「後悔」という名の「対価」、そして「代償」という名の「後悔」
ああ、よく寝た。
夜11時半、
何だよ、1時間しか寝てない。
ああ、今回はよく寝た。
夜1時39分、
2時間、、、
ものすごく眠いのに小刻みに起きてしまう。
そしてこうやって取り留めもなく書く。
明日は五日。こどもの日。
いつもだったら吉兆庵で柏餅を買い、家族で食べる。
なんてことのない日だ。
しかし明日もわたしは一人。
愛する息子に小遣いをやった。
今年は「ごめんね」の意味を含めて、結構やった。
5月の節句。
母は毎年、息子を祝った。
認知症になってからは、1日に2回お祝いをしようとするので、
母を説得するのが大変だった。
母らしいな。ありがたいな、と心から思う。
暖かくしてるだろうか。
帯状疱疹は治っただろうか。
GW明けにデイサービスが、各種請求書を持ってくる。
母の通院のついでに。
母の通院「が」ついでかも、と過保護なわたしは黒い感情が浮かぶ。
鬱になり、彼女の面倒を見れなくなったこと。
それによりデイサービスにお泊まりになったこと。
わたしはどこかで焦りがある。
デイサービスにお泊まりにするのは数週間か、数ヶ月だろうと思っていた。
うつの奴。
そうこうしているうちに、介護4になった。
もう無理だ。在宅では看ることができない。
介護は評価されない。
家事と育児が評価されないように。
だから女性は辛い。
もちろん男性介護者も辛いであろう。
ただ、会社で勤務するという「地位」と、
「お給料」という対価がある。
しかし、家事、育児、介護には何の「評価」もなければ、
それが報われることもない。
育児と介護には常に「後悔」がつきものだ。
もしわたしが、同じようにしている女性がいれば、
わたしはこう言うであろう。
「あなたは十分すぎるほど頑張っている。
それ以上頑張ってどうするの?」
これはかつて母が、不謹慎にも、わたしの誕生日に。
希死念慮が増すその時に、こっそり母を部屋に呼んで泣いた。
その時に言われた魔法のことば。
この言葉をあげたい。
