「火の鳥」~手塚作品から感じるもの~
今まで何人の人がこの方の作品について考察してきたことでしょう。
今日のお話しは手塚治虫さんの作品についてです。
私が初めて手塚作品に出会ったのは小学校低学年くらいだったと思います。
テレビで「火の鳥(鳳凰編・ヤマト編)」のアニメ版が放送されており、母がそれをビデオテープに録画していました。
母「有名な作品だから、見るといいよ。」
と勧められて見たものの、子供には少し怖い描写も多かったので、あまり繰り返し観ることはありませんでした。
しかし、そのアニメを見たときの強烈な印象は大人になってもずっと心のどこかに残っていました。
私はここ最近、時間があるときに手塚作品を読んでいます。(マンガです)
「火の鳥」は手塚作品シリーズの一つであり、「○○編」といういくつかのストーリーに分かれています。

いやぁ、驚きです。
発表期間をご覧ください。
「火の鳥(マンガ)」においては1954年に開始されています。
今から70年以上も昔に作られていたんですね…。
なんか、圧倒されちゃいます…。
「火の鳥」以外では「ブッダ」も読んだことがあります。
この二つの作品以外は読んだことがないのですが、手塚作品のストーリーにはある共通点があります。
それは、
ハッピーエンド💗
めでたし、めでたし。
…で話が終わらないことです。
(あくまで私が読んだものに限ります)
さまざまな世の中の不条理が否応なく登場人物たちを襲います。
善人・人格者がいとも簡単に命を奪われる。
大罪人が命を救われ、生き延びる。
権力者たちが人生を謳歌する。
貧しい人々が理不尽に搾取され、困窮する。
などです。
作中に出てくる火の鳥はあらゆるものを超越した存在のように描かれていますが、困った人々を救ってくれる優しい存在ではありません。
時に困った人を救うこともありますが、なんというか、それは一種の「気まぐれ」のようにも見受けられます。
そして時には人々に罰を与えるような存在にもなっているのです。
個人的感想ですが、私はこの「火の鳥」を読んだ後、不思議と
「あ、今、自分は生きているんだ…。」
という実感を得ています。
生命の躍動というか、はかなさというか、そういったものが読んだ後に私の中に宿るのです。
なぜそのように感じるのだろう?
と考えてみたとき、この作品が現代社会を投影しているものであると気付きます。
日常の生活って「ハッピーエンド」になることの方が少ないですよね。
気の持ちようにもよりますが、生きにくい、ツライ、悲しいなどの負の出来事に見舞われることのほうがたくさんあると思います。
この「火の鳥」にはまさに現代社会の生きにくさが描かれています。
時代背景は全く違えども、人間の営みにおいてはなんら変わりがないように思えるのです。
そんなこんなで、今日も「火の鳥」を読みました。
今日は「黎明編」でした。
邪馬台国の女王ヒミコも人間だったんだね、という内容が描かれています。
神格化されていたものの実態(実体?)が暴かれていく。
現代と似ていますね。
手塚作品シリーズ、おススメです。
皆さまもぜひご覧ください。📚
(もう読んでいらしたら、ぜひまたお読みください)
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