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日本史上最大の成功を収めた国民的男性アイドルグループ『SMAP』

SMAP』は、ジャニーズ事務所から1991年にデビューした日本の男性アイドルグループ。主に1990年代後半から2000年代前半まで大衆的な人気を集め、活動は28年間におよび「国民的グループ」・「平成のクレージーキャッツ」・「日本のビートルズ」等と称された。グループ名は、当時事務所社長だったジャニー喜多川の命名。「Sports Music Assemble People」の略であり、「スポーツと音楽の融合」、「スポーツと音楽をするために集められた人々」という意味が込められている。当初、SMAPのSはスケートボードを意味していたが、グループ自体がスケートボードからバラエティ路線へとシフトしたため、スポーツになった。

日本で最大の成功を収めた国民的グループ

2000年代以降、同じジャニーズ事務所所属である嵐や韓国のK-POPアイドルグループが台頭するまでアジア史上で最も成功を収めた男性アイドルグループだった。総売り上げ枚数は、3500万枚以上を記録している。全盛期は1996年~1998年までの3年間とされ、2000年代中盤からは徐々に人気が低迷し、2010年代に入るとSMAPのポジションは後輩グループの嵐と入れ替わるような形となる。若年層よりも高年齢層(SMAPのメンバーよりも上の世代)から支持を得た男性アイドルである。一方で若い世代はSMAPよりも嵐を好む傾向が強かった。

SMAPをはじめアジアの男性アイドルグループにも影響を与えたNKOTBとTAKE THAT

アメリカのボーイ・バンドであるNew Kids On The Blockやイギリスのボーイ・バンドだったTAKE THAT等から影響を受けたグループの1つ。5人組の男性アイドルグループ+10代の少年という点はニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、メンバーたちの親しみやすいキャラクター性と1990年代に人気を博した点はテイク・ザットと似ている。

勝俣州和が在籍していた企画モノの男性アイドルグループ / CHA-CHA

またバラエティでの活躍やお笑い・コントなどにも積極的に取り組む要素は、アイドル的人気を得ていたお笑いコンビ・とんねるずから影響を受けたという。また、SMAPが結成された1988年に他事務所からデビューした男性アイドルグループCHA-CHA(メンバーの一部はジャニーズ事務所に所属していた)の「お笑いもできる男性アイドルグループ」というコンセプトも受け継がれた(SMAPの場合は、バラエティでも活躍できる男性アイドルグループというコンセプトである)。実際に茶々隊のメンバーオーディションには当時、スケートボーイズのメンバーだった中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草彅 剛、香取慎吾、森 且行の6人も参加したが、その中から合格したのが木村拓哉と草彅 剛のみ。この2人はしばらく茶々隊としてレッスンなどを行っていたが、CHA-CHAがデビューする直前に萩本欽一から「君たちはうちのグループには合わない、ジャニーズへ帰りなさい!」との助言を受け、ジャニーズ事務所へ戻って当時、結成されたばかりのSMAPのメンバーに合流した。その後、SMAPがジャニーズ事務所から6人組でデビューし、後に国民的アイドルになったことを考えると萩本欽一の判断は正しかったと言えるだろう。

ジャニーズ事務所よりデビューしたSMAPのメンバー6人 

⬛SMAPのメンバー

⚝中居正広

SMAPのリーダー・中居正広

SMAPのリーダー・司会者であり、SMAP内のロックダンサー。テレビ朝日で放送されていたテレビ番組『桜っ子クラブ』のプール大会にて円柱に抱きつきホースで水をかけ、どちらが長く抱きついていられるかを競うゲームで勝利し、リーダーに決まった。歌唱力に難はあるものの、リズム感が良くダンスやラップが得意であり、作曲などの制作者としても活動している。SMAPのメンバー紹介を行う楽曲『FIVE RESPECT』などは全て中居による制作曲である。得意なダンスはロックダンスであり、SMAPとしてデビューする前から頻繁に披露し、ダンスのことに詳しくない一般層にもロックダンスを広めた第一人者でもある。またNHK紅白歌合戦ではライジングプロダクション所属でSMAPの対抗馬だったDA PUMPのメンバーからロックダンスのコツを教わったという。

⚝木村拓哉

アイドルとしても俳優としても成功した木村拓哉

SMAPのイケメン担当であり、歌唱力にも定評がある。得意なダンスはポップダンス。本人の知らないうちに親戚のおばさんがジャニーズ事務所へ履歴書を送り、事務所へ訪れた際にジャニー喜多川から「YOU!歌える?踊れる?」と質問され、「全部できません」と答えたところ、ジャニー喜多川は「君の正直なところが良い」と言われ入所した。SMAPと言えば木村拓哉(キムタク)というイメージが一般的にも強いほど、SMAPナンバー1の人気を誇る。ドラマ出演では多くの代表作・ヒット作品を残し、俳優面でも成功を収めた。

⚝稲垣吾郎

SMAP×SMAPで披露していたマイケル・ジャクソンのパロディコント

SMAPのポジショニング的存在。以外にもSMAPの中で一番最初に人気を得たメンバーである(SMAPデビュー前後の時期)。ダンスはあまり得意ではないが、ルックスが優れており、クールな感じのキャラクターが特徴的である。芸能界ではワイン通としても知られ、マイケル・ジャクソンの物まねも得意である。レギュラー番組「SMAP×SMAP」ではお忍びマイケルというコントをやっていたこともある。

⚝草彅 剛

ツヨポンの愛称で親しまれる草彅 剛

SMAPのアクロバット担当であり、韓国では面白い歌手という設定のチョナン・カンのキャラクターが知られている。幼少期から剣道・サッカー・機械体操など様々なスポーツに触れ、優れた運動実力を見せていたという。そのためアクロバットが得意であり、デビュー前後からバク転なども頻繁に披露していた。ジャニーズの先輩では少年隊に憧れていた。

⚝森 且行

6人時代のSMAPには欠かせないメンバーであった森 且行

SMAPのお兄さん的存在で高身長で歌唱力やダンスにも定評がある。その一方でトークが苦手であり、バラエティ番組などに出演する際はあまり目立たないことが多かった。芸能界に興味があったお兄さんの付き添いでジャニーズ事務所へ履歴書を提出しに訪れ、電車で帰宅しようとしたところをジャニーズ事務所のスタッフが駅まで追いかけてきてスカウトされた。また韓国などのアジアでは他の5人に比べると知名度が低い。6人組体制だった頃は木村拓哉と共にSMAPのナンバーワン人気を誇っていた。1996年以降、オートレーサーとして成功を収める。

⚝香取慎吾

SMAPメンバーの中で最年少だった香取慎吾

SMAPの末っ子であり、ジャニーズ初の小学生メンバー。光GENJIに憧れ、ジャニーズに入所。母親と履歴書を提出しにジャニーズ事務所へ訪ねた際、実際に光GENJIがレッスンを受けており、生で見ていた香取は感動したという。ダンスやヒップホップにも関心があり、SMAPのロールモデルとなったイギリスのボーイ・バンド、TAKE THATやEAST17も好んでいたという(実際にコンサートやテレビ番組でも楽曲をカバーしたことがある)。SMAPの中では草彅 剛と仲が良い。

⚝SMAPのロールモデル

2006年、『SMAP×SMAP』にゲスト出演したマイケル・ジャクソン

SMAPのメンバーたちは自分たちのロールモデルは、マイケル・ジャクソンだと明かしている。SMAPが結成された頃、東京ドームでマイケル・ジャクソンのコンサートがあり、メンバーみんなで観に行った際に衝撃を受けたという。特に中居正広はSMAPのコンサートやテレビ番組でもマイケル・ジャクソンのダンスを披露するなどの大ファンであり、2009年にマイケルが亡くなったときには『NHK紅白歌合戦』内の追悼企画としてマイケル・ジャクソンのパフォーマンスを5人で披露した。

⬛SMAPのツートップ(2TOP) / 森且行と木村拓哉

デビュー当時の木村拓哉と森且行

現在ではSMAPのツートップと言えば、中居正広と木村拓哉というイメージが強い。しかし、本来は木村拓哉と森且行を指す名称だった。6人組体制だった頃、この2人は歌とダンスが一番上手くて楽曲の歌うパートも多く、ツインボーカルのような役割をしていた。さらに人気も高かったことから森と木村がツートップと呼ばれた。1996年に森が脱退した後、SMAPが5人組体制となり、グループの中で最年長メンバーだったのが中居と木村だったため、以後、中居正広と木村拓哉がSMAPのツートップと呼ばれるようになった。

⬛プロモーションビデオ / その他

SMAP「Every You」のプロモーションビデオ

SMAPは、デビュー当時はブレイクできず、全盛期も各メンバーがドラマやバラエティなどで活躍し、とても多忙だったため、プロモーションビデオを作る時間がなかった。また他のアイドルとは異なり、5人組体制になった頃にはメンバーの年齢が上がったこともあって大人のアーティストのような路線を目指していたため、PVを制作しなかったという理由もある。アルバムのジャケット、シングルのジャケットなどもメンバーが映っていないアーティスティックなデザインになっていることも多かった。

デビュー当時、6人組体制だった頃のSMAP

1991年9月9日、『Can't Stop!! -LOVING-』でメジャーデビューを果たすが、オリコン週間チャートでは2位止まり。セールスはデビューシングルとしては事務所始まって以来最低の15万枚で地方でのコンサートでは客もまばらだった。アイドル業界全体が下火となる中で音楽番組も次々と打ち切られ、事務所もSMAPの売り出し方について確たる方針を定められないでいた。この状況を打開したのが当時事務所の事務職員だった飯島三智である。飯島はSMAPのマネージャーに志願すると、それまで事務所が距離をとっていたバラエティ路線にSMAPを積極的に売り込み、1992年に放送開始の『夢がMORI MORI』では本格的なコントに挑戦した。アイドルのコント番組への出演自体は珍しいことではなかったが、SMAPはアイドルであることを言い訳にせず、本気で本職のお笑い芸人顔負けの「笑われる」対象に徹した。また1980年代から1990年代にかけてお笑い界からも「とんねるず」・「ダウンタウン」などのお笑い第三世代をはじめ、お笑い番組「ボキャブラ天国」や踊れる芸人として「吉本印天然素材」がSMAPデビューと前後して結成されるなどお笑い芸人がアイドル的人気を得る状況が起きていた。

1990年代後半から2000年代前半にかけて大人気を博したSMAP 

歌って踊れて笑いもできるエンターテイナーという総合エンターテイナーの路線を追求することにより、従来のアイドルのような夢の世界の住人ではなく、日常を生きる、いわば「SMAPという職業」につく普通の人物としての側面を持つようになる。そしてSMAPのファンは、SMAPのメンバーの歩みや変遷を楽しみ、共に生きるという関わり方を送るようになる。

12枚目のシングル「Hey Heyおおきに毎度あり」でオリコン1位を獲得

そしてデビュー3周年を迎えた1994年、14枚目のシングル「がんばりましょう」でブレイク。1996年、森且行が脱退し、SMAPは5人組体制となって全盛期を迎える。2000年以降、メンバーの年齢が上がり、アイドルとしての全盛期が一旦落ち着く。ここからSMAPはアイドルからアーティスト、タレント、俳優といったジャンルへ格上げされ、アイドルから抜け出した存在となる。グループの路線だけでなく、音楽面でも当初はアイドルらしい楽曲が多かったが、1990年代後半からは大衆が好む簡単なメロディーに乗せて歌われる楽曲やメッセージ性の強いバラード調の歌を発表するなどの変化を見せた。デビュー当初は10代の女性ファン(主にジャニーズファン)が中心だったが、次第に成人男性や高齢者にまでファン層が拡大して国民的グループへと成長した。

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