見出し画像

黒い目が見ている (第2回)

 それから二人は、教室がある日は通えるかぎり通った。でも亜美あみちゃんは、すっかり変わってしまって、前のように千代に話しかけてくることはなくなった。
 二週間くらいったある日のこと。
「亜美ちゃんさあ、そろそろその鉛筆えんぴつをやめて、ほかの画材をためしてみない?」
 先生が今日もまた何種類もの鉛筆をトレイにのせて、亜美ちゃんに差し出している。亜美ちゃんはそれをちらりとも見ずに、頭を横にふって、星の鉛筆で絵をきつづけた。亜美ちゃんのとなりにいた千代は、先生を見上げた。先生は心配そうな顔で亜美ちゃんの手もとをじっと見つめている。
 亜美ちゃんに負けたくない千代は、先生に質問しつもんしたいことがたくさんあった。
「先生、花びらの透明感とうめいかんを出したいんですけど、うまくいかなくて」
「ああ、それはね」
 先生はすぐに答えてくれたけれど、どこか上の空だ。ちらりちらりと亜美ちゃんのほうばかり見ている。
(ああ、まただ。ここのところ先生ったら亜美ちゃんのことばかり見ている)
 千代のむねはざわざわとさわいだ。
 それでも筆がのった千代は、今日もほかの子どもたちよりおそくまで残って描いていた。この数日、千代はかがやくような力強い向日葵ひまわりの絵を何枚なんまいも描いている。亜美ちゃんの絵を見て、自分も力強さを表現ひょうげんしたいと思ったのだ。その亜美ちゃんとはここのところずっと別々に帰っている。
 まどからの日差ひざしが、夕焼け色から薄紫色うすむらさきいろになってきたころになって、ようやく千代はバタバタと片付かたづけをはじめた。
「しまった。遅くなっちゃった」
 あわてる千代の耳に、どこかから何やら小さな音が聞こえてきた。千代はきょろきょろとあたりを見まわした。今、ここには千代のほかだれもいない。先生も画材をしまうために二階へ上がっていた。
 静まり返った中、たしかに小さな音がする。
 ヴォリヴォリ、ボリボリ、バリバリ……。
「え、なに?」
 音はみんなの絵をかざっている一角から聞こえてくるようだ。千代はそちらへおそるおそる近づいていった。
「亜美ちゃんの絵?」
 千代は亜美ちゃんの絵の前で立ち止まった。千代の向日葵の絵の横で、その絵はいつも以上に黒々として見える。その黒々としたうずまきの中で、あの黒い目の何ものかが動いていた。
 千代はその瞬間しゅんかん、体がこおりついたようになり、動けなくなってしまった。見たくなくてもその光景は目に飛びこんでくる。
 それは小さな生きもののようだった。となりにある千代の絵に手をのばして、向日葵のくきを折り、それをバリバリと音をたてて食べていたのだ。絵の中の向日葵は食べられても絵から消えることはなかったけれど、黒い目の生きものが食べたあとの絵は、なんだか色あせて、魅力みりょくを失っていった。反対に、亜美ちゃんの絵は力強さをし、黒い目の生きものも少し大きくなったように見えた。
 千代はぞっとした。と、同時に自分の絵を台無しにされたいかりがふつふつとわいてきて、千代は亜美ちゃんの絵を思い切りはらった。はらりとって、絵がうずまきを下にしてゆかに落ちると、その下から星の鉛筆がころころと転がり出てきた。
 とっさに千代は鉛筆をつかむと、部屋のすみのごみ箱にてた。
「みんな、この鉛筆のせいだ!」
 千代はトートバッグをつかむと、部屋から外に飛び出した。夕闇ゆうやみの中、千代は走った。あのうずまきの中から黒い目の生きものが追いかけてくるのではないかと、千代は必死に走って家に帰った。
 その夜、千代はあくにうなされた。あの黒い目の生きものがどこまでも千代を追いかけてくるゆめだ。
 それでも翌日よくじつになると、千代は勇気を出して絵の教室に行った。鉛筆がなくなって、亜美ちゃんが元の亜美ちゃんにもどるかもしれないと思ったからだ。
 部屋に入ると、もう亜美ちゃんは来ていた。わき目もふらず、猛烈もうれついきおいで絵を描いている。その手には、あの星の鉛筆がにぎられていた。
(たしかに捨てたはずなのに、どうして?)
 千代がぼうぜんとしていると、先生が亜美ちゃんのそばにやってきた。「ねえ、亜美ちゃん。こんなに上手になったんだから、もうその鉛筆はいらないんじゃない? それにせっかく上達してきたのに、いつまでもうずまきの絵ばかりというのもつまらないから、もっとほかの絵を描いてみたら?」  
 先生はそう言いながら、亜美ちゃんの鉛筆に手をのばした。
「いやっ。この鉛筆をわたしから取り上げないで。わたしは描かなきゃいけないの。描きつづけなきゃいけないんだから!」
 みだしたように大声を上げる亜美ちゃんに、まわりの子どもたちもびっくりして、ふりかえった。
 千代はそのとき、亜美ちゃんが描いているうずまきの中から亜美ちゃんを見つめる黒い目の生きものを見た。それは、千代が昨日見たときよりずっと大きくなっていた。
 亜美ちゃんは先生をおしのけると、鉛筆をにぎりしめたまま、教室から飛び出した。
「亜美ちゃん!」
 千代の声にふりかえることもなく、亜美ちゃんはそのまま走っていってしまった。
 その翌日、亜美ちゃんは絵の教室にも学校にも来なかった。その翌日も、翌々日も、やっぱり亜美ちゃんは休んだまま、学校にも絵の教室にもあらわれなかった。
 千代は亜美ちゃんのことが心配だった。その一方で、ほっとしてもいた。亜美ちゃんが描き残していった絵を見ても、もうあの黒い目の生きものを見ることはなくなったからだ。
 千代は複雑ふくざつな気持ちをかかえたまま、今日も絵の教室で百合ゆりの絵を描いていた。
「ねえ、千代ちゃん、お願いがあるの」
 突然とつぜん、先生の手がかたに置かれたのを感じて、集中していた千代はびくっとして顔を上げた。
「亜美ちゃんの家に行って、この消しゴムで、亜美ちゃんが今描いている絵のどこでもいいから、ごく一部でいいから、消してきてほしいの」
 先生は千代に顔をよせて、ささやくように言った。
 先生が差し出した消しゴムには、あの鉛筆と同じように、黒地に金色の小さな星がまたたいている。
「絵を消す? その消しゴムで?」
 千代は目を丸くした。
「でも……亜美ちゃん、具合が悪いみたいで学校もずっと休んでいるんです。わたしにはできません」
 先生は、そんな千代の目をじっと見つめて言った。
「亜美ちゃんの鉛筆、あれはね、特別な鉛筆なの。そんなにすごいパワーをもった鉛筆じゃなかったんだけど、亜美ちゃんとの相性あいしょうがよかったのね。絵が力をもってしまった。亜美ちゃんはたぶん、あの絵にとりつかれてしまっているのよ。何度か亜美ちゃんからあの鉛筆を取り上げようとしたけどダメだった。捨ててもかくしても、亜美ちゃんの手もとにもどってしまって……。でもね、この消しゴムで少しでも絵を消すことができれば、絵の魔力まりょくは消えるはずなの。本当はわたしがそうしたいところなんだけど、この消しゴムは子どもにしか使えないの。だから、亜美ちゃんの友だちのあなたにしかたのめないのよ」
 先生の目の真剣しんけんさにされて、千代は仕方なくその消しゴムを受け取った。
「お願いね」
 千代はうなずいた。特別な鉛筆だとか消しゴムだとか絵の魔力だとか、信じられないことばかりだけれど、千代自身、何度も亜美ちゃんの絵の中に不思議な生きものを見ていたのだ。それなのに、亜美ちゃんにもだれにも話さないで、ずっとそのままにしていた―――。
 千代は決心したように消しゴムをしっかりにぎりしめて、すぐに亜美ちゃんの家へ向かって走り出した。
 駅前商店街をぬけ、大きな通りをわたってしばらく行くと、千代と亜美ちゃんの住む住宅地じゅうたくちに入る。強い日差しにあせばみながら、千代は亜美ちゃんの家を目指した。
 この角を曲がれば亜美ちゃんの家だ。千代は頭上にえだをのばしている百日紅さるすべりの赤い花を見上げて、深呼吸しんこきゅうした。
 亜美ちゃんの家の前まで来た千代は、急に不安になってきた。具合が悪いから会えないって言われたらどうしよう? もしかしたらお母さんと病院に行っていないかもしれない……千代はりんを押せないまま、何度も家の前を往復おうふくした。
 と、そのとき、二階の亜美ちゃんの部屋から、
「きゃっ!」というさけごえが聞こえた……気がした。
 千代はとっさに呼び鈴に飛びつくと、ジリリリリリリと長押しした。そして勝手に引き戸を開けて中に入ると、
「千代です。入ります!」
と叫んで、二階へがった。
 まよわず亜美ちゃんの部屋のふすまを開けると、そこには大きな画用紙におおいかぶさるようにして絵を描いている、亜美ちゃんの姿すがたがあった。
 画用紙には、黒々とうずく雲のような、ぎんのような、混沌こんとんとしたものがすみずみまで描きこまれていた。そのうずまきから今にも飛び出しそうに、頭に角をはやしたバケモノがもがいている。画用紙をおおうぐらいに大きくなっていたけれど、それはあの黒い目の生きものだと、千代にはわかった。
「亜美ちゃん! だいじょうぶ!? バケモノが!」
 千代が叫ぶと、亜美ちゃんはようやく気づいたように言った。
「千代ちゃんにも見えるの?」
 千代は必死にうなずきながら、すぐに消しゴムを取り出して、絵を消そうと画用紙に手をのばした。けれど、あばれてのたうち回るバケモノに、画用紙は大きくうねり、消しゴムはかえされ、絵を消すどころではない。千代は絶望ぜつぼうして、消しゴムをかける手をとめた。
「な、何をしているの? 千代ちゃん」
「このバケモノ、なんなの?」
 亜美ちゃんの質問しつもんには答えずに、千代は思わず声を上げた。亜美ちゃんは、千代のほうを見つめてから、絵の中のバケモノにせんを動かした。
「なんなのか、わたしにもわからない。先生に貸してもらったこの鉛筆だとすらすらと絵が描けて、最初は楽しかったの。夢中むちゅうだった。でも、絵の教室を飛び出して家で絵を描いていたら、このバケモノが出てきて……自分を描け、描くんだって、いつもわたしに命令してきた。もう学校に行くことも絵の教室に行くこともできなくなって、毎日ただ描いて、描いて……」
 亜美ちゃんは、手やうでだけでなく顔まで鉛筆で真っ黒だった。
 千代は亜美ちゃんのげっそりした顔を見ながら言った。
「じゃあ、消そう。消していいよね?」
「消す?」
「先生からたのまれたの。この消しゴムなら、そのバケモノも消せるはず。亜美ちゃんも手伝って!」
 亜美ちゃんは一瞬いっしゅんきょとんとした顔で千代を見つめたが、すぐに大きくうなずいた。
「うん! 消せるのなら、消して!」
「画用紙を二人でおさえよう。さあ、いっせいの、せい!」
 千代の号令に合わせて、二人は力のかぎり画用紙をおさえつけた。画用紙はうねり、飛びはね、二人をはらいのける。それでも二人はあきらめず、亜美ちゃんがなんとか両端りょうはしゆかに押しつけた。
「さあ、千代ちゃん、早く!」
 亜美ちゃんが叫ぶ。
 千代は消しゴムをしっかりとにぎりしめ、はげしく動く画用紙の上に強くこすりつけると、黒々としたうずまきの絵の一部を何度もこすった。
 そのときだ。
「ああっ、画用紙が!」
 千代が叫ぶと同時に、画用紙は大きくうねって二人の手からのがれると、ひらりと空中に舞った。
 画用紙に描かれたうずまきが、ゴウゴウ激しい音をたてて渦を巻いている。そのうずまきから今にもバケモノが飛び出しそうに、体をうねらせるのが見えた。
「ああああ、バケモノが出てきちゃう!」

 二人がぼうぜんとして画用紙を目で追っていると、何かに気づいた亜美ちゃんが声を上げた。
「わ、見て千代ちゃん、あれ、あそこだけ、うずまきが消えている!」
 亜美ちゃんが画用紙の端を指さした。
 見ると、黒々としたうずまきの一部が光って、白っぽくなっている。あれは消しゴムをこすりつけたところ? 
 その小さな輝きはみるみる広がっていき、うずまきから飛び出ようとしていたバケモノを追いつめていった。とうとう白い光は画用紙をおおいつくし、バケモノは最後の最後に千代たちのほうをその黒い目で見つめてから、光の中にのみこまれて、消えた。
 ちゅうを舞っていた画用紙が、はらりと床に落ちると、二人は力がぬけたようにふらふらとすわりこんだ。
 しばらくぼうぜんとしていた二人がようやくわれに返って画用紙をのぞきこむと、画用紙は最初から何も描いてなかったみたいに真っ白だった。
「よかった、よかったね」
 千代が言うと、悪い夢から覚めたように亜美ちゃんは言った。
「うん、千代ちゃん、ありがとう」

 翌日二人は絵の教室に鉛筆と消しゴムを返しに行った。でも、あの古民家はどこにも見当たらない。そこは空き地になっていた。
 先生の顔も、はっきり思い出すことができなかった。
 よく見れば、どこにでもありそうな鉛筆と消しゴムだったけれど、二人はぬのに包むと、空き地にそびえる大きな木の根もとにめた。

 今日も亜実ちゃんは、千代のとなりで楽しそうにおしゃべりばかりしている。千代はときどき笑い返しながら、せっせと色鉛筆を動かして花の絵を描いている。明るく輝く、向日葵ひまわりの絵を。  

(おわり)

井上晶子(いのうえ あきこ)
東北の伝統こけしが好きで、たくさん集めています。
好きがこうじて、第20回児童文学ファンタジー大賞で奨励賞を頂いた作品も『こけし天国』と、こけしの出てくる作品です。
今回の作品にはこけしは出てきませんが、不思議で心に深く入っていくような物語をこれからも書いていきたいです。

藤重ヒカル(ふじしげ ひかる)
武蔵野美術大学卒業後、建築インテリアの仕事に従事するかたわら飯野和好氏に師事、絵本・童話をかき始める。
『さよなら、おばけ団地』『ゴロゴロヤマネコ不動産 -なんだかあやしいおすすめ物件』などの作品のほか、絵本に『まわる おすしやさん』(「こどものとも」2020年1月号)、『ばけタクシー』(同2024年2月号/以上福音館書店)がある。日本児童文学者協会会員。

いいなと思ったら応援しよう!