子供の頃は、秋になってこの味噌漬けが炊き立ての新米と一緒に出ると、「ああ、そんな季節なのか」と思ったものだった。家族みんな嬉しそうだった。味噌漬けの鮭と新米は、毎年素晴らしく美味しかった。もちろん新米とは、実家で両親が作った米だ。
10月の秋晴れの日、少し汗ばむような太陽の下、学校から歩いて家に帰ると、家の庭いっぱいに、藁が広げてあったりした。あの刈り取った後の田んぼの光景が目に浮かぶ。一生懸命働いてきた両親の姿が目に浮かぶ。あの頃の私は、それがこれからもずっと続くと思っていた。秋になると、あの藁の広げられた庭があり、食卓には味噌漬けの鮭と、炊き立ての新米が並ぶ。「ああもうこの季節が来たんだ」と、子供ながらにも思う、、、それがずっと続くと思っていた。
しかしこれらは、すっかり失われてしまった。私が大人になり、実家を出て田舎を去り、母が亡くなって父も米作りをやめてしまった。家族が変化しただけではなく、時代は変化し、自然環境が変化して、これらはもう失われてしまったという感じが強くする。あの当時の塩蔵の技術は、冷凍冷蔵技術の発達で必要無くなっただろうし、食生活の変化、塩分摂取量の変化で、あの塩引きはおそらくもう塩辛くて食べられないだろう。味噌漬けも、当時の味付けでは、やはり塩辛すぎて食べられないのではないかと思う。
さらに、調べてみたら、私の故郷の川では鮭の漁獲量が激減してしまったらしい。失われてしまったと強く感じた私の感覚は(当たってほしくなかったが)その通りだった。
失われたものは、単なる「新穀と鮭のう」の習慣だけではない。全てが変わっていってしまった。そんな気がする。私たちは、急激な変化の時代に生きている。それは季節が変わるように仕方のないことかもしれない。時代は変わっていく。実家の田んぼは、下流の洪水を予防するための水溜めとして整備されることになり、田んぼも姿を消してしまった。
「秋の味噌漬け」を思い出した時に、これら全てが一瞬でフラッシュバックのように私の記憶に蘇ってきて、そのせいで泣きそうになったのかもしれない。
今年も、鮭を買ってきて(例えカナダ産の養殖だろうと)味噌漬けを作ろう(例え味噌が市販品の怪しい味噌だろうと)。この味噌鮭と炊き立てのご飯でおにぎりを作って食べよう(例え米がカリフォルニア米だろうと)。きっとまた私は、失われたこの味噌漬けや新米の記憶がフラッシュバックして、泣くだろう。
