ベートーヴェンのように泳げない日
結婚式参列に白はだめ。
別れの儀式に金や派手な色はだめ。
それはもちろん深く理解できる。
今日は先日できた帯状疱疹を朝一でお医者に診てもらう。
コリンが見つめる間、支度する。
相変わらず歳をとったな、と思いながらアイシャドウに手を伸ばす。
(あ、やめておこう。)
直感的に思った。
先日、「介護でうつ病になり、うつ病の悪化でしんどいです。」
と帯状疱疹を診てもらった。
ふと「なぜアイシャドウをつけてはいけないのだろう。」と
自問自答する。
「あれ?どうして?」
笑ってしまうことに自分も理解できない。
思い返せば、耐えてきた言葉の静かな圧力、
「元気そうで良かった。」
「うつ病じゃないよ。元気だもん。」
「うつ病なのに身なりをきれいにしてる。」
うつ病だったら、常に暗い表情で、身なりも小汚くしていなくてはいけないの?
不思議だ。具合が悪くても医師の診断を無視され、表面の「ふり」を信じ、
挙げ句の果てには「うつ病患者」は身なりがきれいだと差別されると思ってしまている自分に、
これまでどれだけ、周りの空気を読もうとしすぎたのか、
どれだけ「ふり」をしすぎていたのか、
どれだけ「他者の期待するもの」を演じてきてしまったのか気づいた。
まるで、
「わたしは幸せよ!」
という空気を保ってきたかのように。
前の記事にも、人生はシンクロナイズドスイミング、と書いた。
この言葉に共感してくれる友達が結構いることに救いを感じる。
今のわたしは、シンクロナイズドスイミングもできていない、
皆が横で健やかに泳いでいる、もしくはかつてのわたしのように、
シンクロナイズドスイミングをしている者もいる中、
「沈まないように、必死で浮いている」という表現がピッタリだ。
シンクロナイズドスイミングをする、華麗に泳ぐ、ただ浮くだけ、
サーフィンをする、またはリュックベッソンの映画のグランブルーのように、
素潜りする、「生き方」は色々あるな、と周りを見て実感する。
ベートーヴェンよ、今は逆境に立ち向かう力がないようだ。ごめん。
今は賢治のように水面で浮いていたいのだ。
