不安障害の自分を救い出す方法
皆さんバランスを取る時。どの様にして、水平を保っていますか?
右へ左へバランスが乱れて来ると「真っ直ぐにならないと、水平に保たないと」と焦りが出て来るでしょう。
真っ直ぐと歪みがないもの。そしてそれが正しいとされるもの。
僕たちは常に「この世界と自分を水平の保つこと」が、人生のおいて重要であると感じる生き物です。
目の前を歩く人が、真っ直ぐ進んでいる様に見えればそれが正しいと認識します。
バランスとは面白いもので「今こうしてバランスを保てている」と感じる物が「果たしてそれって水平なの?」と疑問を持つことが無くなる。つまり「何が水平で、何がバランスが良いのか?」
僕たちはもしかしたら「バランスを保とうとすればするほど、バランスが乱れていた」という事実に気が付かなかったのかもしれません。
僕たちがずっと正しいと信じて来たもの。
僕たちはずっと水平だと眺めて来たもの。
果たして「僕たちは本当に水平の上に立っていたのか?」「もしかしたら歪んでいたのではないか?」「そもそも天地が逆だったのではないか?」
そうしてその違和感を感じることなく、ずっと水平を保って来た。だけどもしかしたら「良く見ると水平でも何でもない世界だったのではないか?」と少しづつ人は気付き始めている段階なのではないか?と、大きな違和感がカタチになりつつあるのかもしれません。
不安とは…?その違和感こそが「本当は正しい水平なのではないか?」「その歪な世界を眺めて、心が休まらない」
ずっとこれじゃないと感じて生きて、自分を縛り付ける何かに怯え続けて来た。
解放したい。自分を解き放ちたい。
だけどずっと違和感ばかり残ってしまう。正そう正そうとすればするほど、どんどんズレていくのです…。
目の前に家があります。一見何の変哲もないただの一軒家です。
ですがよ~く眺めて見ると、西側から東側にかけて若干歪んでいます。家に入って試しにビー玉を置いてみると、少しづつ西から東へと転がっていくのです。
もし貴方が自分を正そう。真っ直ぐに整えようと思っても、その家の中に住めば、どんどん歪んでいきます。
何故人は不安を覚えるのか?それはきっと自分を守ろうとする防衛本能から来るものです。
時間は確かに自分を整えてくれます。楽しい事は自分を喜ばせてくれます。ですが、貴方が活動する場所を変えない限り、自分自身の視点を変えない限り、また不安は少しづつ押し寄せてくるわけです。
じゃあどうすれば良いのか?
自分が今見ている世界。その世界は果たして真っ直ぐであるのか?目の前を歩いている人がいるけれど、自分はその道を進むべきなのか?本当にそこへ行きたいと願っているのか?本当は嫌だと思っているのではないか?
その視点に気がつか無ければ、幾ら自分を整えようとしていても、傾いた家の中では景色が傾いているだけなんです。
そして貴方がその家の中から世界を眺めて正常だと感じても、外から見ればそれは曲がっているだけなのです。
不安は常に外側から見える世界です。
不安を物理的に真っ直ぐにする事は出来るかもかもしれません。ですが何処かが真っ直ぐになれば、何処かが歪むんです。
不安を生み出すものの原因を知らなければ、幾ら叩いても不安を生み出し続けるだけなのです。
人付き合いに不安を感じるならば、自分に不安を植え付ける物があるという事。その場所へ行くのが不安ならば、そもそもその場所が自分に合わないだけなんですよ…。
僕は別に「自分だけが正しくて、他が間違っている」と言いたいわけではありません。僕が言いたいのは
「自分が不安だと感じるもの全てに蓋をして、それを正しいと変えようとしてしまう物に対してそれでは何時までも水平にはならないんだよ」と言いたいだけなのです。
我慢をし続けて、無理をし続ければいつかは水平になれる。
僕たちはそう信じて生きて来ました。
だけどその代償はあまりにも大き過ぎた。だから今までずっとギクシャクした世の中が続いたんです。
そして僕たちはもう気がつく必要があります…。
もうこれではいつまでも堂々巡りなのだと。
不安は作り出される。小さな違和感から、どんどん生み出され続けてきたんですね。
もういい加減僕たちは自分を解放する事を許して良いのだと思います。解放は逃げでもないですし、解放したら恥ではないのです。
寧ろそのループから抜け出さなければ、不安は何時までも自分の中で生み出していく。いつしかその不安に気がつけないまま、自分が壊れていく事も感じられなくなるのです。
不安は自分の中から生み出されるという言葉の正体。
それは自分が見て見ぬふりを続けて来た代償です。
ですがそれは決して手遅れではないんですよ…。
寧ろ気がつけたら、そこから変えれば良いだけです。
歪んだ家から一歩踏み出して出ていけば良いだけなんです。
そして最後に。
この世界を作った原因。それはありません。
近頃の若い者が駄目なわけでも、お年寄りが悪いわけでもないんです。今こうして苦しんでいるカルマを探して、攻撃したりしても、それは解決には繋がらないんです。
僕が言いたいのは「ただそこから降りれば良いだけ」
たったそれだけなんです。
カルマはあります。そしてその代償も勿論あります。
それは単なるキッカケに過ぎません。気づきの為のキッカケなんです。
不安は投げ捨ててしまうものでも、消すものでもない。
気がついて受け止めて知る事なんです。
ただそこから降りる。そこで不安は大きく解消されるでしょう。
元々不安なんてないのかもしれない。それはただ、僕たちが生み出した事に過ぎないのだから…。
それではまた😺😺😺😺😺😺😺😺😺😺🐸😺😺😺😺😺😺
