『愛の乞食』感想・考察(ネタバレあり)



作品概要

『愛の乞食』※唐十郎の『少女仮面』『少女都市』に続く「満州もの」の第三作であると共に、『ジョン・シルバー』シリーズの三作目。

唐さんが描いてきた「満州もの」シリーズの第三作目であり、
また別の『ジョン・シルバー』シリーズの三作目にあたるのが、今回の『愛の乞食』という作品なので、
それまでの作品を知らない人にはハードルが高いんじゃないの!?というのが私が最初に思った感想です。
よくこの作品を選んだな、すごいなと思いましたが、私も『ジョン・シルバー』を見たことがなくても楽しめたので、あまり身構えなくて大丈夫です。

1970年初演
→大阪万博、赤軍派によるよど号ハイジャック事件、三島由紀夫割腹自殺、カラーテレビブーム
安保運動が加熱し下火になる頃

ちょうど旧・大阪万博の年に初演だなんて、運命を感じますね。

ジョン・シルバー
→ロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『宝島』に出てくる架空の海賊(悪役)。片足の男。

有名作品に出てくる海賊です。
ですが、唐さんの作品においてはおそらく「スーパーヒーロー」なのか「青い鳥」なのか「悪魔」なのか「救世主」なのか、とにかく「この人が現れたら今までのすべてがガラッと変わる!」みたいな存在として描かれています。なんだかわからないけど、とにかくすごくて有名な人。でも、誰も姿を見たことがない。実在するのかもわからない、都市伝説のような人物。
つまりモチーフとして使われている感じです。


『ゴドーを待ちながら』

少し話がそれますが、有名な演劇作品にサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』というものがあります。
「ゴドー」という人物を待っている二人の男(浮浪者)の会話劇なのですが、途中で別の人が入ってきたりするものの、結局ゴドーは現れない。
二人の男はゴドーを待っているものの、特に自分で行動を起こしたり現状打破をすることなく、ただ「ゴドーさえ来ればなぁ」というような会話をして待ち続ける。そして幕が降りる。
という、いわゆる「不条理劇」というもので、普通のストーリーは主人公が成長したり、何かしらのハッピーエンドやバッドエンドが訪れて物語が終わるのに、何も起こらずに終わるというものです。

この『ゴドーを待ちながら』が1952年に発表され、5年後には20か国語に翻訳されるほどの大ブームになりました。
個人的には「不条理劇って、何も起こらないのに何が面白いの?」とか、「努力の方向が間違っている、みたいな不毛なことをしている人間を描いて何が面白いの?」という気持ちになるのですが(笑)、
まぁ、「人の振り見て我が振りなおせ」とか、不毛なことをしている人間を客観的に、安全な客席から眺めることで、哀れみとか慈愛とかの感情が自分の中で生まれたり…そういったところが面白味なのかなと思っています。

現代でも影響を受けている作品がたくさんあって、映画『ドライブ・マイ・カー』の劇中劇として登場したり、『桐島、部活やめるってよ』もゴドー型のお話と言われているそう。

そこで思い出されるのが「ジョン・シルバー」。
過去の二作で姿を現さなかった「ジョン・シルバー」は、「ゴドー」のような存在なのかなと思いながら見ていました。

ここから思いっきりラストシーンのネタバレをしますが、
だから、『愛の乞食』初演時の観客は、最後にシルバーが現れたことにびっくりしたんじゃないかと思います。
シリーズ1作目、2作目で「絶対に現れないあの人」であったはずのシルバー。当時の演劇人の中で「ゴドー」も有名だったでしょうから、みんな「現れない」と思って見ている。
それが「ついに現れた!」というところが、この作品の面白ポイントのひとつかと思います。


ただ、この『愛の乞食』で大切なのは、シルバーが「来る・来ない」ではなく、シルバーが来ることで場面が変わるとみんなが信じていることではないかと思います。
戦争で傷ついた人たち、いろんな鬱憤がたまっている人たちが、「なにかきっかけが欲しい」と思っている。「きっかけさえあれば、今までのすべてが変わる」みたいな夢を見ているのかもしれない。逆に「来ないでほしい」と思っている人もいるかもしれない。
だから途中から「登場の仕方によっては、誰でもシルバーになれる」みたいな話になってくるわけです。ただ待つのではなく、「おれが転換点を作ってやる」みたいな思考になっていく。
シルバーそのものを求めているのは万寿シャゲだけかもしれません。

そしてこのテーマは『アリババ』にも通じています。現実から目を背け、ただひたすら「黒い馬」を待っている宿六。彼にとっての「黒い馬」も、ゴドーやジョン・シルバーのように、「ソレが来さえすれば一発逆転が叶う」存在なんだと思います。


ミドリのおばさん

「小学校の通学路で児童の交通安全を確保する女性の学童擁護員」です。近年は女性に限らず、男性もたくさんいますよね。
小学生が信号を渡るときに、サポートしてくれる方々です。
これに関しては興味深い記事がありました。

「みどりのおばさん」は、初期唐作品にとって重要な登場人物です。
唐さんが幼少期に体験したみどりのおばさんの不気味さ。
おばさんなのに男か女か分からない、という感慨に端を発し、
さまざまな作品にこの役は登場します。
(略)
いずれも、幼少期の唐さんの印象により男性が演じています。
その実、戦後のみどりのおばさんには、
戦争で夫や息子を亡くした未亡人や母が積極的に登用されたという
歴史があります。子供時代の唐さんは、みどりのおばさんの中に
見た目に面白さだけでなく、そういったシリアスな悲哀を感じて
魅了されていたともいえます。

http://karazemi.com/blog/cat60/928-3.html

1959年11月19日に東京都においてこの制度が始まった。まだ女性の職場が少なかった戦後復興期に、寡婦の雇用対策として創設された職業である。創設当初、勤務時間は午前2時間、午後3時間で、日当は315円であった。1961年以降、各地に広がった。
当初は臨時職員であったが、1965年より東京都の正職員となった。近年、その存廃が議論されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%AB%A5%E6%93%81%E8%AD%B7%E5%93%A1

唐さんは1940年生まれ、東京都台東区出身なので、真偽はわかりかねますが、幼少時の実体験というよりは、時事ネタとして組み込んだのかなと思います。
(でもきっと、幼少期に「おじさんかおばさんかわからないおばさん」が近所にいたんでしょうね。笑 )



「愛の乞食」とは誰か

いきなり本題ですが、皆さんは誰のことを指していると思いましたか?
正解はわからないので、それぞれに感じたことが正しいと思います。








私は、今回の公演を見ていて、「尼蔵(みどりのおばさん)」のことなのかなと思いました。

尼蔵は海賊として、馬田や大谷と共謀し、
13人の朝鮮人を殺害して30個の金歯を奪うという残虐な悪人でした。
ラストで明かされるのは、40年後に再会した海賊たちが、それぞれのオタカラを鞄から出して披露するシーン。
馬田・大谷の鞄から出てきたのは調書でした。
内容は無賃乗車とかしょうもないものでしたが、元海賊でも今は刑事として身分があり、きちんと仕事をしている。40年間の獲物はその証でした。

三人組のボス的存在で、金歯も一人でくすねようとしていたくらいの尼蔵は、それを見て鼻で笑って叱り飛ばします。
「ふざけるな民主海賊!こんなものしか持ってこねぇで、よくその金歯をもらえたな!」
しかし、尼蔵の鞄から出てきたのは、小学生の弁当箱や上履きや定規でした。

それを見て馬鹿にして笑った大谷を尼蔵がナイフで刺します。

尼蔵「この野郎、俺の獲物を笑いやがった!俺の血と汗の、愛の海賊さまの―――」

この後、尼蔵は馬田と相打ちで死んでしまいます。

尼蔵「これだけは言っておこう。登場の仕方によっちゃ、誰でもシルバーになれるように、退場の仕方によってもシルバーになれるんだ。船はきっと来る」


と言っていますが、あっけなく死んでしまいます。

このシーン、急に上履きや定規が出てきて笑えるけど切ないですよね。
小学生たちから受け取ったものだとしたら、それこそ「愛の乞食」ではないでしょうか?
子供の無垢な愛を乞う人。
しかもそれが、40年のオタカラだなんて。
「もう一度会ったら返してやりたい」と言っていながら、きっと会いに行けずにいるんだろうな。

思い返せば冒頭から「背中をさすってくれ」と言って、通りがかりの田口から無償の愛を乞うています。
でも自分は、日当たったの315円で小学生の安全を見守る仕事をしていて、自分を「愛の海賊」と呼んでいる。

前半のシーンを思い出すと、尼蔵は万寿シャゲと一緒に公衆便所でキャバレー「豆満江」を営んでいます。
「あの時の14番目の朝鮮人がこの子だ」と言うのも尼蔵なので、知っていて一緒にいる感じです。
いったいどんな経緯で一緒にいるのかはわかりませんが、万寿シャゲがジョン・シルバーを待ち焦がれているので、きっと尼蔵も同様にシルバーを待ち続けているのだと思います。
「シルバーが来れば、現状が変わる」と、一番願っているのは尼蔵なのかなと思いました。


トイレと海

私が思うに、唐さんの作品では「水はすべてつながっている」みたいな思想があるような気がします。
別作品では牛乳瓶で船出したりしていました。
だから、トイレと海が繋がっていても全然おかしくないのです。
『アリババ』においては母体の羊水も水ですからつながっています。
「朝は海の中、昼は丘、夜は川の中」
とも言っていました。だから児たちは水夫の恰好や水色の衣装だったんだなと思います。

トイレの裏は公団なのに、扉を開けたら海がある。
ロマンですよね。
海賊とか、ロマンの生き物でしかないです。

ロマンに生き、ロマンに死ぬ

調書や上履きのシーンで、なぜ海賊たちが喧嘩になるのかと言うと、「ロマン」のためです。
ロマンとは、「夢や冒険への憧れ」や「理想を追い求める心情」です。
ロマンに生きてロマンに死ぬ。これぞ海賊って感じですよね。
この作品ではずっと、「ロマン」の話をしています。

今はみどりのおばさんとして、「愛の海賊」として生きたいというロマンを追いながら、かつて殺した13人の女たちの十字架を背負って生きる尼蔵は、背中にある「愛のおできで死んじゃいそう」なんだなぁと思うと、なんだか切ないです。

そしてそのロマンの象徴が、「ジョン・シルバー」なのです。


田口とジョン・シルバー


観劇前、「どうして田口とジョン・ジルバ―を同じ人物が演じるのか?」と疑問に思いました。

「田口」という名前は唐十郎さんの作品によく出てくる名前です。
『少女都市からの呼び声』の主人公も田口、『ジャガーの眼』の義眼の探偵も田口でした。
唐さんが演じることも多かった役で、唐さんの母方の旧姓だそうです。

今回、もうひとつインパクトのある名前が出ていました。
「小春」です。

サラリーマン・田口のお母さんの話をしている時、「母の名は、小春です」で一瞬、場が凍りつきます。
「小春」というのは、ジョン・シルバーの女房の名前だからです。

ただ、だからといって田口がシルバーの息子かと言うと、そうとは限りません。
ただ、母親の名前が「小春」だっただけです。


ちょっと飛躍してしまうかもしれないのですが、今回のBunkamura公演を見て、私の考えでは、「万寿シャゲの執念によって、田口がジョン・シルバーに仕立てあげられた」ように見えました。
そもそも万寿シャゲは、シルバー恋しさに海を渡り、40年間も14歳の姿で生きながらえているひとです。ものすごい執念だと思います。
伊東さん演じる万寿シャゲの、ハツラツとした明るくて若さみなぎる感じとは対照的に、そんなバックボーンのある女性です。(そこがすごくいいなと思いました)
「登場の仕方によっては、誰でもシルバーになれる」というのもヒントですよね。
だから、「田口が実はジョン・シルバーだった」というよりは、
「万寿シャゲによって田口がジョン・シルバーに仕立て上げられたことが転換点となり、物語が動きだし、人々を乗せる船が現れ、万寿シャゲやみんなの魂が救われて物語が終演した」と考えた方が、自分の中で腑に落ちる感じがしました。

唐さんの『赤い靴』という作品で、ヒロインが「アンデルセンを書きかえる!!」と叫ぶシーンが好きでした。
今さら、あんな世界的に有名な作品を、少女が書き換えられるわけもないのに、そんな大それたことをしでかそうとする、唐作品のヒロインたちが私は好きです。

考えは様々ありますので、ぜひそれぞれが感じたことを大切に、考えてみてくださいね。

結局、誰がどう「愛の乞食」なのか、といえば、

私はジョン・シルバーその人が「愛の乞食」なのだと考えます。

中野WS『愛の乞食』 - ゼミログ | 劇団唐ゼミ☆ https://share.google/koXAjp5kDBduhmXQ7

好きだったところ

■オウムのフリント
シルバーのお付きのオウムを人間が演じていましたが、これは今まで鳥の人形が担っていた役を、紅日毬子さんという女優さんの存在によって、今回は人が演じることになったそうです。
すごいことですよね!
マッチ芸も見事でした。
アングラでよく出てくるマッチ芸。これも火を消さないように扱うには技術が必要です。
フリント、働き者で大好きでした。

■バーのホステスたち

飲み屋の主人は「物騒な事件で、この街にはもうホステスはこの子しかいない」と言っていた気がします。
じゃあ、彼女たちは一体…?

ひとり娘が 妹を連れて
水なき川で 焼け死んだ
アンマが見つけて いざりが揚げた
イザリが揚げたと 啞(おし)が言うた

早川書房『悲劇喜劇』2025年9月号 ※「いざり」「イザリ」は原文ママ

ひとり娘=妹がいるはずない
水なき川=そんなものない
あんま=盲目の人。見つけるはずがない
イザリ=足の不自由な人。死体を引き上げられるはずがない
おし(啞)=発話障害のある人。言うことが出来ない

これらは全て「ありえないこと」を歌っています。
言葉遊びみたいですね。
この歌とても好きでした。



安田さんのこと

私が20年近く小劇場ファンをやってきて、色んな俳優さんを見てきた中で、
有名な俳優さんが小劇場に出ると、どうしても客席との距離感がチグハグで、広い会場のつもりで演技をしてしまって近くの客席が白けるようなことも多々ありました。
ですが安田さんは、冒頭から良い意味でアイドル臭くなくてビックリしました。
あと滑舌もよく体もよく動く。
インタビューで演出の金さんも「特権的身体」という言葉を引用されていましたが、本当に特筆すべき身体能力だと思います。
幼少期から鍛えてこられたスキルの賜物だと思います。
そして相手との距離感、客席との距離感もバッチリでした。
この事務所のタレントさんって、皆さん自発光してると思うのですが(!?)、その輝き方をコントロール出来る人ってどれくらいいるんだろうって思いました。
常に強い光を放ってる方もいれば、相手に合わせて光り方を変えられる人もいるんだなぁと。

正直、ちょっと悔しい気持ちにもなりました。
スタジアムでライブするような大物アーティストの方がここまでできてしまったら、小劇場一本でやってる人は…って気持ちです。

テント芝居とBunkamuraの商業公演ではまた違った楽しみがありました。
私はやっぱりテントが好きだなという再確認にもなり、唐さんの作品を多くの人が見て、知ってくれる機会ができたことにも感謝しています。
安田さんのお芝居、見られてよかったな。
ありがとうございました!

思いのほか長くなってしまって、
こんな長いの全部読んでくださる方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが、
ここまでお付き合い下さりありがとうございました。

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